☆ 住 吉 大 神 浄 め 給 う ☆

天皇陛下、ありがとうございます。ご先祖の皆様、お父さん、お母さん、家族の皆様、ありがとうございます。

生長の家の出現によって、人類は自己本然(ほんねん)の生命の円相を奪還したのである

2015-02-26 23:02:19 | 今日の光明法語


「 生長の家 」 の出現と共に、人間は 「 新しい生命 」 を見出(みいだ)しつつある。


今迄(いままで)、人間は 物質で造られているもの、死すべきもの、有限なるもの、

病むべきもの、苦しむべきもの、罪人(ざいにん)として報(むく)いを受けねばならぬもの、

かくあるべく運命づけられているものとされていたのである。


ところが、 「 生長の家」 の出現と共に、人間は 別の自分 ― 

「 本物(ほんもの)の自分 」 を発見したのである。


彼は 霊(れい)で造られているもの、不死(ふし)なるもの、無限なるもの、

病(や)まざるもの、苦しむこと能(あた)わざるもの、

本来(ほんらい)清浄(しょうじょう)にして罪に汚染し難(がた)きもの、

円満に、幸福に、健康に、豊富に、生きることのほかは 何事(なにごと)も

出来(でき)ないように運命づけられているものであるところの自分を

見出(みいだ)したのである。


何(なん)という人類全体の更生(こうせい)であろう。

何という人類全体の福音(ふくいん)であろう。


「 真理は 汝(なんじ)を自由ならしめん 」 と聖書にあるように、

人類は 「 生長の家 」 によって、真理を与えられて、

自己本然(ほんねん)の生命の円相(えんそう)を奪還(だっかん)したのである。



新編 『 生命の實相 』 第 13 巻  173 頁  谷 口 雅 春 先 生





神の法則とは 愛の法則である

2015-02-24 19:31:30 | 今日の光明法語


神の恵みを自由に受けようと思うならば

神の法則に すなおに従う外はないのである。


神の法則とは 愛の法則である。

「 汝(なんじ)の如(ごと)く 汝の隣人を愛すべし。」

これが神の法則であるのである。


憎み、怒り、争い・・・・・等(など)は

神の法則に逆うものであるから

電気の法則に逆うものは 感電して致命傷を受けるのと同じように、

神の法則に逆って人を憎み、怒り、争うものは

又 自分自身に致命傷を負わすことになるのである。


どんなに今 不幸の人も、病気の人も、神を愛し隣人を愛し

まず赦(ゆる)すことから始めよ、そこから幸福が芽生えて出る。



『 生長の家 』 昭和二十五年二月号  二十八日の法語  谷 口 雅 春 先 生 






人間は法則に従うことによって一切のものを支配する

2015-02-24 19:11:31 | 今日の光明法語


人間は 万物の霊長として世界の一切のものを支配する力を与えられているのである。


然(しか)しながら それは 如何(いか)にして支配し得るかといえば、

法則に従順に従う事によってである。


電気は驚くべき恵福を人類に与えてくれる。

その電気の力を支配するには

電気の法則に従順であるということによってである。

従うものだけが従えることができるのである。


もし吾々が電気の法則を無視すれば、電気も吾々を無視して、

光も動力も与えてくれないし、時とすると吾々に驚くべき災厄を与えるのである。



『 生長の家 』 昭和二十五年二月号  二十七日の法語  谷 口 雅 春 先 生 


神を祝福せよ、神から祝福される

2015-02-24 18:57:43 | 今日の光明法語


神を祝福せよ。神の み業を祝福せよ。神の み業を讃歎(さんたん)せよ。

神から受けることばかり考えないで まず神に与えることから考えよ。


毎日 朝に一回 夕方に一回、神を祝福し 神をほめたたえ、神に感謝することは、

神の恵みを拡大するよき方法である。


すべての恵みを神に帰せよ。

神は無限に吾らに祝福を与え給うのであって

それをほめたたえず 感謝しないことは、

それに波長を合わさないことになるのである。


波長をぴったり合わす時

神の恵みが はっきりと現われて来るのである。



『 生長の家 』 昭和二十五年二月号  二十六日の法語  谷 口 雅 春 先 生 




人間の働きは 神への協力である

2015-02-24 18:05:43 | 今日の光明法語


あなたのすべての働きは 神にとっても 人類にとっても

なくてはならない尊い捧(ささ)げ物である。


何故(なぜ)なら あなたは神の自己顕現であり、神の協力者であるからである。


自分の仕事をただ金銭を得るための手段であるなどと考えて軽蔑(けいべつ)するな。


