『 週刊ダイヤモンド 』 2015年11月21日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 1109
11月10日、東京・九段の日本武道館が 1万1千数百人でいっぱいになった。
「 美しい日本の憲法をつくる国民の会 」 が主催した 「 今こそ憲法改正を!
一万人大会 」 でのことだ。
目標数を超える人々が集い、立ち見が目立った会のもう1つの特徴は、
多くの外国の人々が参加したことだ。米国、ベトナム、インド、中国、台湾、
南モンゴル、チベット、東トルキスタンとさまざまな国籍、民族の人々が集い、
日本の憲法改正を求めた。こんなことは 初めてではないだろうか。
大会には、米上院軍事委員会の長であるジョン・マケイン上院議員がメッセージを寄せた。
氏の公的地位を考えれば、氏のメッセージ中に 「 憲法改正 」 の文言がないのは当然だ。
内政干渉にならないように慎重に言葉を選び、氏は 安倍晋三首相の積極的平和外交を
ワシントンでは 共和、民主両党が一致して支持しているとし、エールを送った。
日米両国の協力強化が 国際社会にどれほど貢献するかを強調して、言外に、
憲法改正への賛意を伝えた。
大会後、壇上でスピーチをした3人のゲストを囲んで さらに語り合った。
インド政策研究センター教授のブラーマ・チェラニー氏が こう述べた。
「 あれだけ多くの人が集まりながら、何の混乱もなかった。皆 静粛に席に着いて、
2時間、しっかり話を聴き、拍手し、終わりまで 熱意を失わずにいた。本当に驚いた。
これが 日本人の素晴らしい姿なのだ 」
氏は 真に感動した様子だったが、逆に私には、氏の驚きが驚きだった。
日本人にとって、会場で静かに熱心に聴くことは当然のことだからだ。
チェラニー氏は 日本国憲法を持たされた日本は 同じ敗戦国のドイツに比べて
「 不運だった 」 とも語る。
「 ドイツ憲法は 戦後59回も改正されていますが、それが作られた当時、
日本国憲法の9条に匹敵する条項は なかった。なぜ、日本にだけ九条が押し付けられたか。
日本国憲法が1946年に作られ、翌年に施行されたからです。
ドイツ憲法は 2年後に施行されましたが、その間に東西冷戦が勃発した。
日本国憲法の作成や施行が あと1年か1年半遅れていれば、
現実離れした9条は なかった可能性があります 」
米カリフォルニア州の弁護士で 日本在住のケント・ギルバート氏が 割って入った。
氏は大会の講演で、 「 9条は日本弱体化のためだった。日本人よ、そのことに早く目覚めよと
言いたい 」 と語ったが、
米国が日本国憲法を早期に作成した理由は、ソ連に対抗するためだったと弁じた。
「 ソ連の介入を防ぐために、1日も早く生まれ変わった日本を見せなければならなかった。
でも、米国も、日本国憲法の間違いには、すぐ気付いていた 」
氏は、日本国憲法で最もおかしいのは、元首が存在しないことだと言う。
「 国を代表する元首が存在しないなんて、国家として本当におかしい。
天皇は 事実上、元首です。なぜ、明文化しないのか 」
ちなみに 自民党も 「 産経新聞 」 も憲法改正草案 第1章で
明確に 「 天皇は、日本国の元首 」 と規定している。
日本人の側にも 強い問題意識はあるのだ。
ベトナム外務省元顧問局長のディン・ホアン・タン氏も大いに語った。
「 改憲は当然です。アジアは 日本の本質を理解しています。
アジア法治の土台は、武士道精神であるべきです 」
南シナ海で中国の脅威に直接向き合うベトナムは 武士道精神の神髄である摂理に従うこと、
すなわち 法秩序への敬いこそ 大事だと言いたかったのであろう。
最後にギルバート氏が言った。
「 今日の大会を見て、日本人は目覚めている。憲法改正は大丈夫、やれるかもと思いました 」
私も会の主催者の1人として 同様に感じた。改正に向けて、全力で憲法論議を広げていきたい。
櫻 井 よ し こ
http://yoshiko-sakurai.jp/2015/11/21/6207