☆ 住 吉 大 神 浄 め 給 う ☆

天皇陛下、ありがとうございます。ご先祖の皆様、お父さん、お母さん、家族の皆様、ありがとうございます。

『 生命の實相 』 ― 生命力を振起せしめる文章術の極致

2020-04-08 21:58:30 | 今日の光明法語
谷口雅春先生
『 生命の實相 』 第37巻 幸福篇 上 20頁

< 患者の心を動揺せしめないで、生命力を内から振起せしめるのは 術 である。
読書によって 生命力を振起せしめる文章術の極致を示したのが 『 生命の實相 』 である。

これから後世(こうせい)に、もっと強く生命力を振起させる文章が出て来るかもしれない。
出ることを望む。

ともかく、薬物でないと生命力は振起しないと思われていたのを
文章術によって 生命力を振起する道を拓(ひら)いたのが 『 生命の實相 』 である。




詩の朗読による将来の運命の生かし方 

2020-04-08 16:02:45 | 今日の光明法語
「 言葉の力 」 即ち 「 言葉の創造力 」 を大いに活用したいものです。

< 革表紙の『生命の實相』の終(おわり)のところに「 生長の家の歌 」( 『 生命の實相 』
聖詩篇 生長の家の歌 新編版 第33巻 161~237頁、頭注版 第20巻 163~219頁 )といって、
力強い美しい言葉で書き綴(つづ)った詩をあつめた所があります。

徳山さんは 同志社におられた頃から詩の朗詠が大変好きでありましたが、毎朝、生長の家の歌の中の
「生きた生命」という詩と、「夢を描け」という詩を読むことが好きで好きで仕方がなくなったのです。

読むと力が出てくるのです。「生きた生命」の方の詩の一部を皆様に御紹介いたしましょう。
皆様もこれをお読みになると勃然(ぼつねん)と勇気が湧いてきて、明るい人はいよいよ明るく、
失意に沈む人も、再びこの世に希望が湧いてくるでしょう。

生きた生命

名乗(なの)れ、境遇に屈従(くつじゅう)する卑怯者(ひきょうもの)は誰(たれ)だ。
誰がわが生命を食べ物でこねあげた塊(かたまり)だと思っているのだ。
生命は蝋細工(ろうざいく)ではないぞ。
石膏細工(せっこうざいく)でもないんだぞ。

おれは旋風(せんぷう)だ。
颶風(ぐふう)だ。
渦巻(うずまき)だ。
おれは環境を
徐々(じょじょ)にわが望みのままに
飴(あめ)のように
捻(ね)じまげる。

俺は宇宙を造った大いなる力と一つの者だ。
おれは空中電気を雷(かみなり)に変じ、
太陽の光を七色(なないろ)の虹(にじ)に変じ、
真黒(まっくろ)な土から燃えるような赤い花を咲かし、
火山を爆発さし、
あの不思議な星雲(せいうん)から、
太陽系を生んだところの大(おお)いなる力と一つの者だ。

環境が何だ、
運命が何だ、
おれはおれの好きな時が来れば
鰻(うなぎ)が石垣(いしがき)の間から脱(ぬ)け出すように、
どんな運命からでも脱け出すのだ。
・・・・・

毎日朗々(ろうろう)とした徳山さんのこうした詩の朗読の声が、朝の澄(す)み切った空気を
顫(ふる)わせて響いてきますと、徳山さん自身の魂は振(ふる)い起つのでした。

必ず良い運命が来るぞ。 『生命の實相 』 の本の中には、心に描いて心を明るくして待つものは
必ず実現する
と書いてあった。」

こう徳山さんは 勇(いさ)み立たずにはいられませんでした。ところが徳山さんが心の中に
「 必ず良い事が来るぞ 」 と描いていた種は、とうとう芽を吹き生長する時が来ました。
・・・・・
徳山さんはルンペンから一躍(いちやく)して、日本一の大きい料理屋の総支配人になった
のでした。・・・・・>

谷口雅春先生
『 人生読本 』 247~259頁 光明思想社  http://komyoushisousha.co.jp/m_taniguchi/529/



「 霊界篇 」 を紐解く

2020-03-31 10:22:54 | 今日の光明法語
谷口雅春先生は、「 霊界篇 」 の中で、どのあたりを説かれているのか、
『 生長の家 』 昭和48年8月号より一部 。( 原文は正漢字・歴史的仮名遣いである )

