☆ 住 吉 大 神 浄 め 給 う ☆

天皇陛下、ありがとうございます。ご先祖の皆様、お父さん、お母さん、家族の皆様、ありがとうございます。

感謝の心が 明るい運命 を実現させる

2015-10-29 18:50:25 | 今日の光明法語

心の中のアイディアが 結晶して運命をつくる

・・・・・・

アイディアとしては、そのまま見えないですけれども、アイディアが形を現わしたら
華(はな)やかなバラの花みたいなのが、そういう運命が 吾々に開いて来る時には、
そのアイディアが開く場に、吾々の心が働きまして、それで 明るい心を持っている人は
明るい運命を 自分の心という場に描くことになり、それが具体化して良き運命として
現われてくる   ―  ・・・・・・

“ 感謝に満たされた心 ” が 明るい運命をつくる

だから 吾々は、心を明るく持たなければならない。その一番明るい心というのは、
それはやっぱり “ 感謝に満たされた心 ” です。

さっき体験談で 「 一万遍 『 有難うございます 』 と一日に唱(とな)えなさい。
そして 『 甘露の法雨 』 を読みなさい 」 という指導を受けて、普通なら治らない病気が
治った体験がありました。

この “ 感謝 ” ということが、自分の運命を明るくするんです。

皆さんは、あの聖経 『 甘露の法雨 』 の折本の一番の巻頭に “ 汝ら天地一切のものと
和解せよ ” という神示があることを御存知でしょう。あの神示の終りに近いところに、
『 感謝の念の中(うち)にこそ 汝は わが姿を見、わが救(すくい)を受けるであろう 』 と、
神様の御言葉が書かれているのであります。

不幸の人は 感謝することを忘れて、感謝しようにも仕様がないと思っておられるかも知れんが、
ともかく、感謝の心を起したときに、其処(そこ)に神が現われる ― 『 感謝の念の
中(うち)にこそ 汝は わが姿を見、わが救を 受けるであろう 』 と書かれているのです。

吾々は “ 人間・神の子 ” で、みんな幸福な運命 を神様から与えられているんです。


『 唯神実相の世界を説く 』 ( 63頁 ~ 65頁 ) 谷 口 雅 春 先 生



日本の建国の理念

2015-10-24 15:57:42 | 今日の光明法語

神武天皇、即位建都(そくいけんと)の大詔(おおみことのり)には

次の如(ごと)く 書かれているのであります。


「・・・夫(そ)れ 大人(ひじり)の 制(のり)を立つる、義(ことわり) 必ず時に随(したが)う。

苟(いやしく)も 民(たみ、おおみたから)に利(くぼさ)有(あ)らば、

何(なん)ぞ 聖(ひじり)の造(わざ)に 妨(たが)わむ。


且(また)当(まさ)に 山林(やまばやし)を披 (ひら)き払(はら)い、

宮室(おおみや)を経営(おさめつく)りて、恭(つつし)みて 宝位(たかみくら)に臨み、

以(もつ)て 元元(おおみたから)を 鎮(しず)むべし。


上(かみ)は 則(すなわ)ち 乾霊(あまつかみ)の国を授けたまいし徳(うつくしび)に答え、

下(しも)は 則ち 皇孫(すめみま)正(ただしき)を養いたまう心を弘(ひろ)めん。

然(しか)して後(のち)に 六合(くにのうち)を兼ねて 以(もっ)て 都(みやこ)を開き、

八紘(あめのした)を掩(おお)いて宇(いえ)と為(せ)むこと、亦(また)可(よ)からずや。

夫(か)の畝傍山(うねびやま)の東南(たつみのすみ)、橿原(かしはら)の 地(ところ)を

観(み)れば、蓋(けだ)し 国の墺區(もなか)か、治(みやこつく)るべし 」


これを略解(りゃくかい)して見ますと、

「 思うに 大人(ひじり)が制度を立てるにあたっては、必ずその時勢に順応(じゅんのう)した

良い制度を立てなければならぬ。

苟(いやしく)も 人民の利益になる事であったならば、たとい聖人の制定したものであっても、

その制度を変更するに何の妨(さまた)げがあろうや。 

( 註、ここに日本天皇の民主主義的性格があらわれているのであります )


