木工挽物という仕事

基本的には時代遅れの仕事
正反対の位置にいるブログから発信してみます
でもブログも先端じゃなくなりましたね

仏像の微笑み

2011-07-30 16:39:10 | Weblog
さだまさし トーク集から



今日はラフカディオ・ハーンのお話
明治の時代のお話
彼はニューオリンズでの博覧会で日本の工芸品を見る
それは 陶器・磁器・漆器といった日本独自ではないが独特の工芸品だったと思われる
そして思う
これは人間が作ったものではない
これは・・・きっと妖精たちが作ったに違いないと 行ったこともない日本に憧れた
やがて新聞記者という身になりその日本で暮らすことになる
そして「小泉八雲」となる
彼は諸外国に日本のことを英文で書かれた「知られぬ日本の面影」で紹介する

そこには

その長い歴史と深くまた高い文化で日本人が作り上げてきた最高の芸術品は日本の女性である 

欧米の男性から見たらそのころの日本女性は奥ゆかしくてまさに芸術品だったのかも知れんね


また明治40年ごろにこういうことも言っているという

日本人はこれだけ素晴らしい文化と伝統を捨て、
ヨーロッパの文明に憧れるあまりに欧米人の合理的な心も一緒に輸入しようとしている。

この優れた人たち日本人、彼らが作り出す製品は近い将来欧米をはるかに
しのぐ製品を続々と作り出す様になるだろう。

だが、その時には日本人はもう日本人ではなく、日本人によく似た
西洋人になってしまっていることだろう。

そしてそうなった時にはじめて日本人は、かつて自分の町内の角に
必ず立っていた仏像のえもいわれぬやさしい微笑みに気付くだろう。
実はその微笑みはかつての彼ら自身の微笑みなのだ。





何かズバリと射抜かれたような感覚
それは今の時代なのか
もうすこし前なのか
それとも近い将来なんだろうか



She will remember how much more luminous and beautiful the world then seemed.
She will mourn for many things, -the old-fashioned patience and self-sacrifice, the ancient courtesy,
the deep human poetry of the ancient faith.
She will wonder at many things; but she will regret.

その時になって日本人は昔の世界がどれほど光輝いて美しいものであったか、
あらためて思い返すに相違ない。その時になって彼等は歎くにちがいない。
いまは消え失せてしまった古風な忍耐や自己犠牲、古風な礼儀、昔からの信仰にひそんだ深い人間的な詩情...
日本人はその時多くの事物を思い返して驚きまた歎くに相違ない。


いみじくも昨日の記事で少し書いた「昔」との比較 なるほどなぁ と思ってしまう

昔はよかったねといつも口にしながら生きてゆくのは本当に嫌だから(「どんなときも」byマッキー)

という意見もあるだろうけど
いいものはいい
少し懐古しながらいいものを掘り起こすこともしてみようじゃあ~りませんか


コメント
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