☆ 住 吉 大 神 浄 め 給 う ☆

天皇陛下、ありがとうございます。ご先祖の皆様、お父さん、お母さん、家族の皆様、ありがとうございます。

「 生長の家 」 創始者 谷口雅春先生を学ぶ会 第5回 全国大会

2017-03-31 20:12:00 | 今日の光明法語
救いの光を今、わが人生に、
わが家(いえ)に、わが祖国に!


日時平成 29 年 4 月 23 日( 日 )
10 時 ~ 16 時

会場明治神宮 神宮会館

集え!魂の祭典へ!!
真実(ほんとう)の教えがここにあります。
歓喜(よろこび)の生活がいま始まります。


ゲスト講師
武 田 邦 彦 氏 ( 中部大学特任教授 )
「 ホンマでっか!?TV 」(フジテレビ・レギラー)、
「ビートたけしのTVタックル」(テレビ朝日)に出演中。

テキスト: 新編 『 生命の實相 』 倫理篇

奉納金:3000円以上(弁当代別 700円・・・事前申し込みが必要です。)

※中学生以下は、奉納金不要、弁当代は実費です。
(中学 3 年生までは、無料で参加できます。)

※親子室もあります。お子様と一緒にご参加下さい。


祈願券の祈りの言葉

健康を成就する思念の言葉

吾れは自己が完全に健康であることを思考する。
いま、吾れは既に癒されたのである。


希望を実現する思念の言葉

神の智慧われに流れ入りて、われを平和と、
幸福と、繁栄の道に導きたまう。


※ 5月末日まで毎日、皆様の切願成就をお祈りさせて頂きます。

http://manabukai.org/dcms_media/other/%E7%AC%AC%EF%BC%95%E5%9B%9E%E5%85%A8%E5%9B%BD%E5%A4%A7%E4%BC%9A%E3%83%81%E3%83%A9%E3%82%B7.pdf




< 日本の誇り > 元田永孚(もとだながざね)― 表に出ない明治第一の功臣(こうしん)

2017-03-22 00:35:46 | 天皇・国家
明治天皇に侍講(じこう)として仕えた元田永孚は文政元(一八一八)年生まれの
熊本藩士で、明治四年から二十四年まで明治天皇に帝王学をご進講した。

元田はすぐれた人格と学問見識を有し、明治天皇の師傅(しふ)として、
あるいは政治の最高顧問として最も信頼された明治の隠れた偉人であった。
西郷隆盛を別にして元田ほど深いご信任を得た人物はほとんどいない。

元田がご進講したことは、日本国体の尊厳、君徳(くんとく)の根本、忠孝仁義の倫理、
国家民族の治乱(ちらん)盛衰(せいすい)の理(ことわり)と歴史などであった。

国家を治める根本は祭祀(さいし)、道徳、教化にあり、何よりも大切なものは
人君・国家指導者の姿勢、心得であるとし、君主の基本姿勢として、
神々、先祖及び国民に対して敬畏(けいい)、謹慎、謙譲、慈愛の心をもち、
常に内省して徳性、心術(しんじゅつ)を磨(みが)くことを繰返しご進講した。

明治天皇はその教えを生涯 身を以(もっ)て実践された。天皇と元田の関係は
真に君臣(くんしん)水魚(すいぎょ)の交(まじ)わりであった。

明治天皇は政府から重要問題の奏聞(そうもん)があるごとに先ず元田の考えを聞かれた。
元老(げんろう)筆頭の伊藤博文(いとうひろぶみ)は至尊(しそん)(天皇)の背後に
必ず至高顧問があると推察したところ、それは元田であった。

元田の働きは ほとんど表にでないが、重大なものとしては 教育勅語(きょういくちょくご)の
発布において、明治天皇の御心(みこころ)を体し、井上毅(いのうえこわし)と協力し合った
ことである。


