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写真に良い感覚持っているねんけどな。撮れない。

2011-09-17 19:10:01 | 日記
僕は写真をとるのが下手だ。ずっと、昔から思っている。
でも見る目は、職業柄も含めてあると思う。

この前、岡本太郎の展覧会に行ったときの入り口の写真
普通の主婦がポイと撮った写真(こっそり拝借しましたごめんなさい)
と僕の写真、あきらかに彼女の方が大胆な形でインパクトがあるし、
シンプルで美しい、展覧会の文字もしっかりカバー出来ている。

 

これだけ見ると解りにくいけれど、
後の内部の写真が続いてくると、その良さはよくわかる。

会社のソフトボール大会に子供を連れて行った時のこと。
その頃は自然な表情をとらえようと、一眼レフの望遠で良く撮っていた頃だ。
打順の合間に僕は子供の仕草、表情を追いながらい写真を撮っていた。

帰って出来上がった写真の中に、アングルといい、子供の表情、
その周りにいる同僚の表情、草原の構成、すばらしい1枚の写真があった。
そう言えば、僕の打順が来た時に、同僚にカメラを預けたことがあった。
あの時に撮られた1枚の写真だった。
後で、彼に聞くと別に写真を習ったことも無く、僕と同じようなものだ。

ちょっと、ショックだった。
子供のこんな良い表情を親でない他人が簡単に撮ってしまう。
一瞬の表情だから偶然性はあるけれど、
彼より何十年倍?も自分の子供に接しているのだから。


僕には良い写真を撮れる、予見性というかそう言うものが無いように思う。
というのは
普段、わりと良い瞬間に良く出会うのである。
動物に、人に、風景に。ああ、これいい。これすごい。
と見た瞬間に慌ててカメラを出すが、二度とその瞬間が訪れないのである。
動物にしろ構えたその時から、いつまでたっても
その良いと思ったイメージになってくれないのである。
つまり、これが逆なら。
何となく(予感で)カメラを向けたとして、その後すごく良いイメージになれば
そう言う写真が撮れるのである。僕の場合は逆だ。

嫌だけど、何か僕の人生を語っているような、写真の話だ。