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桃旗が神仏に礼をしない訳。1975年、青木湖スキーバス転落事故。

2012-04-20 22:38:22 | 日記
1週間前、京都の祇園で何人もの人を巻き込む
大きな車の暴走事故(事件)が起こった。

いつも思う事だけれども、突発で亡くなられる方と言うのは
本当に良い人、世の中の役に立っている人、
惜しまれる人が多い気がしてならない。

もちろん、日本の精神としても、死者を悪く言う人はいないが、
記事を読むと何の関わりのない私でさえ、
残念であり、惜しくあり、本当に立派な人を亡くしたとしか思えない。

その昔、私が毎年スキーに熱中していた頃
正月に「青木湖バス転落事故」と言うのが起こった。
沢山の人が亡くなった痛ましいものである。

青木湖バス転落事故

事故の様子は今でもこのように知る事が出来るが、
乗客の事は今は記事にもなく、知る事が出来ないようだ。

僕は当時、この事故の記事で乗客の事を知り、すごく心に残った。
内容は忘れてしまったが、たいへん立派な行いの若者達で、
ご褒美のような、生まれて初めてのスキー旅行で、
本当に楽しみにしていた中で、この事故に合ってしまった。
そのときの記事を読んで、当時、僕はこの理不尽さに

「なぜ、神様はこんな立派な若者をこんな運命に導くのか、
他人に感謝されるような事もない僕のようなものや、
もっと悪い、とんでもない若者もいるわけで、
「罰が当たった」という言葉があるなら、
その運命はこの亡くなった若者とは対局にある筈だ。
あまりにも世の中こういう人がこんな目に遭う事が多すぎないか、
仏って、神って何なのだ。」

と、この事故は随分僕に大きな精神的衝撃を与えたものだ。
それから以後、僕はほとんど神仏に礼をもつ事がなくなった。
これだけがその原因になった事ではないが、
歴史の中でももっと多く、苦しみの中ですがる人を見逃してきた事実があり、
この時がその積もり積もったもののきっかけではある。

僕の中で、もちろんスピリチュアルな気持ちが無くなったのではなく、
よけいに何か目に見えない別のものとなり、
(僕の心の中では神様と呼んでいるが、従来の宗教のものではない)
一方で現存の神仏を全く信用しなくなった、この事故はきっかけである。

今までも、通り魔的なものやとばっちりを受けた事故、
その多くが、この立派な人、良い人が選ばれているとしか思えない。

今回でも
暴走車事故、勤務中犠牲の2人を偲ぶ

もしかしたら、今の世界は欲をもった悪邪の世界で、
人々が欲を捨て、良い人に到達し、現世につくした時、
別の世界に導かれるのかも知れない。

金欲、権欲の政治家の長生きするのを見ると納得するような。