副島種臣(そえじま たねおみ)は 元田を明治第一の君臣とし、
「 君徳(くんとく)の大を成すに与(あずか)って最も力ある先生なればなり 」 と
たたえた。

岡 田 幹 彦 著 
『 日本の誇り103人 ― 元気のでる歴史人物講座 ― 』 ( 190 ~ 191頁 ) 光明思想社



『 教育勅語の真実 』 はしがき

2017-03-11 23:48:15 | 天皇・国家
はじめに

世界が感嘆した日本人の国民性

平成23年3月11日、東日本の太平洋沿岸を未曾有の地震と津波が襲いました。
二万人を越える死者・行方不明者を出し、東京電力福島第一原子力発電所で
起こったあの深刻な事故が、日本国民の心を何日も衝撃と不安に揺り動かし続けました。

しかし、そうした中、この大災害に対処した日本人の冷静沈着な行動に対し、
世界中の人々が感嘆と称賛の声を寄せたことは、今なお記憶に新しいところです。


東京においても電車が全面ストップして帰宅難民があふれる中、やむをえず、
徒歩で家路を急ぐ人々に対して、沿道の企業や商店、学校などがロビーを開放して
休息所やトイレを進んで提供した事例が、テレビなどで数多く報道されました。

中には社員総出で帰宅する人々に、自社を開放していることを知らせ
「 皆さん頑張りましょう 」 と呼びかけた会社もあったといいます。

震災の翌朝、私が訪れた新宿駅では、帰宅が困難になった方々が階段に座って電車が
動き出すのを待っていました。しかし、誰が呼びかけた結果なのかよくわかりませんが、
座る場所もないくらい混雑している中でも、中央の通路だけは 「 通る人がいるから 」 と
空けてあったのです。



計画停電が実施された時には、電車の本数が削減されたこともあり、どの駅も乗客が
入れきれないような大混雑となりました。しかし、この時も一切混乱はありませんでした。
人々は文句をいうこともなく、ただひたすら駅員の指示に従い、整然と行列をつくって、
電車の来るのを静かに待ちました。

それを見たあるドイツ人が、「 日本国民はアーミーか 」 と叫んだそうです。
軍隊でしか考えられないような規律正しさを、日本国民は示したのです。

さらに、震災直後から続々と手を挙げたボランテイア希望者の数や義援金の総額など、
いずれも私の想像を越えるものでした。

こうした状況を、アメリカのニュース専門チャンネルCNNテレビは
「 住民たちは冷静で、自助努力と 他者との調和を保ちながら 礼儀を守っている 」 と報じ、
またハリケーン被害に遭ったニューオリンズのケースと比較しながら、
商店などの略奪行為について、「 そんな動きはショックを受けるほど皆無だ 」 と
仙台からリポートしています。

あるいは、中国の新華社通信の記者は、「 信号機が停電し、交差点に警察官も立っていない
のに、ドライバーはお互い譲り合い、混乱はまったくない 」 と驚きをもって伝えていました。

それだけではありません。中国国内では、避難所で十分な食料もない当初は、
被災者が順番を守り、列をつくって少ない食物を平等に分配し、しかも全員が
感謝の意を表しているニュース映像に、「 われわれ中国人は、モラル、道徳心の面では
まだまだ日本に遠く及ばない。被災した日本人に学ばなければならない 」 との声が
期せずして挙がったといいます。


日本人のDNAとなっている 「 教育勅語 」

私は大東亜戦争終結後、日本人は拠(よ)るべき心の支えを失い、「 このままでは、
日本は絶望的ではないか 」 という暗い気持ちになることも しばしばありました。

しかし、今回の大震災は、その廃(すた)れたと思っていた道徳心や倫理観が、
まだまだ日本人の心の中にDNAとして立派に生きていることを私に実感させてくれました。


それは、日本の美しい自然や風土の中で培われた先天的資質、という面も
あったかもしれません。しかし、やはり大部分は教育の結果だろうと思うのです。

昨年、「 トイレの神様 」 という歌が大ヒットしました。トイレ掃除が苦手な少女が
おばあちゃんからトイレには女神様がいるから、毎日一所懸命に掃除をすると
美人になれるよ、と教えられたという歌です。

