☆ 住 吉 大 神 浄 め 給 う ☆

天皇陛下、ありがとうございます。ご先祖の皆様、お父さん、お母さん、家族の皆様、ありがとうございます。

奉仕する心で働かない者は多くの報いは期待できぬ

2014-05-28 03:30:00 | 今日の光明法語

人に奉仕する希望も有(も)たず賃金の為に

「与えられた仕事」を遂行するような人間は奴隷である。


奴隷はいやいや仕事をするからくたびれる。

疲れているから一つの事物に精神を集中する事ができない。


あちらを向きこちらを向き、

嘆息し欠伸(あくび)をし、

煙草に火をつけて一ぷくするのである。


そして人生何の為に

こんな働きをしなければならないかと考える。

そして薄給を不幸に思うのである。


「 与えれば与えられる 」 が心の法則であるから、

人に奉仕する心なくして出し惜しんだ働きで、

多くを与えられることはあり得ないのである。



『 生長の家 』 誌 昭和二十四年三月号

「 完全なる生活設計 」 十四日の法語  谷口雅春先生




始めから疲れているような人間になるな

2014-05-27 03:30:00 | 今日の光明法語

吾々の健康力は

非科学的な出鱈目(でたらめ)な生活や、

悪習慣や、放蕩三昧の行いや、

その他 面白からぬ精神感動等によって

低下せしめられるのである。


会社員は、出勤して事務所に到達した時に、

すでに疲労したような顔をしているのである。


もう既に生き生きとした体力は衰耗(すいもう)し、

快活な精神力は失われ、

緻密(ちみつ)な計算や、計画や、

判断を行うには不適当な状態になっているのである。


もう仕事の始めからくたびれているので、

仕事をするのに活力も、熱情もないのである。

そんなことで良い仕事の出来ようがないのである。



『 生長の家 』 誌 昭和二十四年三月号

「 完全なる生活設計 」 十三日の法語  谷口雅春先生




金儲けに狂奔(きょうほん)して生命を縮めるな

2014-05-26 03:30:00 | 今日の光明法語


吾々は大自然から「生命力」というすばらしい金鉱を頂いているのである。

その金の純分は至極(しごく)豊富である。


然しそれを完全に分析し出して採取し利用することができなければ、

折角(せっかく)頂いた生命力の金鉱も

無駄にすてることだといわなければならないのである。

こういうことを称して自然の法則を破るというのである。


吾々の生命力の尊さは、

到底(とうてい)金銭を以て償うことはできないのである。


金もうけに狂奔して健康を犠牲にし、

肉体を完全に健康に守る所の法則を破って省みないという人が多いのは

まことに残念なことである。



『 生長の家 』 誌 昭和二十四年三月号

「 完全なる生活設計 」 十二日の法語  谷口雅春先生




一度失われた其の日の生命力は取り返されぬ

2014-05-24 23:49:25 | 今日の光明法語

「 私は忙しくて肉体の事など考えている暇がない 」 という人が

あるかも知れない。


然し 忙しければ忙しい程、

吾々はエネルギーを使うのであるから、

どこかにエネルギーの無駄な 「漏(も)れ 」 がないかと、よく検査して、

一寸(ちょっと)でもエネルギーの浪費される部分があったならば、

それを修繕するようにしなければならぬのは 当然の事なのである。


如何に立派な金鉱があるにしても、

その金鉱の金の純分を

その何パーセントしか使わないで

その残余を悉くすててしまうとしたならば

何と惜しい事であろうぞ。


肉体のエネルギーは

金鉱よりも貴いものである。


失われたその日の時間のエネルギーは

再び取り返す事は出来ないのである。



『 生長の家 』 誌 昭和二十四年三月号

「 完全なる生活設計 」 十一日の法語  谷口雅春先生




肉体は生命力の貯水池

2014-05-23 23:55:55 | 今日の光明法語

吾々の肉体は

吾々の生命力の貯水池のようなものである。


吾々の生命力は

肉体の中に仮りに体力として貯えられて

各方面の用に使われるのである。


もしこの活力の貯水槽に漏れがあったならば、

常に吾らの活力は

最高度の水準に保たれることはできないのである。


もし貯蓄しておいた銀行が

破産してしまうと云うようなことがあるならば、

その貯金は使えないように、


吾々の肉体に預けてある所の活力が、

何らかの 「 漏(も)れ 」 によって、

何時(いつ)の間(ま)にかなくなってしまっていると云うことが

あってはならないのである。



『 生長の家 』 誌 昭和二十四年三月号

「 完全なる生活設計 」 十日の法語  谷口雅春先生





真理の言葉を吟唱せよ - 『 聖経 真理の吟唱 』 のすすめ -

2014-05-22 19:01:18 | 今日の光明法語


真理の言葉を自分自身に向かって唱える目的で、

インスピレーションによって書かれた 聖経

『 真理の吟唱 』 ( 日本教文社刊 ) であるのである。


毎朝又は毎夕の 仏前又は神前での祈りに、

『 甘露の法雨 』 や 『 天使の言葉 』 や 『 続々甘露の法雨 』 と共に、

その一章ずつ読むがよい。

それが真理を自分の心に語ってきかせる事になるのである。


また食前の祈りの代わりに、その一章を家族の誰かが輪番に朗読し、

他の人々は合掌瞑目して、その真理の言葉を静かに傾聴して、

真理を自分の潜在意識に印象せしめるようにするがよい。


自分の潜在意識に印象された真理は、自分の血となり、肉となり、

運命となるのである。

『 女の浄土 』 ( P30 )  谷口雅春先生著  日本教文社刊


《 『 真理の吟唱 』は本来、毎日一ヶ月中 繰り返し朗読すべき聖経として

『 光の泉 』誌に連載したものであり、特に潜在意識に印象し易いように

文章のリズムを工夫してあるのである。 》
        
     谷口雅春先生 (生長の家創始者)


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( 『 真理の吟唱 』は、昭和45年に初版が発行されております。)

『 聖経 版 真理の吟唱 』

① 昭和47年3月1日 初版発行

② 平成7年5月20日 改装初版発行 ( 布表紙 )


『 聖経 続 真理の吟唱 』

③ 昭和59年4月25日 初版発行


『 聖経 版 続 真理の吟唱 』

④ 平成7年6月10日 改装初版発行 ( 布表紙 )


 ◆ 『 大型聖経版 真理の吟唱 』 谷口雅春先生著( 生長の家創始者 )

「メガネなしで読みたい」「孫と一緒に読める大型版を」という読者の声に

お応えしました。

光と祝福に満ちあふれた真理の言葉で、あなたと家族を明るく幸福な人生に

導く毎日の修養書。


◆ 『 大型聖経版 続 真理の吟唱 』 谷口雅春先生著( 生長の家創始者 )

・・・ 住吉大神御顕斎を機に、次々と天降った真理の御言葉・・・

霊感による真理の啓示は、“ 言葉の力 ” により読む人の潜在意識を浄め、

人生を大きく変革する。 太字使用、総ふりがな付。



『 聖経 真理の吟唱 』

② 平成7年5月20日 改装初版発行 ( 布表紙 )







『 聖経 続 真理の吟唱 』

④ 平成7年6月10日 改装初版発行 ( 布表紙 )







