日々Change。今日の怒りも、恐れも、悲しみも、明日は夢と希望と喜びに。

少々高くても、日本の商品を買いましょう。力を合わせて日本の復興のために。

やっぱり、神仏に信仰の礼はしません。

2012-04-25 01:39:00 | 日記
この前のブログの
「桃旗が神仏に礼をしない訳。」の続きになるけど。

京都亀岡暴走事故。
腹が立つね、どこに向ければ良いか解らんけど。

い眠り運転。脇見運転。精神異常運転。
これみんな、わざわざ、人の集団に向っていくのはなぜ?
この種の事故がどれほどあるか。

あと、5mか知らんけど、それたら誰もいない所で
本人様だけが怪我して落着でしょ。

神様、仏様、教えて欲しいわ。
これはどう言う運命の落としどころですか?
ほんと、世の中神も仏も無いわ。
あっ、無いからこんな事故が起こるのか。

だったら、神社もお寺もいらないのに。
結局、現代に残った、歴史的建築物や仏像の価値だけやね。
救われると言われて、救われない事実になぜ信仰はあるんだろ。
なぜ神や仏を信用しなくならないのか。
これやから、桃旗は坊主といって信用しないし、
お参りもしないのです。
(個人として立派なお坊さんはいます。あたりまえか。)

宗教って一種の人の心に付け入る、脅迫ビジネスやから。
あの人は信仰が足りなかったからあんな事故に遭遇した。
あなたはこうしないと天罰が下る。
行いが悪いと(その宗教に対して)地獄に堕ちる。
と脅迫的に言われれば、より信仰し、よりお布施をする。
全てをなげうっても、のめり込むのだろう。
つくづく人の弱さを感じてしまう。

信仰が強いからと言って、善人ですか?
僕の知る限りでは、傲慢で自信家の人が多いと思う。

親鸞だって、たんに学問として心の中のお勉強をしたのであって、
その時代の拝むことや信仰は、今のものとは意味が違うと思う。
実際、女性を断つと気が散って信仰出来ないと
妻帯を許されたという、もっと、人間的な人だったんだから。

葬式で金を儲け出すビジネスも親鸞の死んだ後で、
親鸞の教えの中には無いんだから。
あの、オウムだって何百年も経っていれば、
信者が何十万人にもなって、一つの良識ある宗教になっていた筈だ。

宗教の起こりなど、考えを同じくした一方通行の集団で
武力で社会を同じ考えに染めようとするものだから
どんな宗教も起こりは暴力的なオウムと同じだろう。

時が普遍的なものへと近づけ権力と高尚をもたせる。