聴いていて私などホロリとさせられた次第ですが、これと同じように震災に立ち
向かった人々の中には、道徳心や倫理観を大切にした戦前の教育を受けたおじいちゃんや
おばあちゃんから、息子、孫へと継承された 「 日本人の心 」 があったのだろうと思うのです。

それを培ったのは、戦前の 「 修身 」 教育であり、 「 修身 」 の骨格をつくった
「 教育勅語 」 だったと思います。こうした心の教育があって初めて、相手の思いやりや
礼儀正しさ、秩序を守る心などが育(はぐく)まれたのではなかったのでしょうか。


それと もうひとつ、今回の震災後の対応で感動的だったのが、わが身の危険も顧みず、
福島第一原発では現場に赴(おもむ)き、地震・津波の被災地では懸命に死者、行方不明者の
捜索・救援にあたった自衛隊員、消防隊員、警察官などの行動です。

例えば、自衛隊が福島原発での放水作戦に出動が決まった時のこと。
「 これはいわば覚悟の作戦だ。強制はしない。行ける者は一晩じっくり考えて
自分の気持ちを固めてほしい 」 と述べた上官の言葉に対して、
全員が躊躇(ちゅうちょ)なく 「 自分が行きます 」 と口をそろえて答えたといいます。

また、勤務先から直接、福島第一原発へ行くように出動命令が下った、ある消防レスキュー隊の
隊長が、家族に対して「 必ず帰ってくるから、それまで安心して待ってくれ 」 という
メールをしたところ、奥さんから 「 家族のことは心配なさらず、日本の救世主になって
ください 」 というメールが返ってきたという感動的な報道もありました。

まさに、自己犠牲をいとわず公のための任務を遂行するという、われわれのまぶたを
熱くするようなできごとがあったのです。

もちろん自衛隊員は、 「 事に臨んでは危険を顧みず、身をもって責務の完遂に努め、
もって国民の負託にこたえる 」 と宣誓して自衛官になっており、これは他の公務員とは
比較にならない重い義務だともいえるわけですが、その奥にあるのは、「教育勅語」にある
「 一旦(いったん)緩急(かんきゅう)アレハ、義勇(ぎゆう)公(こう)に奉(ほう)シ 」 と
いう精神だったのだと思います。


こうした意識は、なにも自衛隊員や警察官などの公務員に限りません。
有名な話が、宮城県南三陸町職員で防災放送を担当していた遠藤未希さんです。
彼女は最後まで 「 皆さん、津波が来ます。逃げてください 」 という放送を続け、
最後に津波にのみこまれて亡くなりました。

たとえ自分の身は危険にさらされても、津波が来る瞬間までマイクを握り続けた姿は、
大東亜戦争の末期、樺太(からふと)の電話局で交換手をしていた乙女たちが、
ソ連軍が侵入してきたにもかかわらず最後まで職場を守り、 「 これが最後です。皆さん、
さようさら、さようなら 」 といって自決していった姿に重なります。

また、海水の侵入を防ぐために水門を閉めにいって津波に流された消防士も、
お年寄りを助けにいってそのまま波にさらわれ殉職した警察官もいました。

以下は岩手県の陸前高田市の市長さんから聞いた話です。
同市では六十八人の職員が亡くなられていますが、その大半が 「 危険だから行くな。
みんな避難しろ 」 という声を振り切って、市民を守るために職場を飛び出していった職員だった
とのことです。市長さんは 「 だから、亡くなった六十八人は、私にとって掛け替えのない
職員だったんです 」 と声をつまらせておられました。

自分の身を顧みず、勇気を奮い起こして 「 義勇公ニ奉シ 」 たこの人たちの姿は、
まさに 「 教育勅語 」 が説いた日本人の生き方そのものでした。

「 教育勅語 」 の精神が 今も精神のDNAとして日本人の心の中に残っていたとしか
考えられません。また、これらの話に感動した人たちも、そのことを思い起こしたのでは
なかったでしょうか。

