☆ 住 吉 大 神 浄 め 給 う ☆

天皇陛下、ありがとうございます。ご先祖の皆様、お父さん、お母さん、家族の皆様、ありがとうございます。

無我になって神の導きに随(したが)いましょう

2015-06-16 12:26:11 | 今日の光明法語

『 甘露の法雨 』 には 「 人間は神より出(い)でたる光なり 」 と書かれています。

人間の本質は神より出でたる霊光の波動なのです。それは神より出でたるものですから、

神の御意思を表現するのが使命なのです。


自分自身の“ 我 ” を表現するために肉体を使ってはなりません。

“ 我 ” を表現するために肉体をつかえば、それは本来の目的に反するものですから、

其処に摩擦が生じ、苦痛や悩みがでて来るのは明(あきら)かです。


自分の“ 生命(いのち) ” のように見えても、自分の “ 生命 ” ではない、

神の “ 生命 ” なのですから、神の “ 生命 ” の発現するように 無我になってしまったら

何事もスラスラと運ぶようになるのです。


だから常に神想観を行ずるときには、

「 神の智慧が流れ入って 我(わ)が生活を導きたまうように 」 と念ずべきであって

「 わが智慧で欲する通りに物事を実現せしめ給え」 と祈るべきではありません。



新版 『 真理 』 第9巻 生活篇 276頁 谷 口 雅 春 先 生




無限のアイディアを得る神想観メディテーション 4

2015-06-04 00:01:50 | 今日の光明法語

そこでテキストには引き続きこう書いてあるのです。九十七頁の中程です。

『 そこで、「 努力して強(し)いて押すこと 」 は要(い)らないが、
「 自然に起る落下の運動 」 を止めてはならないという二つの、一寸(ちょっと)見ると
矛盾すると見えるような 「 希望実現の行動化の過程 」 があることに注意しなければならないのである。

皆さんは、希望を心に描いて 「 既にそれは成就せり 」 とハッキリとその実現を心に描いて
確信するときには、あなたの心の中に、そしてあなた以外の人の心にも、
その実現に関係ある行動を起したくなるような “ こうしたらよい ” “ ああしたらよい ” と
いうような 「 催し 」 が( 心の奥底からの催しが )起ってくるのである。

これは 「 自力(じりき)(すなわち自分の私の計らいの力)の努力 」 ではなく、
その実現のための 「 自然の催し 」 ( 落下の法則に譬うべきものの催し )が起っているので
あるから、希望の実現を心に描いて確信した後、自然に自分の心のうちに浮んで来る“ 催し ”は、
それを打ち消してしまってはならない 』

と、こういうわけなんであります。


【 機会を逸すな! チャンスの神様は二度と戻ってはこない 】

だから、祈った後(のち)に、“ 何かしたい ”という催しが起って来ましたら、
それを忘れないように ちょっとメモかなんかしておくといいですねぇ。
そのためには、神想観の祈りの前に、膝の前とか、あるいは机の上にメモと鉛筆でも置いておいて、
そしてフッと思いついた事を書く習慣をつけるとよろしいですね。
そして必ずそれを実行する。直ぐ実行するのがいいんです。

それは何故かと言うと、神様は今 直ぐ 実行したらいいことを示し給うからです。
同じことをしても、一分前にしたら善(い)いことでも、一分後には駄目ということがあるからです。
その一分の違いで自動車にハネ跳ばされることもあれば、一分の違いでうまく自動車を擦り抜けて
怪我しないこともあるのです。

ですから、祈りによって 「 こうせよ 」 というヒントが、インスピレーションのように湧いて来たら、
直ぐ実行するのがいいんですよ。

“ 神様はこういうように私に知らして下さった、そのうちボツボツしよう ” と、
まあそういうような悠長(ゆうちょう)なことを考えて 行(や)ることを遅らしていると、
現象世界は 常に移り変っていますから 折角の機会をも逃してしまうことになりかねないのです。
このように機会、チャンスですね、 “ opportunity (オポチュニティ)” は動いているのです。

