古くから付き合って下さってる人は十分にご存じなんだろうけど、僕には孫が一人いる。
正確に言うと、「いた」にしなくてはいけないのだろうか
息子の別れた元嫁は新しい人と結婚して、その子、聡太は新しいお父さんの姓を名乗ってるようだから
ここでその誕生を祝ってもらったことは一生忘れないし、感謝もしている
そして、こういう結果になってしまったことに申し訳なさもずっと抱いている
いつの間にか月日は経って、彼はこの春、一年生になるという
たまに息子を通して聡太の写真を見ることが出来るけど、もう彼はうちの子じゃないということは認識しているし
その存在も忘れた方がいいのかもしれない
一年生のお祝いも何もしないほうがいいと息子からは言われている
おじいちゃんというものになりたくなかったけど、なれなかったと言われるとそれはそれで悔しい
勝手な人間の独り言です
週末、息子から一枚の写真を見せられた
ユニクロの単発素人モデルになったそうだ(笑)
大きくなったでしょ?
ありがとう
正確に言うと、「いた」にしなくてはいけないのだろうか
息子の別れた元嫁は新しい人と結婚して、その子、聡太は新しいお父さんの姓を名乗ってるようだから
ここでその誕生を祝ってもらったことは一生忘れないし、感謝もしている
そして、こういう結果になってしまったことに申し訳なさもずっと抱いている
いつの間にか月日は経って、彼はこの春、一年生になるという
たまに息子を通して聡太の写真を見ることが出来るけど、もう彼はうちの子じゃないということは認識しているし
その存在も忘れた方がいいのかもしれない
一年生のお祝いも何もしないほうがいいと息子からは言われている
おじいちゃんというものになりたくなかったけど、なれなかったと言われるとそれはそれで悔しい
勝手な人間の独り言です
週末、息子から一枚の写真を見せられた
ユニクロの単発素人モデルになったそうだ(笑)
大きくなったでしょ?
ありがとう
大きくなったねぇ
色々と複雑。じいちゃんであることに変わりはないとはいえ…色々…だね
子供には両親が必要やもんなぁ。
でも、おじいちゃんとしては、もちろん、孫の幸せを望むけど、寂しさがあるよね。
忘れる必要ないやん。
聰太くんが生まれた日、どんなに嬉しかったか。。。
聰太くんが、かっつんに似てるって言ってもらって、どんなに嬉しかった事か。。。
孫の今の環境を守ってあげる事は大切やけど、かっつんの心の中で、ずっと温めておいてもいいやん。
忘れなくてもいいやん。
聰太くんのおじいちゃんはかっつんやで。
ある方のコメントに聰太くんはかっつんに似てるって、書かれていました。かっつんにとってうれしいことだと思います。
写真を拝見すると、可愛く育っていますね!
新しいおとうさんとも上手くいっているなら、子供にとって一番でしょうね。
かっつんは寂しいと思われるでしょうが、聰太くんがかっつんのお孫さんということには変わりはないのだから、これからも成長を見守ってあげてください。
むしろ アタシなンか娘たちが小さな頃ヮ 旦那の両親ヮ 自分達の孫が気にならンのか~。って思ってたくらひデス。10年くらひ同居してたンだよぉ―。
ま!アッチヮ アッチで 祖父母が気にならんのか~。って思ってるかもねッ!笑っ~。
向こうにしたら僕が声かけするってことは、迷惑な話だろうからね
わかってるけど、血だけは繋がってるからなぁ(笑)
ま、それだけだす
そうしようと努力しようかなぁ って決意表明(笑)
よその子になってもどうしても外せないものがある
それが血の連結だからね
これに関しては、お母さんの実家と比べても同じ条件だ
というと切りがないから、黙ってることにする
まぁ、困ったことができた時に、手助け出来たらいいかな・・・
そうできるようにしておきます
新しいお父さんの所で、元気に逞しく育ってほしいと思っています
どうも弟も出来たみたいで、兄としても頑張ってほしいです
似るって不思議なことですね
別れた嫁の方はそうとも思うんかなぁ
初めの頃は誕生日なんかに服買ったり靴買ったりして送ってたんだ
いつもお礼のメールなりなんなりあったけど、
ある時、音沙汰無しだったわけ
その時に、もう離れなきゃいかんのだなぁ って悟ったよ
それがきっかけでこういう気持ちになったんだ
自然でしょ?(笑)
私の胸はキューンと痛いです。
孫って子以上に可愛いものらしい、と思ったのは私が長男を産んだ時。
どんなに孫が可愛かったのか、どんなにきげんが悪い時も、孫をだっこする父の顔は目じりが下がっていたよ。
かっつんさんの複雑な胸の内をおもうと、父を思い出したわ。
血の濃さはどこまでも続くんだよ。いつまでも思い続けて幸せを祈って上げてね。
彼の幸せを願うことはできるし、しても迷惑じゃないでしょう
あの生まれた時あたりを振り返ると、ここでの友達に「じいちゃんって呼ぶな」って言ってたし、祖父としての自覚が足らなかった報いなんじゃないかと思います。
そういう反省もしておきます(笑)
時々でも触れてたなら、その可愛さも、それを失う寂しさも実感できてたんでしょうが、ほとんど触れてないので、幸か不幸かそれは知らないままでした。
だから哀しさはありません
元気です
第三者としての応援団のつもりでいきます。