朕(ちん)は、いま山林をひらき伐採(ばっさい)して 宮殿を築造経営し、

恭(うやうや)しい心持で 天皇の位に即(つ)き、人民の安寧(あんねい)と幸福とをはかるであろう。


そして上(かみ)は、神が国を授けたまう其(そ)の御神徳(ごしんとく)に答え奉(たてまつ)り、

下(しも)は皇孫(こうそん)以下が正しい心を養成するよすがとし、

そして天下を治める為の都をひらき、その徳をひろめて、世界の八方の荒れたる隅々(すみずみ)までも

一つの家庭として 人類は皆 兄弟として 互に手をつなぐべき目的を実現するために、

畝傍山(うねびやま)の東南、橿原(かしはら)の地に都をつくるであろう 」


この詔勅(しょうちょく)には 何処(どこ)にも侵略的な精神は見られないのであります。

世界を一家族として、人類を兄弟とする其(そ)の中心地として畝傍山(うねびやま)の東南の

橿原(かしはら)の地に都をつくろうと仰(おお)せられたのでありまして、

まだ此(こ)の詔(みことのり)には 「 大和国(やまとのくに) 」 と云(い)う国号は

あらわれておりませんが、此の橿原の地を中心に「大和国」と称せら れることになったのでありまして、

「大和(やまと)」 の国号そのものにも 全世界の人類が一つの家族として和合すると云(い)う

建国の理想があらわれているのでありま す。


( 谷口雅春先生 昭和 30 年 『 生長の家五十年史 』 437頁 )



「 天壌無窮の神勅 」

「 豊葦原(とよあしはら)の千五百秋(ちいほあき)の瑞穂(みずほ)の国は、

代々(よよ) 吾が子孫(うみのこ)の王(きみ)たるべき地(くに)なり。

宜(よろ)しく いまし皇孫(すめみま)、就(ゆ)きて治(し)らせ。さきくませ。

宝祚(あまつひつぎ)の隆(さか)えまさむこと 天壌(あめつち)と窮(きわま)りなかるべし。」




顕浄土成仏経 ( けんじょうど じょうぶつきょう )

