木工挽物という仕事

基本的には時代遅れの仕事
正反対の位置にいるブログから発信してみます
でもブログも先端じゃなくなりましたね

弱いから

2009-01-09 18:16:14 | Weblog
よく最近の子供は弱くて堪え性(こらえしょう)がないと言われるけど
考えてみれば自分の子供時代もあるところまでは同じようなものだったと思うなぁ
今日も人生相談聞いてたんだが
小学生の男の子、水泳の時間がどうしても嫌でそれが発端になって登校拒否が始まった
どう対処したらいいのか・・
そんな相談でした
一瞬思うんだよね
今の子は弱いなぁ それで登校拒否かよ って
でも自分も登校拒否は一度もしなかったけど
学校へ行きたくないって気持ちは時々味わっていたな

僕の一番嫌な時間は「音楽」
今からは自分でも考えられないけど それも一学期に一度ある「歌のテスト」
それが嫌なものの中でも飛び抜けて嫌だった
 何故って・・・音痴だったから
そこから脱却して今がある すごいだろ
と言うつもりは毛頭ない
純粋にあの時は本当に嫌だった
この世の中に「音楽」さえなければ どんなに楽しいだろうって
いやもっと絞れば「歌のテスト」さえなければだ
僕が歌うと笑い声が教室中に響き渡るんだもん
1年2年とそういう実績を積み重ねてゆくと・・
僕が歌う態勢になった時にもう笑いだす奴がいた
 もっちゃんだ
普段は彼のことが大好きなんだけど 歌のテストのときだけは殺したくなる
わははははははははは・・・
歌うか歌わないうちに奴の大きないやに不自然な笑い声が響いて・・
今でも思い出すと・・首を絞めたくなる

はじめの頃は先生がピアノを弾いてテストを受ける者はみんなの方に向かって歌う
そんなスタイルだったけど高学年になると先生の横で先生に聞こえるくらいの歌い方でテストされるようになって
あの苦しさから解放されたように思う
そしてこんな僕でも歌が好きになってゆくとともに
レコードに合わせて歌ってみる
そうするとちょっと♭してることが分かった
だんだんと音痴から脱却して行けたと思う
(中3の時は先生から言われて合唱部の一員となる)
抜け出せたのは自慢でも何でもない ただ運がよかっただけだ
あの気持ちが高ずれば登校拒否なんかそんなに遠いものでもなかったかもしれない
ホンの紙一重の差だった

ただ僕には一つ武器があった
「野球」だ
5年でレギュラーもらってたし、クリンナップ任されてたし・・それがかろうじて僕を支えてくれてたと思う

でも今でも思うよ
弱いところを責められてたら きっとそんな心の状況になっちゃうって

ひとつ自信を持てることを手にして
それを盾にして生きてゆく
これは子供だけじゃなくて大人になった僕たちにも必要なことじゃないんだろうか
いくら大人の姿をしていても子供のころと変わらない何かを持ち続けている
僕はだけど、今の嫌なことも苦しいけど 子供の時に感じた嫌なことはもっと苦しかったような気がする

みんなに笑われて小学生だった僕はそこで泣いてしまった
でもその後、楯を貰った
くじけそうになったときそれを見つけて手にすること
本人が出来なければ そばにいる誰かが見つけてあげたいね


ベタだけどね




コメント (23)
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