吾々の本来相といおうか、実在相といおうか、それは既に救われている。
既に健康である、既に幸福である ー 始めから救われているのですから、
救われるも救われぬもない、始めから円満完全自由自在な神の子であり、神そのものである。
だから吾々はその本来相をどうするとか、どうせぬとかということは問題にならない。
吾々にとって問題となるのは、その本来相が如何にして現象世界に
映ってくるかということであります。
しかし、それも別に難しい問題ではない、
円満完全なる親なる神と自分が繋がっている、
無限生命なる神と自分が結ばれている、
無限知慧なる神と吾々自身が一体である、
無限力量の神と吾々自身が一体であるということを
自覚した程度に従って現象世界の吾々に与えられる ー
即ち 顕れて来る生命と智慧と力量とがいろいろ相違して来るのであります。
新 編『生命の實相』第 5 巻 P158-159 谷口雅春先生
頭注版『生命の實相』第 3 巻 P193
毎日更新されていてうれしくなります。
これからもがんばってください。
しばらく、コメントに気づかずに申し訳ございません。
朝晩、涼しく、過ごしやすくなりました。
聖典拝読の秋ですね。
食欲の秋は、なしです。
腹6~8分目がいいですね。
山科様のますますのご活躍をお祈り申し上げます。
合掌再拝。