2015-10-24 08:22:33 | 今日の光明法語

現世(うつしよ)の限(かぎ)りとして、幽(かくり)世(よ)に還(かえ)りましし、

ここに招霊(しょうれい)し給(たま)いし先祖(せんぞ)代々(だいだい)の霊(みたま)よ。

汝(なんじ)、今(いま)し肉体(にくたい)の繋縛(けばく)を離(はな)れ、

魂(たましい)の本地(ほんぢ)たる浄土(じょうど)に往(ゆ)く。

今(いま) 此処(ここ) 極楽(ごくらく)なること 肉体(にくたい)の繋縛(けばく)を離(はな)れて

 愈(いよいよ) 明(あき)らかならん。


ここに招霊(しょうれい)し給(たま)いし先祖(せんぞ)代々(だいだい)の霊(みたま)よ。
                        
此(こ)の土(ど)を何(なん)が故(ゆえ)に、名(な)づけて極楽(ごくらく)と為(な)すか。 

その国(くに)の衆生(しゅじょう)、もろもろの苦(くる)しみあることなく、

ただ諸(もろもろ)の楽(たの)しみのみ受(う)くゆえに極楽(ごくらく)と名(な)づく。


ここに招霊(しょうれい)し給(たま)いし先祖(せんぞ)代々(だいだい)の霊(みたま)よ。

極楽(ごくらく)国土(こくど)には七重(ななえ)の欄干(らんかん)あり、

七重(ななえ)の薄絹(うすぎぬ)をもて張(は)りめぐらし、

七重(ななえ)の街路(がいろ)樹(じゅ) 立(た)ちならび、

金(きん)・銀(ぎん)・瑠璃(るり)・水晶(すいしょう)の四(し)宝(ほう)を連(つら)ねたる、

美(うつく)しさ極(きわま)りなき網(あみ)をもって あまねく飾(かざ)り、

その麗(うるわ)しく楽(たの)しきこと限(かぎ)りなし。

故(ゆえ)に名(な)づけて極楽(ごくらく)と名(な)づく。


また、ここに招霊(しょうれい)し給(たま)いし先祖(せんぞ)代々(だいだい)の霊(みたま)よ。

極楽(ごくらく)国土(こくど)には七宝(しっぽう)の池(いけ)あり。

八(はち)功徳(くどく)ある水(みず)その中(なか)に充満(じゅうまん)せり。

池(いけ)の底(そこ)にある沙(まさご)は、純金(じゅんきん)の粉末(ふんまつ)にして輝(かがや)きみてり。

四辺(しへん)には階(かい)道(どう)あり、

金(きん)・銀(ぎん)・瑠璃(るり)・玻璃(はり)をもて合成(ごうじょう)されたり。

上(うえ)に楼閣(ろうかく)あり、金(きん)・銀(ぎん)・瑠璃(るり)・□□(しゃこ)・

紅玉(こうぎょく)・碼碯(めのう)をもって これを厳飾(ごんじき)せり。

池(いけ)の中(なか)に蓮華(れんげ)あり、大(おお)いさ車輪(しゃりん)の如(ごと)し。

青(あお)き花(はな)には青(あお)き光(ひかり)、

黄(きいろ)き花(はな)には黄(きいろ)き光(ひかり)、

赤(あか)き花(はな)には赤(あか)き光(ひかり)、

白(しろ)き花(はな)には白(しろ)き光(ひかり)ありて微(み)妙(みょう)香(こう)潔(けつ)なり。

極楽(ごくらく)国土(こくど)には是(かく)の如(ごと)きの功徳(くどく)荘厳(しょうごん)を

成就(じょうじゅ)せり。

また、

彼(か)の仏(ほとけ)の国土(こくど)には常(つね)に天樂(てんがく)を作(な)す。

黄金(おうごん)をもって地(ち)となし、

昼夜(ちゅうや)六時(ろくじ)に曼(まん)陀(だ)羅(ら)華(け)を雨(あめ)ふらす。

彼(か)の国(くに)に生(う)れたる衆生(しゅじょう)、

常(つね)に心(こころ)清(きよ)くして仏(ほとけ)に供養(くよう)し、

禅定(ぜんじょう)を以(も)って実相(じっそう)を観(かん)じ、

実相(じっそう)世界(せかい)の功徳(くどく)を満(まん)喫(きつ)す。


ここに招霊(しょうれい)し給(たま)いし先祖(せんぞ)代々(だいだい)の霊(みたま)よ。

かくの如(ごと)き功徳(くどく)充満(じゅうまん)せる極楽(ごくらく)浄土(じょうど)に、

今(いま)や汝(なんじ)は生(うま)れたれば、

一切(いっさい)の罪障(ざいしょう) 消(き)え、

自然(じねん)に念仏(ねんぶつ)・念法(ねんぽう)・念(ねん)僧(そう)の心(こころ)を生(しょう)ず。

念(ねん)に随(したが)って、孔雀(くじゃく)・鸚鵡(おうむ)・迦陵(かりょう)頻伽(びんが)等(など)の

名(めい)鳥(ちょう)来(きた)り