“ opportunity ”すなわち機会の神様は、前額(前の額)のところにだけ髪が生えていると
いわれています。後頭(うしろ)(後頭部)は禿(は)げているというんです。
だから、機会の神様がズーッと自分に近づいて来た時には、その機会の神様の額に生えている髪の毛を
しっかりと摑(つか)んで逃がさないようにしないと、それを摑まないで、ひょっと神様が
スリ抜けて行ったあとに いくら後頭の髪を摑もうと思っても後頭部は禿げておるものだから、
滑って駄目であるということになるのです。

こういう西洋の喩(たと)え話がありますけれども、これは、神様が折角(せっかく)与えて
下さったアイディアを受ける機会を摑むには 時機を逸してはならないということを
教えてくれるのに必要なところの、善(い)い喩え話だと 私は思うのであります。


〈 了 〉




無限のアイディアを得る神想観メディテーション 3

2015-06-03 23:47:51 | 今日の光明法語

市村清さんが、どういう風に会社を立ち直らせたかと言いますと、
まず、アメリカの三つの特許の使用権を得て、自分が神様から得たアイディアで
それを結び合わせまして、そして電子リコピーという、非常に優秀な複写機の発明を
完成させたのです。それでぐーっとリコーの経済状態が立ち直ったのであります。

今では(昭和四十年当時)この複写機は、日本中で一番売れていて、なんでも七十%のシェアを持って
いる素晴しい事務器械の会社にリコーは蘇生したのです。見事に蘇(よみがえ)ったわけであります。

これはすべて、法則によるのです。つまり、心の世界に希望の成就する様を描いて、
そして‘ 神様に波長を合わす ’ んです。神はどんな希望でも、正しい希望なら実現さすところの
不思議な力を持っていられるわけです。‘ それ ’に波長を合わしさえしたら、
あとは法則が自(おのず)と実現させてくれるというわけです。

皆さんは、ただテレビのスイッチを入れて チャンネルを合わせて、そして微調整して
放送局の電波に合わしさえしたら、あとはどうこうしなくてもいいんです。
法則が、放送局にあるものをそのまま われわれの眼の前に象(かたち)として
現わすということになるのです。


【 努力しなくとも法則が希望を実現させる 】

その放送局に当るのが、神様のお創りになった実在の世界、実相世界であります。
そこで われわれは、常に実相世界に存在する善きものに波長を合わす練習をすることが
必要になってくるのであります。

次に実相世界からの波長に合わしましたら 自然に内から動いて来る動きを止めることなしに、
発明でも何でも思い付いたら 思いついた動きを直ちに実行しなきゃ駄目なんです。
祈っているだけではいかんのです。

そのことについて、テキストの九十六頁には、「“ 希望 ”はこれを妨げない限り
法則が成就する 」 と題して、こう書いてあるのであります。

『 あなたが百貨店のビルの七階の屋上(ルーフ)に立って 下を瞰下(みおろ)す。
そしてあなたの希望する物を百貨店の売場で買って来て 既に手に握っていると想像せよ。
屋上は、「 心の世界 」 の譬(たとえ)であるとし、百貨店は、何でも凡(あら)ゆるものが
用意されている 「 実相世界 」 の譬であるとし、瞰下されている 「 下界(げかい) 」 は
現象世界( われわれが肉眼に見える世界 )の譬であるとせよ。
そして、あなたが手に握っている物は 「 あなたが下界 即ち現象世界にそれを実現したいと
思う希望するもの 」 の譬であるとする 』

こう考えなさいと ここには書かれているのです。

そしたら あなたは、その百貨店の七階の屋上から腕をつき出して ただ掌を開くだけで、
あとは落下の法則、つまり地球の引力で物が落ちる法則ですね、その落下の法則が
その屋上で握っておった物を下界まで、運んでくれるのです。

なにも自分が努力して、その握っている物を押してやらなければ下へ落ちないという
わけじゃないのです。法則がそれを実現してくれるのである、と。

― こういうように書かれているわけなんであります。

しかし、努力して押す必要はないと言っても、それなら なにもしないのがいいのか、というと、
そうじゃないのであります。



つづく・・・