木工挽物という仕事

基本的には時代遅れの仕事
正反対の位置にいるブログから発信してみます
でもブログも先端じゃなくなりましたね

入院生活

2016-05-10 23:49:41 | 健康
昨日入院の話をして振り返ってみたら、自分はその糖尿以外でも何度か入院をしてて・・

小学校4年の時に扁桃腺の手術をした
これは一泊二日、大須にあった西村耳鼻咽喉科という町医者で受けた手術
よく覚えてたもんだと自分でも思うのだが、これには悔しい思い出がもれなくくっついてくる
3年生で野球部に入って玉拾いばかりしていたが、4年になってチャンスをもらった
そして6年生9人がレギュラーだったチームの補欠の15人(補欠は6人)の中に入れた と思った
その直後に手術があってしばらく練習に出られなくなり、その補欠から漏れてしまった
一人だけ4年で補欠になったやつがいて、本当に悔しかったものだ
そういう意味で忘れられない手術だった

父親というものは近くであって近くで無く、本当に尊重されながら育ててもらった恩はあるけれど
いまいち血のつながりが鬱陶しいというと語弊があるが全部を受け入れたくないような気持ちがあった
しかしながら親父の血は引いた
昨日書いた糖尿もそうだが、痔もそうだ
22歳のうら若き青年であった僕は その年手痛い失恋をし、その心の落ち込みが尻に来た
前からヤバいんじゃないかと思っていたが痛みに悩まされるようになってしまった
前年、親父はその病院にいぼ痔で入院
22歳の僕は出産するような格好をさせられ、看護婦さんの目にその醜態をさらすことになる
5月15日に入院して退院したのが7月17日 どっかにメモしてあるわけじゃなくて僕の頭の中にインプットしてある
5と7が重なってたから覚えているだけなのか はたまた忘れられないくらいのインパクトがあったからなのか

普通 診断通り親父と同じいぼ痔なら2週間もすれば退院できる
ところが僕のはひどかった
一週間が過ぎても熱は下がらず痛みも引かない
もう一度検査をし直すと深いところで痔瘻(じろう)になっていた
入院したまま再手術だった
これは悪いところをえぐり取って縫合するでもなく自然な肉盛りを待つ そんな風な治療だったと思う
痛いでぇ
手術の時にそのえぐり取った部分にガーゼをつめる
翌日じゃなくて翌々日にそのガーゼを交換するんだが
これがもう死ぬほど痛い
あの時の痛さは出産に負けないと思う 知らんけど
男の子だもの我慢したサ
うっうっうっ って歯を食いしばって・・・ 一瞬気が遠くなった
それからそのガーゼ交換が近づくたびに憂鬱な毎日を送った
初めは肉にこびりついてるから痛かったのが少しずつ皮がはってくるのか痛みも薄れていく


いろんな入院患者がやって来て僕より先に出て行った
痛い痛いと弱音を吐く患者に 婦長さんが
「かっつんさんを見なさい、この病院で一番ひどい傷なのに泣きごと一つ言わんでしょ」と窘める
えっ 一番ひどいの? その言葉に結構傷ついたりした
「かっつんくんは顔はいいけど尻はぐちゃぐちゃよ」と言った同部屋患者もいた

だけどいろんなことがあって楽しかったぞ
部屋にギターを持ち込んで静かに歌ったり、これはもう部屋の名主になってからだ
女の人の部屋にそれを持ち込んで流しもした
その人はト○タ自工の会長の孫の嫁さんだった 
「かっつんく~ん 今日は元気~~? 」って部屋に入って来てよく話したなぁ
大阪から嫁に来たばっかりで、同病(笑)

ある日4階の主任看護婦さんから呼び出しを食った
「かっつんさん、桃ちゃんに手紙出した?」 といきなり言われた
桃ちゃんはこの病院でいっちばん綺麗な看護婦さんだった
その噂は前年親父が入院してる時から僕の耳に入っていた
彼女は3階の看護婦さんで滅多に4階には顔を見せない
なんかの拍子に来ることはあったけど
勿論そんなもの出した覚えはない
なんでそんな噂が立ったのか、なぜ僕より先に桃ちゃんに聞かんのか
今でも謎なんだが ちょっと光栄だったなぁ
それにしても手紙を出したか出さんか、そこまで厳しい時代だったんだねぇ
今ならすぐLINEかメールだろうから

厳しかったけど楽しかったなぁ
僕の入院生活は振り返るといつも楽しかった
辛いことは忘れちゃう
これに限るわ



コメント (20)
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