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もともとよく空を見上げる方なのだが、最近は夕方に草刈りをしてたりすることが多いので、そのついでによく空の写真を撮っている。あくまでもついでなので、たいていはエプロンのポケットに入れているiPhoneのカメラだ。それでも、けっこうきれいな写真が撮れる。
きょうの夕方の空は、もうすっかり秋の感じ。小さいガーデンバリカン一丁で不毛な闘いを続けているのだが、空を見上げてきれいな雲が出ていると、「おお〜っ!」といっきにテンションが上がる。
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草刈りは30分程度、もしくは大きなゴミ袋1袋分の草を刈ったら終了と決めているので(でないと、私もガーデンバリカンも壊れる)、早くすませて写真を撮ろうと頑張る。
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この空はその時のその一瞬だけのもの。まあ、この写真を撮った瞬間の私と、今iPhoneでブログを書いてる私だって、すでに何かしら違ってはいるのだがな。とりあえず、数時間分は年をとり死に近づいているわけだし。
名古屋の空だってきれいなのだが、やはり田舎の空は遮るものが少ないので広い。圧倒的に広い。空と地面の境界線に写るものも山だったり木だったりすることが多い。とても多い。
そのせいなのか、それともすでに2年半を過ぎた単身赴任生活のせいなのか、実家にいる時に撮った空は、きれいだけれど、なんとなく根底に寂しさとか悲しさみたいなものがあるような気がする。
まあ、名古屋で空を見上げて写真撮ってる時は、たいてい足もとに亀緒君がいるからな。嬉しいばっかりだもんな。
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