『 聖経 真理の吟唱 』

① 昭和47年3月1日 初版発行






『 聖経 続 真理の吟唱 』

③ 昭和59年4月25日 初版発行








常に鋭く希望に燃えるには

2014-05-22 03:30:00 | 今日の光明法語

人間は 常に健康でなければならない。

希望は 常に鋭く燃えなければならない。


エネルギッシュでその希望実現のためには

どこどこまでも勇往邁進し得る意志力をもつものは

遂に 「 人生 」 を傑作たらしめるのである。


切れ味のよい刃物のように、

一旦志した事柄は必ず断じて行いて

一切の障礙物を切りはらう力がなければならない。


時に応じて機略縦横、明快なる判断を下して

「 時 」 と 「 人 」 とに応じた働きができなければならない。


かくの如き力は肉体全体が健康であり、

脳髄がつまらない毒素でみたされていては得られぬ。


心を常に平和にすると同時に、

不要に食慾や肉慾にまどわされて

体力を浪費してはならない。



『 生長の家 』 誌 昭和二十四年三月号

「 完全なる生活設計 」 九日の法語  谷口雅春先生




仕事の質と量とは 肉体の健康に左右せられる

2014-05-21 03:30:00 | 今日の光明法語



一枚の板をけずるにしても、

もし道具がよく切れなかったならば、

まっすぐに凹凸なしに平らかに

その板をけずることはできない。


かくて仕事の質は低下する。


質のみならず、

切れない道具で板をけずるならば、

仕事に要するエネルギーが多く浪費せられ、

多く労しながら仕事の質と量とが低下してしまうのである。


世の中には吾々の道具である所の肉体が

錆びた大工道具のように、

いつも不健康で鈍(なまく)らであるがために、

善き仕事をしようと思いながらも

できないで斃れてしまう人が

随分沢山あるのである。



『 生長の家 』 誌 昭和二十四年三月号

「 完全なる生活設計 」 八日の法語  谷口雅春先生





「 人生 」 を彫刻する道具を大切にせよ

2014-05-20 03:30:00 | 今日の光明法語

吾々が病気に罹るならば、

肉体の活力は低下し、

仕事に疲れる迄の時間が短くなり、

普通人の標準点まで働くことができずに能率は低下するし、

常に心が病気の不快に半ばひきつけられているのであるから、

「 仕事 」 そのものに全精神を集中する事ができぬのである。


肉体は吾々が目的を達成する為に使う

一種の道具の様なものである。


芸術家は制作に要する道具を大切にするのであって、

制作に要する道具を大切にしないような者は

良い作品を得られぬのである。


体力を遊蕩に使う者には

「 人生 」 は傑作とはならぬ。



『 生長の家 』 誌 昭和二十四年三月号

「 完全なる生活設計 」 七日の法語  谷口雅春先生




心を楽観的に有(も)て

2014-05-19 03:30:00 | 今日の光明法語

すべて楽観的な人生観をもたない時には

人間は決して健康を長く持続することはできないのである。


多くの智能の優れた人達は病気であって、

その人が健康であったならば成し得た筈の

半分の分量程も成し遂げ得ないで

この地上を去って行っているのは悲しい事である。


吾々の人生観が健康に影響するのは、

暗い悲しい人生観をもっている限り

その人の精神は 常に憂鬱であり、不快であり、腹立たしく、

常に焦々(いらいら)していなければならないのであり、

それが肉体全体の活力に相互作用を及ぼすのである。




『 生長の家 』 誌 昭和二十四年三月号

「 完全なる生活設計 」 六日の法語  谷口雅春先生




人生の目的達成には健康が必要である

2014-05-18 03:30:00 | 今日の光明法語