このことは、アメリカ・ジョージタウン大学教授で日本文学の研究者でもある
ケビン・ドークさんが、
「 日本国民が自制や自己犠牲の精神で 震災に対応した様子は、
広い意味での日本の文化を痛感させた。日本の文化や伝統も米軍の占領政策などにより、
かなり変えられたのではないかと思いがちだったが、文化の核の部分は変わらないのだと
思わされた」( 『 産経新聞 』 三月二十五日 )
と論評していることとも重なり、とても的確な指摘だと感じました。

では、こうした日本人の良質な精神、行動を生み出した 「 教育勅語 」 とは、
どのようなものだったのか。改めてその成立過程から見ていくことにしましょう。


「 教育勅語は普遍的良心 」
http://thankfullife.blog.so-net.ne.jp/kyoikutyokugo

『 教育勅語 』 縦書き PDF ・ 書写用紙(A4)PDF
http://www.meijijingu.or.jp/kyouikuchokugo/pc/index.html#04

【 参考 】 漢字の検索 ( 筆順 )
http://kakijun.jp/main/kensakuyomi.html



『 教育勅語の真実 』 伊藤哲夫 著 

2017-03-11 21:52:12 | 天皇・国家

『 教育勅語の真実 』 伊藤哲夫 著 
致知出版社 平成23年10月18日第一刷発行 

本の正式なタイトルは、

『 世界から称賛される日本人の美質を育んだ
教育勅語 の真実 』

カバー前そで より

<「 教育勅語 」 がなければ、
明治の時代を支えた
国家理念は生まれなかった
かもしれない。
その作成に心血を注いだ、
井上毅(いのうえ こわし)と元田永孚(もとだ ながざね)という二人
の偉人がいてくれたことに、
われわれは感謝したい。>

帯封 より

< いまも日本人に流れる
「 教育勅語 」 の精神に学ぶ >

< 思いやり
礼儀正しさ
秩序を守る ・・・ >

< 震災によって
浮き彫りになった
日本人の美徳
の源泉は
ここにあった。 >





『 教育勅語の真実 』 目 次

2017-03-11 12:38:32 | 天皇・国家

はじめに 1
                        
第 1 章 なぜ 「 教育勅語 」 が求められたのか 
     
    ○近代化の道を歩み始めた明治の日本          18
    ○驚愕の文明国だった欧米諸国             20
    ○混迷する明治日本の精神文化・道徳          23
    ○西洋化する教育現場と明治天皇のご憂念        26
    ○道徳の授業は孔子を主としたものに          30
    ○『教育議』で伊藤が訴えようとしたこと        33
    ○岩手県知事が語る教育界の状況            37
    ○徳育教育の重要性を建議した地方官会議        40
    ○教育上の基礎となるべき「箴言」を編纂せよ      43

第 2 章 井上毅という人物

    ○生い立ちとその思想                  50
    ○重鎮・横井小楠の開国論を批判             53
    ○「日本」を一途に思う                 57
    ○思想形成の転機となった欧州留学            61
    ○儒教に洋学を取り込む                 66
    ○明治政府のグランド・デザイナーとして         70
    ○かくまで徹底した国史の研究ぶり            73
    ○漢学・洋学から国学へ ― 「うしはく」と「しらす」   77
    ○天皇治世の要・「しらす」の思想             79
    ○外つ国の千種の糸をかせぎあげて大和錦に織りなさばやな  83
                       
第 3 章 こうして「 教育勅語 」 案は 起草された ― その誕生物語 ―

    ○否定された文部省案                   88
    ○井上が提起した七項目の作成条件             91
    ○上からの「押しつけ」となることを避けた井上の真意    99
    ○元田永孚の教えを請う                  104
    ○天皇の信頼篤き忠臣・元田永孚              109
    ○自らの勅語案を秘かに没にした元田            111
    ○互いに切磋琢磨してさらに高みを目指す          114
    ○天皇と国を思う一点で結びついた二人の絆         119
    ○最終段階での幾つかの逸話                125
    ○ついに渙発された教育勅語                129
    ○勅語は決して儒教道徳そのものではない          133
    ○儒教の根底となったのは「しらす」の国体観        136