働きそのものが、神の創造への協力であり 参加であり

人間の協力なくしては 地上に天国は実現する事はできないのである。


自分を軽蔑してはならない。

自分を金銭の奴隷などと考えてはならない。


自分を神の子として神の み業に協力するもののみ

真に立派な仕事をなすことができるのである。



『 生長の家 』 昭和二十五年二月号  二十五日の法語  谷 口 雅 春 先 生 









赦す者は 愛を増す

2015-02-21 21:05:56 | 今日の光明法語


吾々は 神を愛することによって

神の恵みを拡大することができるのである。


一本の草花でも愛することによって

一そう大きな花を咲かせることができるのである。


赦すものは 神の愛を拡大する。

赦さないものは相手を執着の念で縛るだけではなく、

自分自身の生命をも縛るのである。


自分自身の生命を縛る事によって

多くの病気が現われているのである。


人を赦さないものは、結局 神を信じないものなのである。

何故なら神の造り給うた此(こ)の世界に、

彼は悪が存在するということを信じているからである。



『 生長の家 』 昭和二十五年二月号  二十四日の法語  谷 口 雅 春 先 生 




もっと神の恵みに感謝しなければならない

2015-02-19 20:32:18 | 今日の光明法語


拡大鏡を以て 物をみれば大きく見えるように、

吾々は 心の拡大鏡を以て 小さな恵みでも大きくみることが必要である。


大きく見る時には 大きく現われて見えるのである。

神の恵みは 実際は無限に大きいのであるけれども、

吾々は 概(おおむ)ね近眼鏡をかけて 近くのものをみるから小さく見えるのである。


そして真に豊かなる恵みを 縮小してみているのである。

吾々は もっと神の恵みに対して感謝しなければならない。

感謝の念は 小さな恵みでも大きな喜びを生みだすのである。


感謝の念は 恵みの拡大鏡である。



『 生長の家 』 昭和二十五年二月号  二十三日の法語  谷 口 雅 春 先 生 





先(ま)ず心の目を開いて身辺にある恵みに感謝せよ

2015-02-19 20:14:37 | 今日の光明法語


一切の悪は そして禍(わざわい)は、暗のようなものである。

そこには光が現われていないにすぎない。


光がないのではないのであって、

自分が心の目を開いて 光をみないのである。


天地にどんなに多くの恵みがみちているか、

自分がどんなに多くの恵みに生かされているか、

それを知らず それに感謝しないものは 光をみないのである。


かかる人の生活は暗く、禍が現われ 病気が現われて来るのである。

まず心の目を開いて、身辺にあるどんな小さい恵みからでも感謝し始めることである。

今与えられている小さな恵みに感謝するとき、次の大いなる恵みが与えられる。



『 生長の家 』 昭和二十五年二月号  二十二日の法語  谷 口 雅 春 先 生 





暗(やみ)が現われて来るのは 光を拒絶したから

2015-02-16 19:42:58 | 今日の光明法語


「 光のある中(うち)に 光の中(なか)を歩め 」 と聖書には 書かれている。


神は光である。

光を拒絶する時

暗が現われて来るのである。


何か不完全が自分の周囲に現われて来た時には、

何か自分の心の中に、光を拒絶し、神にそむくような

何ものかがあったのだとして反省せよ。


神に はなれて生活した時に 一ばん害を受けるのは 自分自身なのである。

人を憎んで生活した時、一番害を受けるのは 自分自身である。


病める人は かくれたる憎みが自分の中に燻(くすぶ)っていることを省みて

相手を赦し 相手に感謝しなければならない。



『 生長の家 』 昭和二十五年二月号  二十一日の法語  谷 口 雅 春 先 生 





人を赦(ゆる)したとき自分が赦される

2015-02-16 19:21:55 | 今日の光明法語


人々の欠点や不完全さについて それを怒らず耐え忍ぶことは一つの美徳である。

何故(なぜ)なら 自分自身にも色々の欠点や不完全さがあるからである。


他の人を赦した時にのみ 自分自身 赦(ゆる)されるのである。


然(しか)し人の欠点や不完全さを赦すよりも 尚(なお)尊い行き方があるのである。

それは 自分の周囲に起ることは 自分の心の影として、

自分自身を神に対して懺悔することである。


そして その欠点や不完全の奥にある 「 本当の彼 」 ( 神なる彼 ) を礼拝せよ。


真に彼を本当に完全なる神の子と見得た時に、

