☆ 住 吉 大 神 浄 め 給 う ☆

天皇陛下、ありがとうございます。ご先祖の皆様、お父さん、お母さん、家族の皆様、ありがとうございます。

人の富を非難してはならない

2015-03-31 20:04:00 | 今日の光明法語

逆境がやって来たときに、人は 大抵自分よりも順境でいる人や、

幸福な人に対して 批評的になりたがるものである。


他人の富を批評して、

「 屹度(きっと)それは 闇(やみ)をして儲(もう)けたに相違ない 」 とか

「 屹度 狡(ずる)い事をしたに相違ない 」 とか考え勝ちであるのである。


しかし 他の富を非難する者には、自分に対しても 「 富 」 は近づいて来ないのである。


税務官吏で千万長者になった者がないのは、常に他の富を苛辣(からつ)に批判して

それから奪おうと云う心理状態が働くからである。


奪おうと云うものは奪われるのである。

すべて心の世界に蒔(ま)いたものは 現実の世界に刈りとらねばならぬのである。



『 生長の家 』 昭和二十六年七月号  十三日の法語  谷 口 雅 春 先 生 




繁栄への道

2015-03-28 19:34:51 | 今日の光明法語

繁昌(はんじょう)は 一日にして来らず、それが単なる偶然の好運であるかに見えても、

必ず過去に蓄積されている 善き想念、善き言葉、善き行為、善き感情 が現実化して生ずるのである。


すべての 想念、感情、言葉、行為 の結果は実現しないではいないのである。

それは 原因結果の法則 である。


原因結果の法則には、物理化学的な法則 と、心の法則 とがあるのである。

大抵(たいてい)の人は物理化学的法則 のみを知っていて、心の法則 を知らないのである。


繁栄せんと欲する者は、顧客に対して よき想念、善き感情、深切な注意、

行き届いたサービスの精神 を揮(ふる)い起さなければならないのである。



『 生長の家 』 昭和二十六年七月号  十二日の法語  谷 口 雅 春 先 生 




 善 と 愛 と 深切 の言葉のみを語る

2015-03-27 20:16:57 | 今日の光明法語

われは今日、善と愛と深切の言葉のみを語るのである。

われは それ故に愛と深切のみを刈り取るのである。


われは 如何(いか)なる悪しき言葉も 今より後(のち)口にしないのである。

自分は 人の行いと其(そ)の動機とをさばかない。


自分はあらゆる人々の行いに其の善意を見るのである。

自分は人を軽蔑(けいべつ)するような言葉を決して語らない。

自分はすべての人々の美点のみを見、美点のみを語るのである。


自分は言語(げんご)が神であり、創造者であることを知ったのである。

だから、今後自分は善き事のみを語り、善き事のみが実現するのである。



『 生長の家 』 昭和二十六年七月号  十一日の法語  谷 口 雅 春 先 生 



「 今 」 を完全に生きよ

2015-03-26 18:58:46 | 今日の光明法語

あなたの生命(いのち)の内には 神の霊が宿っているのである。

神の霊は 唯(ただ)勝利するほかはないのである。


過去に何があろうとも、それは今日の魂の前進の準備となったのである。

過去の失敗に捉われるな。

形の一進一退のうちに 魂は必ず前進して行くのである。


今を生かせ。

神を信じ、神に祈りつつ 今を全力を出して生きるのである。


「 今 」 は実相世界に既にあるところの勝利が

現実世界にあらわれて来るところの門であるのである。


「 今 」 を支配するものは 過去の失敗を勝利にかえ、魂の進歩にかえ、

未来永劫に ただ悦(よろこ)びの生活を送ることが出来るのである。



『 生長の家 』 昭和二十六年七月号  十日の法語  谷 口 雅 春 先 生 








神とはどんな難問題をも解決したもう

2015-03-25 21:11:58 | 今日の光明法語

神は すべての渾てであるから、神は 外にも内にも到(いた)る処に いますのである。

何事が起って来ようとも、問題が起るのは 解決があるから起るのであるから

心配することは 要らないのである。


解決が出来ないのは 智慧(ちえ)が足りないからである。

神の智慧をもって来さえすれば どんな問題でも解決出来るのである。


神の智慧をもって来るのはどうするか、神にその問題をわたしてしまえば好いのである。

神に 「 自分 」 を明け渡すのである。


「 神よ、この問題を貴方に全部ゆだねます。神よ、あなたは無限の愛であり、

無限の智慧であられます。

だから必ず此(こ)の問題をすべての人の幸福になるよう解決して下さいます 」

このように祈るが好い。



