先日の記事からまたまた連想ゲームです^_^;
陽水の曲、ジェラシーには思い出があります。あるジャズシンガーがこの曲を
ライブやパーティでよく歌っていました。残念ながらいまは遠い空で、でもきっと
歌っていらっしゃると思います。ジェラシーといえば・・・思い浮かぶひと・・・
ジャズシンガー「アンリ菅野」です。
アンリさんに会ったのは20歳くらいの頃、あるバンドマンの事務所で
マネージャーの真似事のようなことをしていたとき、アンリさんのバックバンドの
仕事を引き受けていたのがきっかけです。そのころ、間もなく独立を考えていた彼女は、
いろんな仕事を自分でコーディネイトしたりしていました。そしてそのたび、まだよく
仕事などできなかった私にいろいろ役目をくださってとてもかわいがってくれました。
福岡のマネージャー、と行ってくださって、大きなディナーショーもご一緒させて
いただきました。きっとほんとにいき届かなくてご迷惑かけたと思うのですけど
私に対してはいつも同じで、ここはこうして、こっちがいいわとか、いろいろ
本当にいろいろ教えてくださいました。
彼女のレパートリーはもちろん、ジャズのスタンダードが中心ですが、何曲か、それは
今思うと、お客さんをたいせつにする彼女の、サービス精神からきたことでしょうが、
日本の曲が入っていました。たとえば、ひばりさんのりんご追分を8ビートでやったり。
その中に、ジェラシーがありました。陽水が大好きだった私は、最初にアンリさんがこれを
歌ったときのこともよく覚えています。
あるレストランでのディナーショー、当時楽譜はほとんどこっちの事務所にも
おいていましたが、その日、新しい曲ね、といって楽譜を受け取りました。
え?これ陽水のジェラシーだ・・って思いながら、リハの様子をじっとみつめていました。
ジェラシー・・・とアカペラで始まったのは、まぎれもなく陽水の曲。
それからジェラシーは何度となく、ショーで選曲されることになりました。
さっぱりして面倒見が良くて、とてもまめで、私のようなスタッフにも、手書きのお年賀状を
くださったりする方でした。
その後、私は教室の仕事をはじめて、すっかりお付き合いがなくなった頃、アンリさんの
お加減が悪いことを聞きました。でもそれから間もなくまた元気にステージを復活なさったことも
聞きました。佐賀でのディナーショーを耳にして、でもちょうど、私もライブの日でした。
伺うことができなかったのが今も残念でなりませんが、そのとく、久しぶりにお手紙を書いて
お花を贈ったら、以前とちっとも変わらず、やっぱりちゃんと手書きのお礼の葉書が届きました。
1999年の7月のこと。大切な最後の思い出です。
翌年2000年6月30日、空へ。雲の上はもっと大きなステージで、気持ちよく歌って
絵も描いて、やきものだって、きっと好きなことをたくさんなさっていることと思います。
少しの間だったけど、とてもお世話になったアンリさん。6月、梅雨のころになるとふと、
アンリさんとのお仕事のことを思い出します。福岡と別府での二つの大きなディナーショー。
準備や打ち合わせがうまくいかなくて、会場との電話を切って泣くこともありました。
20才過ぎの私にとって、大人の人たちとの初めての大きな仕事のやりとりでした。
最後の本番の前にアンリさんから控室にいる私に電話。下のレストランへ降りておいでと。
何かまたミスがあったかと恐る恐る・・・^_^;
本当にありがとう、頑張ってくれたおかげで、こんなにいいステージができる・・と。
お礼を言いたかったと。そのときほ珈琲の美味しかったことといったらありません。
今も、ジェラシーを聴くとアンリさんを思い出します。
あの日、ニューオータニのレストランでのアンリさんのやさしい笑顔、うれしかった・・・。
ありがとうございました。
「おとな」駆け出しの私の最初の先生でした。アンリさんのおかげで素晴らしい経験をしました。
梅雨入りをしました。アンリさん、歌ってますか?