 囀(さえず)りてその声(こえ)微風(みふう)の如(ごと)く、

汝(なんじ)の耳朶(じだ)をゆるがすに、

その声(こえ)千仏(せんぶつ)の読(ど)経(きょう)の如(ごと)くきこえ

心(こころ) 愈(いよいよ)きよまりて邪念(じゃねん)なし。


ここに招霊(しょうれい)し給(たま)いし先祖(せんぞ)代々(だいだい)の霊(みたま)よ。

汝(なんじ)、心(こころ) 愈(いよいよ) 浄(きよ)まりたれば、

今(いま)ぞ仏(ほとけ)の御姿(みすがた)をみる。

光明(こうみょう)無量(むりょう)にして、十方(じっぽう)の国(くに)を照(てら)すに

障礙(しょうげ)あることなし。

この故(ゆえ)に号(ごう)して阿弥陀(あみだ)と謂(い)う。

彼(か)の仏(ほとけ)の壽(じゅ)命(みょう)無量(むりょう)なるが故(ゆえ)に、

無量(むりょう)壽仏(じゅぶつ)とも謂(い)う。

その国(くに)に生(う)れたる者(もの)、皆(みな)ともに

壽(じゅ)命(みょう)無量(むりょう)なり。

歓喜(かんぎ) 無量(むりょう)なり。

悦(よろこ)ぶべし 悦(よろこ)ぶべし。

ゆえに称(たた)え言(ごと)を唱(とな)えて、次(つぎ)の如(ごと)く

実相(じっそう)円満(えんまん)誦(しょう)行(ぎょう)す。


実相(じっそう)円満(えんまん)完全(かんぜん)

実相(じっそう)円満(えんまん)完全(かんぜん)

実相(じっそう)円満(えんまん)完全(かんぜん)



※ 宗旨を問わない先祖代々供養の場合

( 先祖供養祭で頂いたものを ワードで総ルビにしたものです。 )

※ 経文中の( しゃこ )については、ワードでは表記されるのですが、

  ブログでは、表記不可になっております。

   ( しゃこ ) → ( 石車 石渠 )



『 顕浄土成仏経 』 は、 『 聖経甘露一切を霑す 』 に 所収されております。

http://www.komyoushisousha.co.jp/uruosu.html



昭和50年頃、荒井英太郎先生は、『 人生を支配する先祖供養 』『 生命の實相 』( 第1巻 )ほかを

テキストにして、全国を まわっておりました。

先祖供養の極意について、尊敬 と 報恩・感謝 の念 をもって

① 時間を決めて、

② ご先祖様のお名前を一人一人 呼んで、

③ 三十日間 ( 一行 )、

しっかり、おこなうように勧めております。


聖経は、『 甘露の法雨 』 『 天使の言葉 』『 続々甘露の法雨 』 『 顕浄土成仏経 』

『 日々読誦三十章経 』『 真理の吟唱 』『 続真理の吟唱 』 が、あります。





「 今こそ憲法改正を! 武道館一万人大会 」

2015-10-11 18:38:12 | 今日の光明法語

11月10日(火)東京・武道館にて

「 今こそ憲法改正を! 武道館一万人大会 」 が開催されます。


世界に躍進する日本を創造するため、憲法改正は喫緊の課題です。

悠久の歴史に育まれた美しい伝統と文化、世界の平和と安定に

寄与する自主独立の気概、それらを盛り込んだ憲法が、

今こそ求められています。


私達は、憲法改正を実現する1000万人賛同者拡大運動を推進し、

憲法改正の国会発議の促進を各政党・国会議員に求めます。

全国の皆さん、ふるってご参加下さい。



大会の詳細はコチラ↓

https://kenpou1000.org/news/post.html?nid=45



◆◆大会の申込みは 10月30日(金)まで ◆◆

先着1万名で締め切りとなります。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


昭和 44 年 5 月 2 日、日本武道館で行われた 自主憲法制定 国民大会で

谷口雅春先生は 現行憲法の無効性を訴えられた。


『 生長の火をかざして 永遠の谷口雅春先生 』 ( 66 頁 )




「 今こそ憲法改正を! 武道館一万人大会 」( チラシ ) ↓


http://manabukai.org/dcms_media/other/%E4%B8%80%E4%B8%87%E4%BA%BA%E5%A4%A7%E4%BC%9A%EF%BC%88%EF%BC%A8%EF%BC%B0%E4%B8%AD%EF%BC%89.pdf