『 生長の家 』 昭和二十六年七月号  九日の法語  谷 口 雅 春 先 生 





心の窓を閉じて自分を護ること

2015-03-24 19:55:25 | 今日の光明法語

外に寒い風が吹きすんだり、あまり外に埃(ほこり)が立つときには

諸君は 窓をしめて、その風や埃が吹き込まないようにするであろう。


それならば、誰かが貴方の心の中に激情の嵐を吹き込ませたり、

怒りや憎みや悪口雑言(あっこうぞうごん)の埃を吹き込ませたりするときに

何故 あなたは自分の心の窓をひらいていて、その嵐で自分の心の中をさわがせたり、

吹き込んで来る怒りや憎みの埃だらけの心にしてしまうのであろうか。


人が誰(だれ)かの悪口を云うときには 自分の心の窓を閉じよ。

人が汝を悪しざまに云うときには 自分の心の窓を閉じよ。

人が病気の話をするときには 自分の心の窓を閉じよ。



『 生長の家 』 昭和二十六年七月号  八日の法語  谷 口 雅 春 先 生 





自己の心を護(まも)ること

2015-03-24 19:38:40 | 今日の光明法語

最も辛(から)く見えるところの境遇や出来事も、

それは一層 魂を深めるところの素材である。


秋が来て落葉するように見える時にも、吾々は嘆いてはならないのである。

落葉する樹(き)ほど 春になって 美しき花をひらくのである。


寒さが訪れて来るときに、樹木が葉を落すのは、外の出来事にのみ生命を労しないで、

内(うち)に深くこもって、生命力をいたわり育て貯蔵せんがためである。


外界が荒々しいときには、人間も外にひろがることを考えないで、内を守るが好(よ)いのである。

自分の心の中に悪い想念はないだろうか、間違った感情はないだろうか、

よく自己反省して見ることである。

そして外の悪想念の吹き込まないように自己の心を守り育てるべきである。



『 生長の家 』 昭和二十六年七月号  七日の法語  谷 口 雅 春 先 生 







人生は錦織(にしきお)りなす織物である

2015-03-23 18:38:22 | 今日の光明法語

人生を織物にたとえるならば、人間はその織り手である。

経糸(たていと)は 全体を貫く自分の希望であり、理想である。

緯糸(よこいと)は 経糸を遮(さえぎ)り交叉(こうさ)するところの出来事である。


どんなすがたに緯糸が交叉して来ようとも、

経糸は必ずこれをまとめ上げて 一反の織物に完成するのである。

そしてその緯糸の交叉する状態に応じて 色々の美しい模様を作り上げるのである。


吾々は こう考えるとき自分の前途に横たわる出来事が何であろうとも、

それを悲しむことも憎むことも要らないのである。


すべての出来事は 人生を美しき織物に織りなす素材であるに過ぎないのである。



『 生長の家 』 昭和二十六年七月号  六日の法語  谷 口 雅 春 先 生 





自己に宿る自然療能力に感謝せよ

2015-03-22 19:27:46 | 今日の光明法語

肉体を讃美するのは 必ずしも肉体主義でもエロティシズムでもないのである。

肉体は 神の自己表現の機関として、神が創造したまいし理念の形象化(かたちになったもの)で

あるのである。だから肉体を神の宮とも云うのである。


神の自己表現の機関である肉体は 健康であるように、美しくあるようにつくられたのであり、

その美と健康とを維持するように 内部に自然療能(神御自身の再生能力)を与えられているのである。


常に神の再生能力は 吾(われ)らを生かし、修復し、若返らせ、

疲労を恢復(かいふく)せしめつつあるのである。


その驚くべき恢復を発現せしめようと思うならば、

先ず、その力の存在を認め、それに感謝することである。



『 生長の家 』 昭和二十六年七月号  五日の法語  谷 口 雅 春 先 生 





汝(なんじ)の肉体を讃美せよ

2015-03-22 19:08:58 | 今日の光明法語

あなたが肉体を愛し、その健康を求めるならば、

肉体に小言(こごと)を云っては ならないのである。


肉体に感謝し、肉体にお礼を云い、肉体の美を讃(たた)え、

肉体の健康を祝福しなければならないのである。


こんな不健康な肉体を讃美し祝福することが出来ようと思う人があるかも知れないけれども、

あなたの肉体の何処(どこ)かは健康であるであろう。


肺のわるい人も 眼(め)は見えるであろう 耳は聞えるであろう。手足は健全であるであろう。


然(しか)らば 何故、その眼を、耳を、手足を讃美し、祝福し、それに感謝しないのであろうか。

真に神の恵みに感謝したとき、その肺も治るであろうに。



『 生長の家 』 昭和二十六年七月号  四日の法語  谷 口 雅 春 先 生 




神を愛する者は人をも愛する

