木工挽物という仕事

基本的には時代遅れの仕事
正反対の位置にいるブログから発信してみます
でもブログも先端じゃなくなりましたね

父親

2020-07-19 00:49:47 | 家族
中1のときに祖父を亡くして1日だけ布団の中で大泣きした。
中2の時に祖母を亡くして何日も布団の中で大泣きした。
18の時に弟を亡くして一目憚らずに大泣きした。
でもすまんことだと思うけど親父を亡くして泣いた事がなかった。

スーパーでこんなジュースを目にする
小学生になった頃にうちにダットサンの1トントラックが来た。
それまではオートバイの後ろにリアカーを取り付けて丸椅子を何脚か積んで配達をしていたのだがトラックになってずいぶん便利になった
何しろ助手席ができてもうひとり配達人が増えることになったから
そして小学生になった僕はその助手席に乗り一丁前に自分の家の仕事を手伝う事になる
大人は右手と左手にそれぞれ3脚ずつ計6脚を一度に持って家具店の倉庫に運ぶが僕はまだ腕が短いので2脚ずつ4脚しか持てないのがちょっとだけ悔しかった
一脚250円で売ってた気がするがそれは僕が何年生の時だったかまでは憶えていない。
いずれにしても100脚納めて25000円は大金だった。
それが僕が実際仕事を始めて最後は丸椅子の天板だけの仕事になり(家具屋がパイプ脚に取り付けるようになった)
その30cmの天板が1枚1000になったところでこの仕事は終わりになった。
それが経済成長ということだろう

ああそうそう みっくちゅじゅーちゅ 当時はミックスジュースといった(笑)
配達が終わると大抵親父と僕は喫茶店に行く
その時僕がいつも飲むのがミックスジュースだった
ミルクとバナナの味中心だったが仕事の手伝いのご褒美なんだろう
親父は一見職人気質の頑固親父
他所の人には結構強気な物言いで周りの人からは扱いにくい人のイメージがあったらしい
でも家族に対してはとても優しいというかひ弱い感じの人だった
電化製品大好きでこっそり買ってくるのだが母親に文句を言われるのが嫌で一度小屋に隠して隙を見て部屋に設置する
僕にも遠慮してるとこがあって、今でも仕事場にあるのだがプレナ加工した後にもっと綺麗に仕上げる超仕上げの機械を置いた時
「ちょっと借りてるだけだ」と嘘をついた(笑)
前にも書いたことあるんだけど、組合の会合に親父の代理で行った時、
同業者のオヤジさんが
「あんたも苦労するなぁ あのオヤジさんの下で働いてるんだもんな」
ボク「えっ? うちの親父、家族には全然優しいですよ」 と言ったら
その人はもちろんその向こうにいる人まで「うそ?」と固まっていましたから
お金は稼いだんだが全部使ってしまう人
母親にも給料を出しててそれを貯めててくれたんで今もなんとか木工所は続いてきたんだろう
それも風前の灯なんだろうけれど


弟が亡くなった時は一年間毎晩お経を上げたけど親父にはあまりあげてない
今思うと自分は尊重されて育ったと思う
最後の入院生活 半年以上組合の日帰り旅行の日一日を除いて毎日見舞いに行って車椅子を押して散歩した
母親から喜んでくれてたことも聞いた
総じて僕はあんまり親不孝なことはしていないと思うが満足していてくれてたかどうかは定かではない
次の次の日が友引だったんで早朝に亡くなった翌日に葬式出しちゃったんです
それが親不孝だったかもしれんなぁ・・・ 


コメント (6)
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