結局、安保法案に反対したのは中国だけ

2015-10-10 15:17:43 | 今日の光明法語

平和安全法制 ( 安保法制改定 ) が成立した。

新聞ではデモや反対集会の記事が相変わらず報じられているが、

平和安全法制に反対、反安倍政権というお題口で集まった連中が

窓もない密室のなかで誰の声が大きいかを競うっている観がある。

そういう連中には目を世界に向けることを軌めたい。



あまり報道されていないのだが、この安保法制については、世界の主要国のほとんどが賛成している。

米国はむろん、「 日本の継続した努力を歓迎する 」 と閣議決定翌日に安保法制改定を支持。


EU ( 28国 ) も、五月の日本EU首脳会議で、安倍首相が平和安全法制について説明し、

EU側から 「 積極的平和主義に基づく日本の取組 」 に対する支持・賛同が表明された。


EUを個別に見れば、ドイツのメルケル首相は 「 日本が国際社会の平和に積極的に

貢献しいこうとする姿勢を100%支持する 」 、

イギリスのキヤメロン首相は 賛意を表明したうえで 「 特にアジア人太平洋地域の安全保障について

日本からのインプットを期待している 」 と述べている。

フランスのオランド大統領は、「 日本は大切なパートナーかつ同志であり、その収組に対して

連帯を表明する 」 との賛辞を表明した。


アジアでも、ASEAN (10国)外相会談が、 「 日本の現在の取り組みを歓迎 」 と議長声明(四月)に

明記した他、フィリピンは 日比共同宣言において 「 フィリピンは、平和安全法制の整備を含む

『 積極的平和主義 』 取り組み評価 ・ 支持 」 と明記し、

アキノ大統領は 衆参合同会議での演説で、 「 (安保法制が審議されている)本国会で行われて

いる審議に最大限の関心と強い尊敬の念をもって注目しています 」 と述べた。

また、ベトナムのズン首相は 首脳会談で 「 日本の『 積極的平和主義 』 及び 平和国家としての

歩みに対する支持を表明し、日本の地域及び国際社会における、平和と安定のための貢献を

高く評価し、日本が安保理常任理事国となることを支持する 」 と述べた。

この他、マレーシアが 「 歓迎 」、ミャンマーが 「 理解・支持 」 を表明し、

中国の影響が強いとされるカンボジアが 「 高い評価と支持 」 、ラオスも 「 安保促進への

貢献への賞賛 」 を表明している。

その他、モンゴルのエルペグドルジ大統領は 「 安倍首相が打ち出した積極的平和主義を高く

評価している 」 と述べ、スリランカの外相は 「 日本の積極的な取り組みへの期待 」 を語った。

むろん、今や準同盟国ともいわれるオーストラリアは 「 歓迎 」 し、

ニュージーランドも 「 支持 」 を表明している。


政府資料と外務省のホームページから、法案決定後の反応だけを拾ってみても、

ざっとこんな具合である。

この間、わずか三カ月。外交は味方を作るのが要諦というが、

安倍外交は驚くべき成果をあげたと言える。

しかも、これらは 安倍首相などが出席した会談や会議での相手国首脳の反応に限られている。


だから、期間を昨年七月の集団的自衛権の限定的行使に関わる憲法解釈変更後に拡げれば、

インドのモディ首相 ( 去年九月 ) 、カナダのベアード外相 ( 同七月 ) とさらに数は増える。

ただし、韓国はいろいろとクレームは付けている。しかし、明確に反対表明しているわけではない。


中国だけが 「 平和発展の道を変えるのか、人々が疑問をただす理由がある 」 と

反対意志をにじませた発言をしている。とは言え、いずれも報道官レベルの反応である。


つまり、世界のほとんどの国は、安倍政権がすすめている安全保障関連法案を歓迎し、

支持しているのである。



一方、国内では、民主党や共産党などの野党、国会や首相官邸の周りで気勢を挙げている勢力が

「 戦争法案 」 反対を叫び、メディアも多くが反対主張を展開している。


反対勢力が言う 「 戦争法案 」 とは 日本が 「 戦争をする国 」 になるという意味だが、

その 「 戦争法案 」 に世界の国々が賛成している。


つまり、世界が賛成する 「 戦争法案 」 に彼らだけが反対しているのである。

何とも奇妙な光景ではないか。

新聞は、安保法制をすすめた結果、安倍政権が孤立しているように書いているが、

視野を世界に広げれば、孤立しているのは反対勢力の方なのである。

( 完 )