第 4 章 「 教育勅語 」 が果たした役割

    ○解釈する前に、勅語を勅語として語らしめよ         142
    ○日本人の精神的支柱となった 「 教育勅語 」         146
    ○「中外ニ施シテ悖ラス」をめぐる逸話            149
    ○絶賛された日本の 「 教育勅語 」             150

第 5 章 現代日本人にとっての「 教育勅語 」

    ○日本弱体化の切り札にされた「 教育勅語 」         156
    ○今甦る 「 教育勅語 」 の精神               159
    ○彼は国家のために、その汗血を絞り尽くしたり        163

おわりに  175
    




「 人間・神の子 」 の自覚より 「 神の子・人間 」 の自覚へ

2017-03-05 20:15:16 | 今日の光明法語

それから「 更に進んで 『 人間・神の子 』 の自覚より、
『 神の子・人間 』 の自覚に入(い)るべし 」 というのは、
「 人間 」 とは普通 “ 肉体 ” を指しているけれども、これは 「 神の子 」 であるんだと、
“ 肉体人間 ” の自覚から “ 神の子人間 ” の自覚に ‘ 向上した自覚 ’
「 人間・神の子 」 の自覚 と表現されているのでありますが、

「 神の子・人間 」 の自覚 というのは、既に、 ‘ はじめから“神の子” ’であるものが
“ 人間 ” として顕現しているのだと 寧(むし)ろ “ 天降(あまくだ)りの霊的存在だと
いう自覚 ”
を表現したものだと受け取って頂ければよいのであります。


谷 口 雅 春 先 生
大聖師御講義 『 続々甘露の法雨 』 谷口清超先生 編纂 第三十三話 533頁



一切の宗教(おしえ)を生かす生長の家

2017-03-01 14:52:25 | 今日の光明法語

「 生長の家 」 の真理を体得するには、神想観や 『 生長の家 』 の読誦など
という静的の工夫のほかに、動的の工夫が要(い)るのであります。

真理は 生命そのものでありますから、そして生命は 「 動(どう) 」 が
本態でありますから、動的の工夫に移って、真理というものは、
はじめて その潜在していた生命の正体 ― 生かす力の正体をあらわすのであります。

動に入(い)るまでの真理というものは、まだ潜在しているのみであって
顕在に入(い)っていないのであります。
それには この 「 生長の家 」 そのものの出現 が 好適例であります。・・・・・・

この時に私は はじめて静的修養によって獲得した真理を動的工夫に
移したのであります。この時まで潜在的でしかなかった人間の
「 生命の実相 」 が動の相(すがた)をもってあらわれて来たのであります。
すると私の書く筆(ふで)にも 「 生命の実相 」 が生きてあらわれて
来たのであります。 ・・・・・・

私の書くところ私の生き方が生命の実相そのものになって来たので
神が そこに顕れ給うたのであります。・・・・・

人間は 本来神の子であるから救われている、即ち 本来自由自在である、
束縛を脱して後(のち)始めて自由になれるというようなものではない。

本来 神の子なる人間は 縛られていても縛られていないでも、
どちらでも自由自在なのであります。

この真理は ただそう思っているだけでは 「 実(じつ) 」 にならないのでありまして
それを動的工夫に移し、その真理を実際に移して実行するとき、

いくら余裕がないように見えても余裕が出来て来(き)、
弱いように見えている身体(からだ)から無限のカが湧き出て来るので、
はじめて我(われ)即ち神の子なる生命の実相が如実に悟られて来るのであります。

谷 口 雅 春  先 生
新編 『 生命の實相 』 第 1 巻 総説篇 ・ 光明篇 
「 第一章 一切の宗教(おしえ)を生かす生長の家 」 ( 82 ~ 87 頁 )