< もう私も数え年八十一歳である。今年の十一月二十二日になれば 満八十歳に
なる訳である。 『 生長の家 』 誌も 創刊以来 四十四周年を数える。・・・・・

今年の春の彼岸会の布教功労者のための本部の慰霊祭で其の席に列席した遺族の方々に
私は 「 死はない 」 ということを知って頂きたいと思って朗読したこともあるのである。・・・・・>

< 谷口雅春先生
新編 『 生命の實相 』 第18巻 霊界と死後の生活 下
・48頁2行目~49頁1行目 ・51頁6行目~11行目 ・56頁4行目~58頁8行目 >

< ‟ この新時代に於ては人間は決して死なないものだということを人類は悟るであろう。”
彼等は人間の葬(とむら)いの儀式とは ただ肉体を葬(ほうむ)るだけのものであって、
『 真の人間 』 を葬(ほうむ)るものではないことを悟るであろう。

‟ かつて知りかつて愛したところの人は 常に吾等の周囲にその生前よりも遥かに偉大に、
遥かに善良に、永遠に幸福に、悠久に、無窮に、神の祝福の微笑を自己の上に浴びながら
生きているのである。”> 

『 生命の實相 』 新編版 第18巻 51頁  頭注版 第10巻 霊界篇 下 108~109頁


< 間もなく全世界の人類は、神の造り給える此の世界には、人間自身が信念によって
創作しない限りは 何一つ醜いものは存在せず、何一つ悪なるものは存在せず、
何ひとつ恐怖すべきものは 存在しないことを悟るに到るであろう。
‟ すべての醜さ、すべての恐怖すべきものは 何一つ実在ではないのである。”
・・・・・
あらゆる人は 永遠に生き、神と偕(とも)に生きるのである。どこにもこの世界には
恐怖すべき何物も実在しないのである!>  

『 生命の實相 』 新編版 第18巻 48~49頁  頭注版 第10巻 霊界篇 下 106~107頁




毎日一時間 真理の光で心を照らせ

2020-03-29 22:33:33 | 今日の光明法語
谷口雅春先生
『 生命の實相 』 新編版 第4巻 30~31頁  頭注版 第2巻 69~70頁

< 毎日一時間ずつ 「 真理の光 」 で自分の心を照らすことにしていれば、
たといその日にふとした機会に、どんな悪性の病気の 「 心的種子(しんてきたね) 」 を
自分の心の底に蒔(ま)かれていようとも、病気の種子(たね)は枯れてしまって、
現実に芽を吹くことは出来なくなるのであります。

毎日一時間 真理の光で心を照らせ

毎日一時間ずつ 「 真理の光 」 で自分の心を照らす ― それには どうしたら好(よ)いかというと
『 生命の實相 』 のように生命の真理を書いた本を読むのが一等(いっとう)好いのであります。
吾々の 「 生命 」 とは 「 神の子 」 であります。神の分身(わけみ)、分魂(わけみたま)が
吾々の 「 生命 」 であります。

だから 決して吾々は病気になれない本性(ほんせい)をもっているのです。この吾々の尊い無限力の
神の子としての本性を知ることが真理を知るのであって、真理を知れば知っただけの力が出るし、
知らなければ知らないだけの力しか出ないのであります。 >




五官を信ぜず、神の創造を信ずるのが信仰である

2020-03-29 22:07:55 | 今日の光明法語
谷口雅春先生
新編 『 生命の實相 』 第34巻 聖語篇 

五官を信ぜず、神の創造を信ずるのが信仰である。               131頁

真理への道はただ一つ ― 人間は神の子だ ― ということである。         4頁

本当の自分が “ 神の子 ” であることを知ることが、人間の本当の幸福である。
生長の家は この幸福を知らせるために出現したのである。            173頁

省(かえり)みて 迷いと本性(ほんせい)とを区別し、迷いの相(あらわれ)を否定し尽(つく)し、
円満完全なる自性(じしょう)を肯定しつくしたとき、五官の眼(め)でこれが自分だと思っていた
不完全な相(すがた)が消滅して、円満完全融通無礙(ゆうずうむげ)なる自分の本性が 開顕(かい
けん)するのである。    72頁