もう一度、本当にお会いしてお礼が言いたかった。本当にありがとうございました。
ニューヨーク大好きよって言ってたアンリさんがいつも歌ってたのはこの曲。
これどこかなぁ、海外のステージみたいです。アンリさんのステージ、ありました。どうぞ。
NEW YORK NEW YORK アンリ菅野
陽水の曲、ジェラシーには思い出があります。あるジャズシンガーがこの曲を
ライブやパーティでよく歌っていました。残念ながらいまは遠い空で、でもきっと
歌っていらっしゃると思います。ジェラシーといえば・・・思い浮かぶひと・・・
ジャズシンガー「アンリ菅野」です。
アンリさんに会ったのは20歳くらいの頃、あるバンドマンの事務所で
マネージャーの真似事のようなことをしていたとき、アンリさんのバックバンドの
仕事を引き受けていたのがきっかけです。そのころ、間もなく独立を考えていた彼女は、
いろんな仕事を自分でコーディネイトしたりしていました。そしてそのたび、まだよく
仕事などできなかった私にいろいろ役目をくださってとてもかわいがってくれました。
福岡のマネージャー、と行ってくださって、大きなディナーショーもご一緒させて
いただきました。きっとほんとにいき届かなくてご迷惑かけたと思うのですけど
私に対してはいつも同じで、ここはこうして、こっちがいいわとか、いろいろ
本当にいろいろ教えてくださいました。
彼女のレパートリーはもちろん、ジャズのスタンダードが中心ですが、何曲か、それは
今思うと、お客さんをたいせつにする彼女の、サービス精神からきたことでしょうが、
日本の曲が入っていました。たとえば、ひばりさんのりんご追分を8ビートでやったり。
その中に、ジェラシーがありました。陽水が大好きだった私は、最初にアンリさんがこれを
歌ったときのこともよく覚えています。
あるレストランでのディナーショー、当時楽譜はほとんどこっちの事務所にも
おいていましたが、その日、新しい曲ね、といって楽譜を受け取りました。
え?これ陽水のジェラシーだ・・って思いながら、リハの様子をじっとみつめていました。
ジェラシー・・・とアカペラで始まったのは、まぎれもなく陽水の曲。
それからジェラシーは何度となく、ショーで選曲されることになりました。
さっぱりして面倒見が良くて、とてもまめで、私のようなスタッフにも、手書きのお年賀状を
くださったりする方でした。
その後、私は教室の仕事をはじめて、すっかりお付き合いがなくなった頃、アンリさんの
お加減が悪いことを聞きました。でもそれから間もなくまた元気にステージを復活なさったことも
聞きました。佐賀でのディナーショーを耳にして、でもちょうど、私もライブの日でした。
伺うことができなかったのが今も残念でなりませんが、そのとく、久しぶりにお手紙を書いて
お花を贈ったら、以前とちっとも変わらず、やっぱりちゃんと手書きのお礼の葉書が届きました。
1999年の7月のこと。大切な最後の思い出です。
翌年2000年6月30日、空へ。雲の上はもっと大きなステージで、気持ちよく歌って
絵も描いて、やきものだって、きっと好きなことをたくさんなさっていることと思います。
少しの間だったけど、とてもお世話になったアンリさん。6月、梅雨のころになるとふと、
アンリさんとのお仕事のことを思い出します。福岡と別府での二つの大きなディナーショー。
準備や打ち合わせがうまくいかなくて、会場との電話を切って泣くこともありました。
20才過ぎの私にとって、大人の人たちとの初めての大きな仕事のやりとりでした。
最後の本番の前にアンリさんから控室にいる私に電話。下のレストランへ降りておいでと。
何かまたミスがあったかと恐る恐る・・・^_^;
本当にありがとう、頑張ってくれたおかげで、こんなにいいステージができる・・と。
お礼を言いたかったと。そのときほ珈琲の美味しかったことといったらありません。
今も、ジェラシーを聴くとアンリさんを思い出します。
あの日、ニューオータニのレストランでのアンリさんのやさしい笑顔、うれしかった・・・。
ありがとうございました。
「おとな」駆け出しの私の最初の先生でした。アンリさんのおかげで素晴らしい経験をしました。
梅雨入りをしました。アンリさん、歌ってますか?
もう一度、本当にお会いしてお礼が言いたかった。本当にありがとうございました。
ニューヨーク大好きよって言ってたアンリさんがいつも歌ってたのはこの曲。
これどこかなぁ、海外のステージみたいです。アンリさんのステージ、ありました。どうぞ。
NEW YORK NEW YORK アンリ菅野
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