もし肉体の健康が低下するならば

心の能率も低下するのである。


天才的な大画家でも、

病苦の真只中に於ては

完全なる製作は続けることはできないのである。


たとい病苦を我慢して製作を続けても、

この製作の成績は劣ることになるのである。


されば如何なる精神的仕事といえども、

肉体の健康と精力旺盛とが伴わなければ、

完全に遂行することはできない。


そこで肉体の完全なる健康は

如何にして得ることができるかが問題となるのである。



『 生長の家 』 誌 昭和二十四年三月号

「 完全なる生活設計 」 五日の法語  谷口雅春先生




健康とは調和である

2014-05-17 03:30:00 | 今日の光明法語

完全に肉体及び精神の発揮する為には 

吾らは健康でなければならぬ。


健康とは 肉体が完全に調和して活力が旺盛であり、

心の命ずる所に従って自由に肉体が動作し、

脳髄がその機能を営み、

しかも長く疲れないで

その働きが 常に活発であるという事である。


もし吾々の肉体が真に健康である場合には、

その肉体の活力が 精神に影響を及ぼし、


精神の営む仕事の性質を 尚 精妙たらしめ、

且つ その分量を 尚 一層多からしむるのである。



『 生長の家 』 誌 昭和二十四年三月号

「 完全なる生活設計 」 四日の法語  谷口雅春先生




神業を成就せんがために肉体を正しく使え

2014-05-16 03:30:00 | 今日の光明法語


吾々が人生に生まれたる目的は 常に云う通り、

神の み業を地上に於て成就せんがためである。


それは 「 み業 」 であるが故に、 「 働き 」 である。


従って吾らが地上に生まれたる目的は

働くことによって 神の目的を成就するにあるのである。


その働きの完全さは「 質 」と「 量 」とで測られるが

善き質の働きを 大いなる分量に なし遂げるには

吾々の肉体を、そして精神能力を、

実に最高完全に発揮することによってのみ 可能なのである。


吾々は 肉体力を無駄な遊蕩(ゆうとう)に浪費して

その働きを不完全ならしめてはならないのである。



『 生長の家 』 誌 昭和二十四年三月号

「 完全なる生活設計 」 三日の法語  谷口雅春先生




楽なと云う誘惑に負けるな

2014-05-15 03:30:00 | 今日の光明法語

向上すべきその道 ( 法則 ) を

逆に下へおりて行く者は、自ら堕落する者である。


何事をなすに意志の力が必要である。


柔弱なる意志を以て法則を守ればいい時に、

守らないで誘惑に負けてしまうようでは、

神が目標としたまうが如き完全さを

成就する事は 到底 不可能なのである。


すべて物事を完成するのは

「 この方が楽だ 」 という誘惑に耳をかさず、

法則の示す所に鞏固(きょうこ)なる意志をもって

進んで行く事によって得られるのである。



『 生長の家 』 誌 昭和二十四年三月号

「 完全なる生活設計 」 二日の法語  谷口雅春先生




人間は神の自己顕現である

2014-05-14 03:30:00 | 今日の光明法語

大自然は人間を神の自己顕現として、

肉体の上からも、精神の上からも、能力の上からも、

最高完全の神的標準に到達することを望んでいるのである。


そして、それは各人にとって決して不可能なことではないのである。

大自然が望むという事は、神が望むということであり、

神が望むということは 全能なる者が吾々をして、

斯く為らしむべくバックしているということである。


ただ不幸にして吾々がその完全の標準に到達することができないのは、

吾々が法則を守らないで、法則を破るからである。



『 生長の家 』 誌 昭和二十四年三月号

「 完全なる生活設計 」 一日の法語  谷口雅春先生