生長の家の生活は すべてが与えられた生活であるから、感謝の生活のほかはない。  91頁



神性を自覚するための三大秘法

2020-03-29 00:06:18 | 今日の光明法語
谷口雅春先生
『 如意自在の生活365章 』 177~179頁

「 何よりも大切なのは、無限の愛と智慧と生命と力の本源である ‟ 神 ”が自己のうちに
宿っていられるのだという ‟ 自覚 ” を深めるということである。

この ‟ 自覚 ” を得(う)る程度に従って、人間は一切の憂い、悩み、恐怖、苦しみなどから
解放されることになるのである。

この自覚は人間が神の子であるという真理を述べたところの 『 生命の實相 』 『 真理 』 などの書物、
および聖経を怠らず毎日読むということおよび、 ‟ 神 ”は ‟ 愛 ” であるから、毎日何らかの
‟ 愛行 ”をなすということ、神想観を毎日実修して、俗世間に属する雑念を除き去り、
ひたすら、‟ 静 ” の中に 神との一体感を深めることによって得られるのである。

聖典および聖経の読誦、愛行、そして神想観こそは、自己内在の ‟ 神性 ”を自覚し、
魂を向上させ、現象的には無数の幸福を実現することを得るための三大秘法であるわけである。

あなたの運命は自己の神性の自覚から

自己の ‟ 神性 ” が深く自覚されるに随(したが)って、あなたは あらゆる種類の自己制約や
劣等感から解放されることになるのである。

完全なる自由が、「 人間・神の子 」 の本来の性質なのである。不幸からの自由、災難からの自由、
貧乏からの自由、病気からの自由・・などは人間本来の性質であり、実相であり、本具の特権である。

その本来の実相があらわれるとき、一切の不幸、災難、貧乏、病気などの災いから自由になって、
ただ祥福(しょうふく)のみがあなたの運命に実現することは 当然だといわなければならない
のである。」


宇宙に満つる心-創造力

2020-03-27 11:12:25 | 今日の光明法語
谷口雅春先生
『 幸福を招く365章 』 新版 7頁 旧版 6~7頁

「 人間の生命は、宇宙全体の生命の一部分であり、
人間の心は 宇宙全体の心の一部分であるのである。

星を造り、太陽を造り、一切万物を造ったと同じ心の力が、
人間に宿っているのである。
だから人間の心は一切のものを造ることが出来るのである。」


人間は金剛不壊の如来身である

谷口雅春先生
『 如意自在の生活365章 』 38~39頁

「 われ今、五官の世界を去って 実相の世界に入る 」 の境地が深くなって、
はじめて、霊身・金剛身・不壊身・如来身・仏身なる ‟ 本当の自己 ” を自覚することが
できるのである。

物質的肉体の身は仮像(けぞう)であって、 ‟ 本当の自分 ” は 霊身・金剛身・不壊身・如来身・
神の子であることを如実に知ったとき、その人は “ 新たに生まれた ” と言い得(う)るのである。 」




真言の実現力

2020-03-23 15:55:32 | 今日の光明法語
短柵を作り、玄関のドア内側、冷蔵庫、テレビの前、白色ボード板等に掲げております。

谷口雅春 先生
『 生命の實相 』 万教帰一篇 新編版 第21巻56~57頁、 頭注版 第12巻129~130頁

「 すべての生物、その所を得(え)て、相 侵(あいおか)さざるは 神の道なり 」
この言葉は 実相を描いた言葉です。・・・・・・

‘ 全ての生物その所を得て、自からの生活を楽しみ生きつつ相(あい)侵さない
至妙の大調和の状態は 既にあるのです。’ 既にその大調和の世界が そこにある実相を、
堀徳蔵さんが その言葉を書くときに憶念(おくねん)せられた。

「 衆生(しゅじょう)実相(ほとけ)を憶念(おくねん)すれば、実相(ほとけ)衆生を憶念す 」
という言葉がある。堀徳蔵さんが実相を憶念されたから、・・・・・
一切の生物が大調和の実相が 現象界に顕現したのであります。・・・・・

真理の言葉、即ち「 真言(しんごん) 」 の力というものは偉大な実現力のあるものであります。
キリストも 「 天地は滅(う)せん、されど吾が 言葉は失(う)せず 」 といっています。
これは 真理の言葉の力の如何(いか)に偉大なものであるかを物語っているのであります。





