今日知ったのだが、前に書いた「ブータンシボリアゲハ」が
2月に東京大学総合研究博物館で展示されたという。
調査隊がブータンに残してきた5匹の標本のうち2匹が、
ワンチュク国王夫妻の来日の際、日本側に贈呈されたのだ。
そして、その貴重な標本が、無料で見られるのだ。

いいな、東京は。前に書いたブログ。
NHK「ブータンシボリアゲハ」の番組、よかった~。
そして、今回知った記事。
シボリアゲハ属のウンナンシボリアゲハを、
1981年に日本の登山隊員が60年ぶりに中国で再発見した。
その際のエピソードは、ミニヤコンカの悲劇という
歴史的遭難事故とともに、語り継がれている。
1981年5月10日、中国四川省にある標高7556メートルの高峰
「ミニヤコンカ」に挑んだ北海道山岳連盟の登山隊のうち、
8人が滑落事故で死亡。日本隊の海外登山で最大の遭難となった。
隊員の中に昆虫に興味を持つ者が2人いて、
滑落事故の前にベースキャンプ付近で珍しい蝶を採集していたが、
うち1人は事故で亡くなった。後にこの蝶がウンナンシボリアゲハと分かり、
60年ぶりの再発見は「悲劇の中での快挙」(展示文章より)として、
世界に伝えられたという。
そして、今回の「ブータンシボリアゲハ」の原田隊長は
アゲハチョウ科の生態の世界的な研究者で
2008年に亡くなった故五十嵐邁博士の愛弟子のような方だ。
原田隊長が12歳ぐらいの時、
東京から引っ越してきた五十嵐博士と知り合ったという。
この世界的な昆虫研究者二人が知り合ったのも感動的である。
蝶を追う昆虫学者には感動的な話がつきまとうようだ。
僕は昆虫にそんなに興味がないが、こういうお話は大好きだ。

五十嵐コレクション
下段左の1匹の「ウンナンシボリアゲハ」には、81年4月採集の記録がある。
これこそは、ミニヤコンカ登山隊員が採集したあの蝶なのだ。
前回にも書いたが「ブータンシボリアゲハ」の生息地は、
東側のチベット寄りの1カ所の谷に限られていて、一般人は入れないのだ。
(中国、インドが争う)国境に近い、ピリピリしているエリアで、現地の集落の人以外は行かないところ。
さらにジープで入れるのは途中までで、その先は道を作らないようにしているという。
国境エリアに入るのはだめということ。これが希少種の環境を守る役目も果たしたのだ。
ブータンシボリアゲハはもちろんのこと、シボリアゲハの仲間はすべて、ワシントン条約による保護の対象。
特別な許可がなければ、採集して持ち帰ることはできないのだ。
この時もブータン政府の許可で標本にできるのは5匹だけと決まっていた。
きれいなもの5匹だけを残して、あとは全部逃がしたという。(逃がす程とれたのも奇跡だ)
そして、ブータン政府に渡したうち、2匹が日本政府に贈られたんだ。
ミニヤ・コンカの悲劇
Mac仕様の方は文字化けします。テキストエコーディングを「日本語(EUC)」にすると読めます。
2月に東京大学総合研究博物館で展示されたという。
調査隊がブータンに残してきた5匹の標本のうち2匹が、
ワンチュク国王夫妻の来日の際、日本側に贈呈されたのだ。
そして、その貴重な標本が、無料で見られるのだ。


いいな、東京は。前に書いたブログ。
NHK「ブータンシボリアゲハ」の番組、よかった~。
そして、今回知った記事。
シボリアゲハ属のウンナンシボリアゲハを、
1981年に日本の登山隊員が60年ぶりに中国で再発見した。
その際のエピソードは、ミニヤコンカの悲劇という
歴史的遭難事故とともに、語り継がれている。
1981年5月10日、中国四川省にある標高7556メートルの高峰
「ミニヤコンカ」に挑んだ北海道山岳連盟の登山隊のうち、
8人が滑落事故で死亡。日本隊の海外登山で最大の遭難となった。
隊員の中に昆虫に興味を持つ者が2人いて、
滑落事故の前にベースキャンプ付近で珍しい蝶を採集していたが、
うち1人は事故で亡くなった。後にこの蝶がウンナンシボリアゲハと分かり、
60年ぶりの再発見は「悲劇の中での快挙」(展示文章より)として、
世界に伝えられたという。
そして、今回の「ブータンシボリアゲハ」の原田隊長は
アゲハチョウ科の生態の世界的な研究者で
2008年に亡くなった故五十嵐邁博士の愛弟子のような方だ。
原田隊長が12歳ぐらいの時、
東京から引っ越してきた五十嵐博士と知り合ったという。
この世界的な昆虫研究者二人が知り合ったのも感動的である。
蝶を追う昆虫学者には感動的な話がつきまとうようだ。
僕は昆虫にそんなに興味がないが、こういうお話は大好きだ。

五十嵐コレクション
下段左の1匹の「ウンナンシボリアゲハ」には、81年4月採集の記録がある。
これこそは、ミニヤコンカ登山隊員が採集したあの蝶なのだ。
前回にも書いたが「ブータンシボリアゲハ」の生息地は、
東側のチベット寄りの1カ所の谷に限られていて、一般人は入れないのだ。
(中国、インドが争う)国境に近い、ピリピリしているエリアで、現地の集落の人以外は行かないところ。
さらにジープで入れるのは途中までで、その先は道を作らないようにしているという。
国境エリアに入るのはだめということ。これが希少種の環境を守る役目も果たしたのだ。
ブータンシボリアゲハはもちろんのこと、シボリアゲハの仲間はすべて、ワシントン条約による保護の対象。
特別な許可がなければ、採集して持ち帰ることはできないのだ。
この時もブータン政府の許可で標本にできるのは5匹だけと決まっていた。
きれいなもの5匹だけを残して、あとは全部逃がしたという。(逃がす程とれたのも奇跡だ)
そして、ブータン政府に渡したうち、2匹が日本政府に贈られたんだ。
ミニヤ・コンカの悲劇
Mac仕様の方は文字化けします。テキストエコーディングを「日本語(EUC)」にすると読めます。