日本政策研究センター
http://www.seisaku-center.net/
『 明日への選択 』 9月号

http://kaerou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=15477150



「 平和で安全な社会 」 は 誰が守るのか  

2015-10-08 14:07:43 | 今日の光明法語

安全保障関連法がようやく成立した。

心から安堵したのは勿論だが、同時にこの日本に今なお

根強い空想的平和主義を改めて思い知らされた。

国民の意識は ひと頃と比べれば ずいぶん変わったといわれてきた。

しかし、今回われわれが見たのは、それは本当のことだったのか、

と改めて問い直したくなるような現実であった。


いい歳をした大人が、「 戦争をしてはいけない 」 「 戦争は

悲惨だ 」 などと、したり顔に語るシーンなどを眼にしつつ、

その度に、結局この種の人たちは この七十年、何も現実を

見ようとはしてこなかったし、考えてもこなかったのだ、

と思わざるを得なかったのである。


 この安保法制の次は いよいよ憲法九条改正だとされる。

確かにその通りとは思うものの、しかしそのためには この空想的

平和主義の誤りを正す運動が、もっと徹底して展開されねば

ならないとも考える。


「 戦争をしてはいけない 」 と主張するのは自由だが、

それをいうならこの日本ではなく、むしろ中国や北朝鮮に対して

いうべきで、彼らは その異常な軍事力拡張や核開発を

どう考えるのか、と逆に問うてみる必要があるからだ。


 と同時に、今回は 「 徴兵制になる 」「 若者が戦場に送られ

る 」 といったトンデモ宣伝が行われたことも銘記されるべき

ことだった。


報道によれば、今回の法案に反対する母親グループが、

「 誰の子どもも殺させない 」 などと一万九千筆のメッセージを

自民党本部に届ける、といったパフォーマンスもあったというが、

まさに反対のためには何でもする、という戦術が見境なく

駆使されたのである。


 これ自体は、反論する気すら起こらないほどのバカげた主張で

あったが、一方、筆者は こうした考え方の根本にあるものは、

明確に否定しておく必要がある、とその時 思わざるを得なかった。

というのも、「 自分は そんな危険な目に遭いたくない 」

「 自分の子供をそんな所に行かせたくない 」 と考えるのは

自然ではあるが、だからといって、ならば皆がそのように

いい始めたら、果たしてこの社会はどうなるのか、と

逆に問うてみるべきだと思ったからである。


 問題は戦争だけではない。恐ろしい細菌や疫病の蔓延に対し、

その前線に立つ医療関係者、悪質な犯罪者集団に立ち向かわねば

ならない警察、また大火災の際の消防隊員等々、

彼らが それを言い始めたら一体どうなるのか、ということだ。


ならば、かかるケースや関係者に対しても、 「 そんな危険なことは

すべきではない 」 と声を 揃えるのか。そうすれば、その帰結は

結局 自分に返ってくるという事実がどうして見えないのか。

それを指摘せざるを得ないのだ。


 自分の子供を危険な目に遭わせたくないという母親の気持ちは

わかる。しかし、その子供が大人になっても、自分さえ安全で

あればと考え、いやな仕事を他人に押しつけることしか

考えなくなっても、それでよいと考えるのか。


 筆者がここでいいたいのは、そうした考え方だけでは、

この平和な社会、安全な社会は 保てないということだ。


あの福島原発の事故が起こった際、皆が一斉に逃げ出していたら、

この日本はどうなっていたか。しかし、誠に有難かったことに、

あの時 現場の東電社員たちは 自己の持ち場を捨てなかったので

ある。危険を顧みず 公のため、そして この国のために、

身を挺して行動してくれたのだ。


 この社会は こうした勇気ある人たちの覚悟と行動により

守られている。しかし、今回 声高に叫ばれた反対論は、

そうした人々の覚悟と行為を、正面から否定するにも等しい

発言だったといわねばならない。

これは 自らの手で、自らの大切な社会基盤を掘り崩す反社会的

「 自傷行為 」 でもある。こうした考え方の危険性を、この際

併せて指摘しておきたい。


( 日本政策研究センター代表 伊藤哲夫 )