谷口雅春 先生
『 生命の實相 』 新編版 第14巻48頁 頭注版 第8巻31頁

病源が黴菌だと信ぜられている場合には、その信念を打消(うちけ)すために

一切 生きとし生ける物は 実相の世界に於(おい)て調和している。
黴菌が人間を害しているように見えているのは 恐怖心の現(あらわ)れで虚妄である。
黴菌といえども人間と完全に調和していて 害するということはないのである。
自分は一切生物と調和して平和である 」

というふうに念じます。


【 参 考 】

※ 聖句の中の <全(すべ)ての生物>は、<ウィルスは「非細胞性生物」あるいは「生物学的存在」と
見なされている>( 『 ウィキペディア(Wikipedia) 』)、また、谷口雅春先生の天地万物に対する観方
から、「 ウィルスも包含している 」ものと思われる。

※ ウィルスはウィルス粒子で構成。生きた生物の中でのみ生存、増殖される。
自己増殖はできないが、遺伝子を有するという、非生物・生物の両方の特性を持っている。
感染することで宿主の恒常性に影響を及ぼし、病原体としてふるまうことがある。


以下、『 ウィキペディア(Wikipedia) 』より。

ウイルスは細胞を構成単位とせず、自己増殖はできないが、遺伝子を有するという、非生物・生物両方の特性を持っている。自然科学・生物学上、生物・生命の定義を厳密に行うことはできていないため、便宜的に細胞を構成単位とし、代謝し、自己増殖できるものを生物と呼んでおり、ウイルスは「非細胞性生物」あるいは「生物学的存在」と見なされている。感染することで宿主の恒常性に影響を及ぼし、病原体としてふるまうことがある。

ウイルスは様々な点で一般的な生物と大きく異なる。

1. 非細胞性で細胞質などは持たない。基本的にはタンパク質と核酸からなる粒子である(→ウイルスの構造)。
2. 大部分の生物は細胞内部にDNAとRNAの両方の核酸が存在するが、ウイルス粒子内には基本的にどちらか片方だけしかない。
3. 他のほとんどの生物の細胞は2nで指数関数的に増殖するのに対し、ウイルスは一段階増殖をする。またウイルス粒子が見かけ上消えてしまう「暗黒期」が存在する。
4. 代謝系を持たず、自己増殖できない。他生物の細胞に寄生することで増殖できる。
5. 自分自身でエネルギーを産生せず、宿主細胞の作るそれを利用する。



笑いで引き出す無限のよろこび !! 免疫力アップ ↑

2020-03-08 23:01:15 | 今日の光明法語
体全身で 心の底から 笑いましょう !



わが魂の 底の底なる神よ
無限の喜び 湧(わ)き出(い)でよ !

うれしいな ぁ ~  たのしいな ぁ ~  ありがたいな ぁ~   あーはっはっはー!

あーはっはっはー、あーはっはっはー、

あーはっはっはー、あーはっはっはー、

あーはっはっはー、あーはっはっはー、




わが生命の 底の底なるいのちよ
無限の喜び 湧(わ)き出(い)でよ !

うれしいな ぁ ~  たのしいな ぁ ~  ありがたいな ぁ~ あーはっはっはー!

あーはっはっはー、あーはっはっはー、

あーはっはっはー、あーはっはっはー、

あーはっはっはー、あーはっはっはー、




わが魂の 底の底なる神よ
無限の力 湧(わ)き出(い)でよ ー

わが魂の 底の底なる神よ
無限の喜び 湧(わ)き出(い)でよ ー

わが魂の 底の底なる神よ
無限の笑い 湧(わ)き出(い)でよ ー


うれしいな ぁ ~  たのしいな ぁ ~  ありがたいな ぁ~  あーはっはっはー!

あーはっはっはー、あーはっはっはー、

あーはっはっはー、あーはっはっはー、

あーはっはっはー、あーはっはっはー、









真理の書は 何故(なぜ)幾度(いくど)も読まねばならぬか  谷口雅春先生

2020-03-04 12:28:15 | 今日の光明法語
「 人間 ・ 神の子、完全円満 」 と知っているだけでは それは形の世界に
実現し得(え)ないのであります。赤い絵の具は たしかにあると知っているだけでは、
赤い色は画面(がめん)にあらわれません。

『 生命の實相 』 を読んで、 「 人間 ・ 神の子、完全円満 」 と知って、
もう万事(ばんじ)わかったと、読むことを捨ててしまう人がありますけれども、
これは 「 赤い絵の具はある 」 と知っただけで、画面に赤い色を塗らない画家(えかき)と
同じことです。

