冒頭の写真はパノラマでぐるっと入院中の私のベッドを撮ったやつなのだが、これってブログでちゃんと表示されるのかしら。思えば、想像していたよりは痛みもなく(退院してからの方が痛い。動くからなのかな。痛み止め、そこまで効かんし)、けっこう楽しい入院ライフだった。なにしろ、三食昼寝つきなのだ。人様にこしらえていただいたご飯をテーブルまで運んでいただいて、さらにどうかするとわざわざ食器を下げに来てくださる。 . . . 本文を読む
私は夜中にゴソゴソ日記を書いたりするのが好きだ。だが、病院では消灯は9時。個室ならばベッドのところの明かりをつけて、夜中まで起きててもかまわないかもしれないが、4人部屋だと他の皆さんはお休みになっておられる。それでもiPhoneでKindle本を読んだりしているが、さすがに夜中になる前には寝てしまう。そうすると、当然なのだが夜明け前に目が覚める。私のベッドは窓側で、病院の駐車場と山と空が見える。ど . . . 本文を読む
どうも乳癌らしいということで検査を受け、検査の結果を聞きに行く診察日に、私はすでに入院の準備をすべて整えていた。夫の車にパンパンに荷物の詰まったボストンバッグと手提げ袋を積んでもらい、診察に行ったら「いやいやいや、まだこれからCTとかMRIとかやってからだから」と先生に言われた。さらに「次の時もまだ荷物いらないからね」と。そうなのか。結局、その荷物は2ヶ月放置されることになったのだが、その間に夫に . . . 本文を読む
若い頃から乳房の中に水みたいなのがよくたまっていた。嚢胞がブドウのふさみたいに乳房の中にできていて、右にたまったり左にたまったりしていた。それが比較的弾力のあるシコリになる。痛い思いをして中の水を抜いてもらっても、すぐにまた補充されてしまう。そのままにしておくと身体に吸収されるのか、いつのまにかシコリが小さくなる。今年の2月頃から左の乳房にまたシコリができていた。自宅近くの病院で診てもらおうと思っ . . . 本文を読む
父が亡くなってから、いつ果てるともない手続きに次ぐ手続きで、もうどれが何の書類だったのかわからなくなりそうな状況なのだが、一番ややこしい手続きは、子ども三人の中で一番しっかりしている妹にやってもらっている。妹は遠くに住んでいるのだが、昨日今日と遠路はるばる来てくれて、きょうはうちの夫の運転で、4ヶ所も手続きに回ってくれた。ちなみに私は助手席に座ってついて行ってるだけ。だのになぜか疲れて、車で居眠り . . . 本文を読む
義妹は50代の若さで病気で亡くなってしまったのだが、その何日か後、寝たきりのお姑さんの世話をするために義実家にいた私は不思議な音を聞いた。カタカタカタカタという軽い音をたてながら、見えない何かが玄関の扉を開けずに義実家の中に入ってきた。その見えない何かは、お姑さんの寝ているベッドがある応接間の中を、カタカタカタカタと音をたてながらくるくる回っている。このあたりで私は、これは義妹がお母さんに会いに来 . . . 本文を読む
先日、ももの木というお店にコーヒーを飲みに出かけた。峠を越えたところにあるお店なのだが、電車があるのですぐわかる。店内もコーヒーカップも昭和な感じで素敵。帰りに、ママさんの折り紙作品を1ついただける。夫と2人だったので、赤と黒のランドセルをゲット。ちゃんと開けられる。その後、天橋立まで行ってみた。ケーブルカーで登る。ケーブルカーを降りて、成相寺まで小さいバスでさらに登る。これがかなりスリリングだっ . . . 本文を読む
きょうはTayasuiSketchesで描いた。相変わらずレイヤーの使い方が思い出せん。でもまあ描けない訳ではないからええけど。ただ、前はiPadで描いていたので何と言っても描きづらい。ただiPadは高い。父の遺品の中に使えるiPadはないのかな。というか、私のiPad 2、他のアプリを全部削除したら使えないかしら。よしっ、宝くじが当たったら新しいiPad買うぞ。宝くじ……買ってたかな?夫が自宅に . . . 本文を読む
父が他界する前後からずっとバタバタしていて、小説も図鑑もほとんど開いてもいない。ぎりぎりほぼ日手帳(カズン)とミーニングノートと家計簿とLifebearというアプリは書いていて、家事をしながらオーディブルで又吉さんの『火花』を聞いたり、YouTubeの山田五郎さんのチャンネルを音だけ聞いたりはしている。入院する前に、裏庭に放置した剪定枝をせめて短く切り揃えるところまではすませたいのだが、きのうは天 . . . 本文を読む
先月、大好きな父が他界した。93歳で、病気ではなく老衰だった。お世話になっていた施設で、死亡を確認したのはその施設のドクターである息子だった。先月初めに、父が危険な状態だと弟から連絡があって、妹の家族も私の家族も駆けつけた。でも、父は面会に来た孫たちや孫のお嫁さんに手を振ってくれたので驚いた。そこから妹と私は実家に泊まり込み、連日バスで施設に面会に出かけた。その間にもまた孫たちがやって来たりして、 . . . 本文を読む