平成の名曲というタイトルの動画をクリックしたらこの曲が出てきた
中島美嘉 『雪の華』
その後次々と懐かしい曲が流れてなんとなくこの30年とかを振り返ってしまった
最初はまだ普通の結婚生活をしていた。
30代の半ば? 元気だったけど何やってたんだっけな
そう思うとなんと流れに任せて生きてきたことか・・・
29歳の時に長男ユウスケが生まれたのだが、第二子に恵まれなくて、30歳の時に次男が生まれ未熟児で一か月で喪った
平成になってまた子供が出来たのに6か月で死産 女の子だった
それからまた妊娠流産を経験して平成6年にアズが生まれた
なんかそのことが一番大きかったかもしれない
ああその平成6年に今の賃貸マンションを自宅を壊して建てた
ちょうどアズが生まれて一か月後の竣工だった
普通は建てたらすぐに満室になるはずだったのに、不動産屋の何たる手違いで17室中一部屋しか決まってなかった
支店が近くに新しく出来たことで契約した店との行き違いがあったのか、あるいは全室一棟貸しの計画が直前に破談になったという噂もあったのだが
詳しくは教えてもらえなかった
満室になるのに3.4か月かかったんじゃなかったのだろうか
もう一回いうが普通は満室状態で引き渡しになるものなのだ。
ああ、賃貸経営なんかしなきゃよかった はその後時々感じたものだ
大家なんて様々な人間そのものと接しなくてはならない
明日にはわかる嘘を堂々とつかれる
「さっき振り込みました」それはその場を一瞬逃げるだけの嘘なのにそんなこと言わなくちゃいかん心境になるんだろうか
今までの木工所として付き合ってきた人たちにはそんな人はいなかったのに
5.6年後に一度17室中6部屋くらい空き家になったことがあった
この時も焦ったなぁ・・大家なんかやるんじゃなかったと又思った
でも皮肉なことに今はその賃貸業に支えられている部分がある
挽物業だけだったらきっともっと厳しい経済状態だったろう
僕がやってきたのはそれくらいしかないのかもしれん
47歳くらいで離婚
自分は悪くなかったとずっと思ってきたけどそういう結果になったということはそれだけではなかったということなんだろう
息子はある程度大きくなっていたからショックは少なかったかもしれんが、娘はまだ小4くらいだったからかわいそうなことをした
それを思うと今でも申し訳なくて目頭が熱くなってしまう。
だからある時恐竜アズゴンになっても御しきれなくなった時もあるんだろう
でも今はもうアズゴンも立派に一人で生きていてくれる
まぁそれが一生の仕事になるのではないかもしれないがADのAが取れた仕事をさせてもらってるようだ。
これは臨時的かもしれんがまぁ頑張ってるってことだ。
長男は僕の仕事を手伝いながら好きな仕事をしている
一生の仕事にするつもりも無いか、好きなことの方がそりゃ面白いだろう
でもコロナでそっちの方は今は皆無に近い
一度結婚して長男を授かって離婚して、その辺りで職人さんが亡くなったことでうちの仕事を手伝い始めた
再婚して、昨年8月に女の子を授かった
僕はあまりいいじいさんではないが、思いがけずあまり仲良くなかった母親が孫の顔を見に来るようになって息子とその母親は雪解けムードです。
この5月の売上は全くの不振
不振だと補助が出るかもしれない
情けないが信用金庫に相談に行くかも
でもまぁ元気にやってます。
メルカリ5月は20個くらい買ってもらったので4万くらいは売り上げたかな?
感謝感謝です。
中島美嘉 『雪の華』
その後次々と懐かしい曲が流れてなんとなくこの30年とかを振り返ってしまった
最初はまだ普通の結婚生活をしていた。
30代の半ば? 元気だったけど何やってたんだっけな
そう思うとなんと流れに任せて生きてきたことか・・・
29歳の時に長男ユウスケが生まれたのだが、第二子に恵まれなくて、30歳の時に次男が生まれ未熟児で一か月で喪った
平成になってまた子供が出来たのに6か月で死産 女の子だった
それからまた妊娠流産を経験して平成6年にアズが生まれた
なんかそのことが一番大きかったかもしれない
ああその平成6年に今の賃貸マンションを自宅を壊して建てた
ちょうどアズが生まれて一か月後の竣工だった
普通は建てたらすぐに満室になるはずだったのに、不動産屋の何たる手違いで17室中一部屋しか決まってなかった
支店が近くに新しく出来たことで契約した店との行き違いがあったのか、あるいは全室一棟貸しの計画が直前に破談になったという噂もあったのだが
詳しくは教えてもらえなかった
満室になるのに3.4か月かかったんじゃなかったのだろうか
もう一回いうが普通は満室状態で引き渡しになるものなのだ。
ああ、賃貸経営なんかしなきゃよかった はその後時々感じたものだ
大家なんて様々な人間そのものと接しなくてはならない
明日にはわかる嘘を堂々とつかれる
「さっき振り込みました」それはその場を一瞬逃げるだけの嘘なのにそんなこと言わなくちゃいかん心境になるんだろうか
今までの木工所として付き合ってきた人たちにはそんな人はいなかったのに
5.6年後に一度17室中6部屋くらい空き家になったことがあった
この時も焦ったなぁ・・大家なんかやるんじゃなかったと又思った
でも皮肉なことに今はその賃貸業に支えられている部分がある
挽物業だけだったらきっともっと厳しい経済状態だったろう
僕がやってきたのはそれくらいしかないのかもしれん
47歳くらいで離婚
自分は悪くなかったとずっと思ってきたけどそういう結果になったということはそれだけではなかったということなんだろう
息子はある程度大きくなっていたからショックは少なかったかもしれんが、娘はまだ小4くらいだったからかわいそうなことをした
それを思うと今でも申し訳なくて目頭が熱くなってしまう。
だからある時恐竜アズゴンになっても御しきれなくなった時もあるんだろう
でも今はもうアズゴンも立派に一人で生きていてくれる
まぁそれが一生の仕事になるのではないかもしれないがADのAが取れた仕事をさせてもらってるようだ。
これは臨時的かもしれんがまぁ頑張ってるってことだ。
長男は僕の仕事を手伝いながら好きな仕事をしている
一生の仕事にするつもりも無いか、好きなことの方がそりゃ面白いだろう
でもコロナでそっちの方は今は皆無に近い
一度結婚して長男を授かって離婚して、その辺りで職人さんが亡くなったことでうちの仕事を手伝い始めた
再婚して、昨年8月に女の子を授かった
僕はあまりいいじいさんではないが、思いがけずあまり仲良くなかった母親が孫の顔を見に来るようになって息子とその母親は雪解けムードです。
この5月の売上は全くの不振
不振だと補助が出るかもしれない
情けないが信用金庫に相談に行くかも
でもまぁ元気にやってます。
メルカリ5月は20個くらい買ってもらったので4万くらいは売り上げたかな?
感謝感謝です。