真理の言葉を 繰返(くりかえ)し読むことによって、画面に 「 赤い絵の具 」 を
繰返し塗(ぬ)るのと同じで、潜在意識面に 「 人間 ・ 神の子、完全円満 」 の観念を
繰返し塗ることになるのです。

若(も)し そうしなかったならば、間断なく外界(がいかい)からやって来る 「 人間は
物質的肉体だ。死すべきもの、病(や)むべきもの、老衰(ろうすい)する者だ 」 と
云(い)う観念の暗示で 潜在意識が一ぱいに塗りつぶされ、その暗示の通りに 老い
病み 且つ 死するのです。


新装新版 『 真理 』 第 9 巻 22頁  光明思想社
http://komyoushisousha.co.jp/m_taniguchi/m_taniguchic/cat_truth/

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「 三正行 」 即ち 聖典・聖経の読誦行 と 愛行 と 観行は、
生長の家の三大秘法とも云われているものであります。


胎児は人間であり、絶対価値の生命である  

2020-02-24 22:47:46 | 今日の光明法語

「 胎児は 人間である 」 という生命の真実を 国民の常識として
 ゆかなければならない。

谷口雅春 先生
『 理想世界 』誌  昭和48年8月号

人間は、神の生命が天降ってきて、そして神の生命の個性的顕現として、
その人でなければ出来ない特殊な個性を与えられ、使命を授かって
地上に顕現しているのである。

この事実の内にこそ 人間生命の尊重の根拠があるのである。
唯物論的人間観では その根拠が失われてしまう。

指紋の同じ人間が一人も居ない。それと同じ様に、全ての人間は、
神から与えられた使命が異なるのである。

だからその人間が出現して来つつあるのを途中で殺す、言い換えると堕胎する ー
人口妊娠中絶するということは、せっかく神が個性を与えて特殊なる使命を
与えられて神の生命が自己実現して来ようとしているのを中断してしまうことになる。
それは取返しのできない過ちをおかしたことになるのである。

その人間の魂は別の人間を以ては、代用することの出来ない、全然違う個性と
使命を持って生まれて来るのであるから、彼は絶対価値の生命である。

かけ換えのない代用品の無い貴い生命であるのを殺して仕舞うというのは、
神の計画に対する非常なる反逆であるということになるのであります。



「肉体は人間でない」と根本的に自覚することが、「自我の新生」であり、コンヴァーションであります  谷口雅春 先生  

2019-12-07 12:48:36 | 今日の光明法語
「 我(われ)が何々を欲する 」といっても、その「 我 」の正体が「 肉体 」という自働装置の「 心 」であるか 「 霊(たましい) 」そのものの「 想い 」であるかが問題であります。

肉体は「 霊 」の使う道具であり「 霊 」が飼っているシェパードみたいなものである。肉体は「 本当の自分 」じゃないので、一つの道具であって、恰(あたか)もシェパードが番犬という「 道具 」として備えられてあるのと同じであります。

それが、たとい道具でありましても、道具としても一代かぎりでは困るものですから、「 肉体 」という道具には、オートメーション式に、食欲を起(おこ)して食物を摂取して エネルギーの消耗を補給し、一代きりで、次の代がなくては困るからオートメーション的に性欲も起きるように構造され、

その肉体の生活を維持するには いろいろの物質も要(い)るから 物質に対する所有欲も自働的に起るようになっており、睡眠によってのみ補給される成分もあるから 自働的に睡眠欲も起るようになっております。

所謂(いわゆ)五欲というやつが 肉体それ自身の自働的作用として起っている訳なのであります。それですから、これらの欲望は、“ 本当の自分 ”( 霊的自我 )の願いではなく、肉体の自働装置から起る作用ですから「 自我 」のように見えても「 我 」ではない。

( 中略 )

肉体の性欲や食欲に 霊(たましい)が無統制に引きずられて行(ゆ)くのは、肉体というシェパードに霊(れい)が引きずられて行く逆様事(さかさまごと)であります。

私たちが自由を得(う)るには、どこまでも「 肉体 」というものを「 人間 」そのものだと考える考え方を捨てなくてはなりません。「 肉体は人間に非(あら)ず 」という事は、聖経や神示にも示されておりますし、いろいろの生長の家の書物の中にも書かれてあるのでありまして、「 肉体は人間でない 」と根本的に自覚することが、「 自我の新生 」であり、コンヴァーションであります。