2015-03-21 18:57:02 | 今日の光明法語

真の信仰を得るまでは、本当の魂の平安は得られないのである。

他を真にゆるすまでは 本当の魂の平安は得られないのである。


吾々がどんなに熱心に祈っても 神想観で黙念しても欲することが得られないのは、

誰かを憎んでいて その人をゆるさないからである。


神を愛するとは 自己に宿る神性(しんせい)を愛することにほかならない。

自己に宿る仏性(ぶっしょう)を愛することにほかならない。


自己に宿る 神性 仏性 を愛するには

同時に他に宿る 神性 仏性 を愛しなければならない。


何故(なぜ)なら神は 霊であり、すべての渾(すべ)てであって、

すべてのものの中に神の霊が宿っているからである。


汝の隣人を愛さないでいて、神を愛していると云うことは、

虚言(そらごと)にすぎないのである。



『 生長の家 』 昭和二十六年七月号  三日の法語  谷 口 雅 春 先 生 







仕事に悦びを感ずるには

2015-03-18 19:38:56 | 今日の光明法語

人生が退屈であったり、無意義に見えたりするのは

その人の愛が乏しいからである。


愛して何事でも、愛のために行うならば

自然と歓喜が湧(わ)いて来て 退屈であったり、

無意義に感じたりする筈(はず)はないのである。


仕事が退屈なのは、その仕事を経済的理由で自分の労力を

切売(きりうり)するような気持でするからである。


「 神様、あなたの愛をこの仕事を通して実現させて頂きます。有りがとうございます 」 と

感謝しながら仕事をするならば、決して仕事は退屈な重荷となって来ないのである。


利己主義のところに真の悦(よろこ)びは 湧いて来る筈はない。

神の愛を実現する処(ところ)にのみ 真の悦びは湧いて来るのである。



『 生長の家 』 昭和二十六年七月号  二日の法語  谷 口 雅 春 先 生 




天地万物に感謝せよ

2015-03-18 19:19:46 | 今日の光明法語

ブラザー・ローレンスは

「 自分は神の愛を感じながら フライパンの上でケーキを焼く。

神の愛を感ずるには 自分にとっては 地に落ち 散っている藁(わら)ひと筋を

拾うだけで充分である 」 と云(い)ったそうである。


「 木の切株に腰をおろすときには その切株を拝んでから腰をおろせ。

大根を抜くときには、大根にお礼を云ってから抜け 」 と云うのが金光教祖の教えであった。


一筋の藁、一本の大根、それに神の愛を感じ、感謝出来るのが宗教的境地であって、

金が儲(もう)かるから集ると云うのは 相場師の境地である。


百丈和尚(ひゃくじょうおしょう)は 一枚の大根の葉が流れ行くのを

追っかけて往(い)って拾って頂いたと云う。



『 生長の家 』 昭和二十六年七月号  一日の法語  谷 口 雅 春 先 生 


※ ( 一日の法語 ~ 十八日の法語 謹写予定 )



病気を癒(いや)すには

2015-03-17 21:50:56 | 今日の光明法語

吾々が何か病気に罹(かか)っているならば それは決して神がこしらえた病気ではないのである。

それは唯 自分の心の影であるから、心を平和に落着けて合掌して


「 神はすべてのすべてである。

神は善であるから神の造り給いし世界には病気はないのである。

自分の体は神の完全なる生命の最高の自己実現であるから

病気になどなる筈(はず)がないのである。

病気は自分の心の迷いである。今自分は心の迷いを去って

神の姿そのものの完全なる姿をみるのである 」


かく心の中(うち)に深く念じて 神の姿そのままに完全な自分の姿を

心に描いてみつめるようにするならば やがてその病気は消えてしまうのである。



『 生長の家 』 昭和二十五年三月号 二十八日の法語  谷 口 雅 春 先 生 


( ※ 一日の法語 ~ 二十八日の法語 了 )




神の愛は宇宙の到る処にみちみちている

2015-03-17 21:30:53 | 今日の光明法語

神の愛は 宇宙の到る処にみちみちていて 吾らを護り給うのである。

吾々の一本の毛も悉(ことごと)く神の目から見逃されるということはないのである。

そのことに吾々は信仰をもたなければならない。


何か紛失物があったならば 静かに坐して

「 神の愛の中には 見失われるものは何一つないのである。

私のものは 私と一体にあるから必ず返って来るのである。

神は すでに吾が祈りに応(こた)え給うたのである 」 と念じて


静かに感謝の言葉を念ずるようにすると

思いもうけぬ所からその紛失物が現われて来ることがある。



『 生長の家 』 昭和二十五年三月号 二十七日の法語  谷 口 雅 春 先 生