彼は 完全なる姿に変貌(へんぼう)するのである。



『 生長の家 』 昭和二十五年二月号  二十日の法語  谷 口 雅 春 先 生 





艱難(かんなん)の時には 先(ま)ず心を静かにせよ

2015-02-14 19:16:12 | 今日の光明法語


悩みが来た時には、周章狼狽(しゅうしょうろうばい)しては ならない。


人間智慧を あれこれ働かせて、

余りごまかしをやってはならないのである。


静かに心を落付けて 実相を観ずることが必要である。

実相の世界には 悩みは存在しないのである。


そして悩みのない世界から目覚めて来た 新しい智慧を以(もっ)て

熟慮するのがいいのである。


「 神は これを解決する道を知り給う。 」 と繰り返し 繰返し 心の中に

念ずることが必要なのである。


「 道 」 は 自分の内にあるのである。


自分自身の内が顛倒(てんとう)していては、

よき解決法がでて来る筈(はず)は ないのである。



『 生長の家 』 昭和二十五年二月号  十九日の法語  谷 口 雅 春 先 生 




使わない水は腐る

2015-02-14 18:22:19 | 今日の光明法語


使わない井戸の水は 腐って来、

使わない鉄管の水は 錆(さ)びて赤く濁るのである。


吾々の生命も、智慧も、愛も、

それを使わなければ濁ってしまうのである。


そこから病気が現われ、失敗が現われ、運命が とざされて来るのである。


常に汲(く)んでいる水は 清らかであるように、

常に捧(ささ)げられている生命は 腐ることなく健康である。


働きは 周囲の人に貢献するばかりでなく

自分自身に 一そう多く貢献するのである。


汝(なんじ)の悩みについて思い煩うな。

悩みを神に委(ゆだ)ねよ。

神が それを解決し給うのである。

ただ吾々は 与えてさえいれば好(よ)いのである。



『 生長の家 』 昭和二十五年二月号  十八日の法語  谷 口 雅 春 先 生 





愛は享(う)けるだけでは可(い)かぬ

2015-02-10 12:12:50 | 今日の光明法語


神は 吾々(われわれ)に

生命を 与え給(たま)うた。

智慧(ちえ)を 与え給うた。

愛を 与え給うた。


与えられたものは、ただ受けるだけでは いけないのである。

必ず与え返さなければならない。


与え返した時

それが多くの実を結んで

更に返って来るのである。


与えるということは

「 表現する 」 ということである。


与えられた生命を 表現すれば

「 働き 」 となるのである。


与えられた智慧を 表現すれば、

人のためになる善き考えとなるのである。


与えられた愛を 表現すれば、

愛行となるのである。

愛行を実践する時、多くの実を結ぶのである。



『 生長の家 』 昭和二十五年二月号  十七日の法語  谷 口 雅 春 先 生 







此(この)世界は愛行の実践で支えられている

2015-02-10 09:59:28 | 今日の光明法語


神を自己に実現するには

愛を行じなければならない。


神は愛であるからである。


愛は唯(ただ)愛していると思うだけでは

その半ばの力しかない。

愛は行じなければならない。


神は今に到(いた)るも働き給う。

一日といえども隠退し給うたということは ないのである。


もし神が隠退し給うならば

此の世界は破壊してしまうのである。


この世界は神の働きによって 維持されているのである。

その如く この世界は吾々の愛行によって維持されるのである。


愛は これを隣人に実践する時

それは本当の力となるのである。



『 生長の家 』 昭和二十五年二月号  十六日の法語  谷 口 雅 春 先 生 







肉体を軽蔑(けいべつ)してはならない

2015-02-10 09:31:12 | 今日の光明法語


肉体を卑しいものと思ってはならない。

肉体は神の生命の地上に於ける自己実現である。


「 神の宮 」 という言葉があるが、

その宮の中に 「 神の生命 」 が宿るというように、

二元的に考えてはならない。


其儘(そのまま)に神の生命である。

即(すなわ)ち即身成仏なのである。

そのまま み仏なのである。


魂を高めんがためには

肉体を苦しめなければならないなどと考えてはならない。


肉体については、苦しめようとも楽しまそうとも思うことは いらないのである。


魂が本当に喜べると、その表現体である肉体も喜ぶのである。

自然 健康となるのである。




『 生長の家 』 昭和二十五年二月号  十五日の法語  谷 口 雅 春 先 生