( 中略 )

私たちのように、「 霊的自我 」に目覚めた人たちは、出来るだけ力をつくして、「 肉体は人間そのもの 」ではなく、人間が念絃(ねんげん)即(すなわ)ち「 想念の絃(いと) 」によって弾奏した曲譜が外界に具象化した形だということを人類に知らさなければなりません。

だから此の神示には「 生命はその念絃の弾ずる曲譜に従って 肉体を現(あらわ)すのである 」と示されているのであります。

谷口雅春先生  『 到彼岸の神示 』 神示講義・自覚の巻   228~231頁

( 原文は正漢字、歴史的仮名遣い。改行なし。 )




心に認めたものだけが 現象世界に現れるのが 現象顕現の法則である  谷口雅春 先生  

2019-12-03 11:32:38 | 今日の光明法語

吾々人間は神の子である。ああそうだと気がついたら、もうその時に吾々にとって迷いは消えている。消えているけれども迷いがあるように見える。それはちょうど、星が消えていてもその光の達する年月の間は、その星があるかのように見えるようなものであります。

だから、吾々が「人間は神の子である。ああそうだ」と気がついたらちゃんとみんな成仏しているのです。みんな仏であるのです。けれどもそこに昔の薫習が、遠方の星の光のようにちらちらと或る期間光っている。

その光っている星のまたたきのようなものが吾々の薫習として残っていて、時々羊や犬に育てられたライオンが実相を忘れて羊の真似をしたり、犬の真似をするように、吾々は神の子である仏の子であると悟っていて時々煩悩具足の凡夫のような真似をするのであります。

煩悩具足の真似をしても、それは業がするのであって、自分は神の子である仏であると悟れば、もう自分というものの内容(なかみ)が置き替わっている。

今迄は業を自分だと思っていたが、今は業は業であって、自分は神の子であるとチャンと分離していて、業本来実在ではない、神こそ渾ての渾てだと解っているので、業がどんなに自叙自壊しても、それに捉われなくなるのであります。

神こそ渾てである。迷いはない、この世は光明一元の世界である ― この事が悟れると、心に認めたものだけが 現象世界に現れるのが 現象顕現の法則であるから、光明一元の世界が そこに現れて現象世界は唯々 「 善となり、義となり、慈悲となり、調和おのずから備わり、一切の生物 処を得て 争うものなく、相 食むものなく、病むものなく、苦しむものなく、乏しきものなく 」 供給無限の理想世界が顕現するのであります。

谷口雅春先生  新編 『 生命の實相 』 第 35 巻  28~30頁
聖経 『 甘露の法雨 』 講義 ・ 聖経 『 天使の言葉 』 講義 上  光明思想社

http://komyoushisousha.co.jp/m_taniguchi/1817/




【 31 光明日訓 】  吾(わ)れは 勝利と栄えのみを引きつける

2019-12-02 22:33:55 | 今日の光明法語
吾れは 吾れに関する一切は 完全円満なりと云(い)う微妙(いとたえ)なる雰囲気を
放射する。此処(ここ)に入(い)り来(きた)る者は その雰囲気を感ずるのである。

吾れは 吾が成さんと欲する事が必ず成就すると云う信仰を常にいだいて離さない。
吾れは 失敗と衰微(すいび)との事は考えないのである。
唯(ただ)勝利と成就とのことのみを考えるのである。


( 『 日々読誦三十章経 』 )
平成31年版 『 光明日訓 谷口雅春先生 真理の言葉 』  光明思想社

http://komyoushisousha.co.jp/m_taniguchi/1819/




【 30 光明日訓 】  与えるものがなくとも 幸福な表情は与えることが出来る

2019-12-02 22:16:53 | 今日の光明法語
われわれが全世界に善き表情を与えたならば、世界もわれわれに善き表情を
与えてくれるのである。こちらが微笑(ほほえ)みかけるならば、相手も微笑みかけて
くれるのである。

( 中略 )

われわれは最も豊富な美しい愛の感情を この世界に与えることにしたならば、
全世界がサブライム<荘厳(そうごん)な>美しい愛の感情で満たされることに
なるのである。

( 頭注版 『 生命の實相 』 第27巻 )
平成31年版 『 光明日訓 谷口雅春先生 真理の言葉 』  光明思想社

http://komyoushisousha.co.jp/m_taniguchi/1819/