〈 『 明日への選択 』 平成27年10月号  〉


http://www.seisaku-center.net/node/875







自己否定的な一切の行法は 「 生長の家 」 では とらない

2015-10-07 14:52:00 | 今日の光明法語

肉体は、断食(だんじき)や、その他 自己否定的な修行では 実相化する事は

出来ないのであります。

肉体から物質的なものを除去(とりさ)っても 肉体を霊化(れいか)さすことは

出来ないのです。


肉体を霊化するのは、ただ自分の念(ねん)を霊化し、自己を霊的実在だとの念を

常に把持(はじ)することのみによってであります。


自己の存在の実相が霊であるということを 一層完全に知れば知るほど、

吾等(われら)は いよいよ ますます 全体を霊化することが出来るのであります。


だから自然に嗜好(しこう)が変って、物質的な嗜好が剥落(はくらく)するまでは

肉体的存在を楽しませ、これに美を与え、これを豊富にするところの何物(なにもの)をも

全体より拒(こば)む必要はないのであります。


外界に属する一切の善きものは 一物(いちもつ)として除(と)り去る必要は

ないのであります。


自己否定的な一切の行法は 「 生長の家 」 では とらないところであります。


唯(ただ)、内界(ないかい)に善き念(ねん)を いよいよ ますます 多く加えよ。


この方法によって 「 生長の家 」 では内(うち)より心霊(しんれい)の力を増して、

現実の自己を 一層完全な実相の投影(とうえい)たらしめ、これを通(つう)じて

現実界を一層自由に支配し得(う)ることになるのであります。



『 生命の實相 』 ( 新編版 第15巻 21頁~22頁 、 頭注版 第8巻 104頁~105頁 ) 

  谷 口 雅 春 先 生


http://www.komyoushisousha.co.jp/15kan.html







『 生命の實相 』 『 甘露の法雨 』 について

2015-10-04 16:17:56 | 今日の光明法語

この 『 甘露の法雨 』 は、観世音菩薩が 私を万年筆として書かれたものです。

もし私が書いたものなら、私が毎日 『 甘露の法雨 』 を読誦しないでしょう。


谷 口 雅 春 先 生

http://blog.goo.ne.jp/vannon32/e/ceb55bcb6f6bdfbe718df0ec56932eb8



『 生命の實相 』( 神の啓示 ) や 『 甘露の法雨 』の聖典は 幾回でも 交替に 繰り返して

読むべきものであります。


頭注版 『 生命の實相 』 第15巻 ( 120頁 ~ 121頁 ) 谷 口 雅 春 先 生




生長の家 の 救済法

2015-10-04 16:09:35 | 今日の光明法語

生長の家の 救済法 は「 自性円満の自覚 」 又は 「 實相円満の自覚 」 による救済

(人類光明化、日本国実相顕現 ) であります。


( 「 神の子の自覚 の宗教 」 といわれる所以であります。)


『 生命の實相 』( 第 1 巻 ) 総説 「 七つの光明宣言 」 解説 谷 口 雅 春 先 生




真理を知るということ - 老 病 死 について

2015-10-01 12:02:57 | 今日の光明法語

人間の実相は “ 霊的実在 ” であり、“ 神の子 ” であり、

たとい肉体が どんな姿に現(あら)われていようとも、穢(けが)れなきものであり、

老 病 死 ( ろうびょうし )を超えたところの存在であるのである。

それを知ることを “ 真理を知る ” というのである。


『 真理の吟唱 』 ( 222頁 ) 谷 口 雅 春 先 生