☆ 住 吉 大 神 浄 め 給 う ☆

天皇陛下、ありがとうございます。ご先祖の皆様、お父さん、お母さん、家族の皆様、ありがとうございます。

偉大なる決意は困難を玉成(ぎょくせい)する

2014-04-30 17:11:55 | 今日の光明法語

ベートーヴェンは、殆(ほと)んど完全に耳聾(しい)てから

彼のいとも有名な諸作品を作曲したのである。


シルレルは肉体の病苦にあえぎながら、

彼のもっともよき著作をものしたのである。

彼は十九年間病苦から逃れることができなかったといわれている。


倉田百三は結核の末期的状態に於いて

その多くの作品を書き上げたのである。

そして自分の作品が有楽座で実演される時には

担架の上に仰臥(ぎょうが)しながら

劇場に運ばれてその実演を見たのである。


ミルトンはその主要な著作を貧乏で病気で盲人になった時に

書いたものだといわれている。


偉大なる決意の前には困難は

彼を縛ることはできないのである。



『 生長の家 』 誌 昭和二十四年七月号

「 困難の受け方に就いて 」 十八日の法語  谷口雅春先生





難儀は人生の好機会である

2014-04-28 03:30:00 | 今日の光明法語

人生には千百の好機会がある。

その好機会とは困難である。


天理教祖は「 難儀は節じゃ、節から芽が出る 」といったのはそのことである。


噴水は 狭いところへ押し込まれたので高く昇るのである。


困難の暴風は 臆病(おくびょう)者を吹きとばし、愚者を放逐し、

勇敢と賢明とをよびいだし、人格を鍛えて堅忍不抜の者とするのである。


余りに安易に得られたる富は 人間性を堕落せしめるものである。


巌(いわお)にあたってくだけてのみ その水は高く空に上(のぼ)るように

人間の魂も困難にあってくだけてのみ 高く上(のぼ)るのである。



『 生長の家 』 誌 昭和二十四年七月号

「 困難の受け方に就いて 」 十七日の法語  谷口雅春先生




反対者があるので隙(すき)のない修行が出来る

2014-04-27 03:30:00 | 今日の光明法語

吾々の反対者は 実は味方である。

反対者があるので反対者を克服するための

すべての論理や方法が生まれてくるのである。


もし敵対者がなかったなら、

囲碁を打つ楽しみもあり得ないのである。


囲碁の楽しみは敵手があって

自分と角逐(かくちく)するところにあるのである。


反対者は吾々の気づかない欠点を

わざわざ教えてくれる先生である。


反対者があるので、微塵(みじん)も隙(すき)がなくなる修行が

できるのである。



『 生長の家 』 誌 昭和二十四年七月号

「 困難の受け方に就いて 」 十六日の法語  谷口雅春先生





困難を超えて来た者には腹が出来る

2014-04-26 03:30:00 | 今日の光明法語

日本人も段々その真価を発揮しつつある。


多くの人間は一度は裸一貫になって見なければ

その真実の力を見出(みいだ)すことはできないのである。


困難と貧乏とは すべての蔽(おお)いをとり去って

人間を裸にして その尊き実相をえぐり出すのである。


困難に対して奮闘してきた人のみが

何が起って来ても、驚かないような魂の平静を

獲得することができるのである。



『 生長の家 』 誌 昭和二十四年七月号

「 困難の受け方に就いて 」 十五日の法語  谷口雅春先生




裸一貫になることを恐れるな

2014-04-25 13:00:00 | 今日の光明法語

ユダヤ人はその殆(ほと)んどすべての歴史が

他民族からの圧迫と漂泊の生活であったが、


その中からもっとも偉大な詩であるところの ダビデの詩篇(へん)が現われ、

ソロモンの箴言(しんげん)は生まれ

ナザレのイエスの福音が説かれたのである。


もしユダヤ民族に対する運命の重圧がなかったならば、

これらのもっとも尊きものは発現しなかったであろう。


民族も裸一貫になって見なければ その真価はわからないのである。



『 生長の家 』 誌 昭和二十四年七月号

「 困難の受け方に就いて 」 十四日の法語  谷口雅春先生





間断なき奮闘そのものが精神的獲得である

2014-04-24 03:30:00 | 今日の光明法語

成功に対する間断なき奮闘は

成功そのものよりも 偉大なる価値を有するものである。


成功そのものは 概(おおむ)ね 物質的状態であるが、

間断なき奮闘によって得られるものは

燦然(さんぜん)たる魂の光輝である。



『 生長の家 』 誌 昭和二十四年七月号

「 困難の受け方に就いて 」 十三日の法語  谷口雅春先生





せまき門より入れ

2014-04-23 03:30:00 | 今日の光明法語


安易なる道を選ぶな。

一つの物事をするのに安易なごまかしの道と、

刻苦精励の道とがあるとすれば 必ず 刻苦精励の道を選ぶべきである。


易々加減にごまかしの道を選んだならば

多くの場合それは不成功に終るか、自分自身を欺くか、

他(ひと)を欺くかにすぎないのである。


刻苦精励の道は 遂(つい)には

必ずその目的を到達する。


たといその目的が到達されないにしても、刻苦精励そのものから、

目的それ自身よりも尚(なお)偉大なるものが得られるのである。



『 生長の家 』 誌 昭和二十四年七月号

「 困難の受け方に就いて 」 十二日の法語  谷口雅春先生




克服する物 大なれば自己が偉大となる

2014-04-22 03:30:00 | 今日の光明法語

スター・デーリーは困難を克服した時 自分の中に潜在する能力がもっとも強く発揮されるといって

午前四時に必ず起きて精神統一の修行をする事にしたのである。


彼は獄中を出た後もっとも自分の不得手である所の文筆と講演とで生活することにした。

しかも彼の文筆と講演とによって救われる人は随分沢山あるのである。



『 生長の家 』 誌 昭和二十四年七月号

「 困難の受け方に就いて 」 十一日の法語  谷口雅春先生


困難は能力の働く場である

2014-04-21 03:30:00 | 今日の光明法語

競技がなければ勝利が存在しないように、

困難がなければ成功は存在しないのである。


又 困難がなければ能力が存在しないのである。


能力とは何か?

困難を自由に操縦する力である。


国民が一大困難に直面した時 無数の発明が成就されるのである。

困難は能力の働く場である。



『 生長の家 』 誌 昭和二十四年七月号

「 困難の受け方に就いて 」 十日の法語  谷口雅春先生




困難は受け方で毒とも薬ともなる

2014-04-20 03:30:09 | 今日の光明法語

ゴムのボールは強く障礙物(しょうがいぶつ)にぶつかればぶつかるほど

弾力を以(もっ)てとび上がるのである。


人間も障礙物に強く強くぶつかることによって

いよいよ高く上昇するのである。


障害物が人間を滅ぼすのではなく、

それの受け方が人間を滅ぼしもすれば向上させもする。


神は青年を教育せんとする時には必ずしも学校へは送らないのである。

そしてむしろ絶対絶命の境地に追いつめる。

そしてそこから無限の能力をしぼりださせるのである。




『 生長の家 』 誌 昭和二十四年七月号

「 困難の受け方に就いて 」 九日の法語  谷口雅春先生





吹きすさぶ風に戦う樹木の根は深い

2014-04-19 03:30:00 | 今日の光明法語


二個の樫(かし)の実を 一つは深い森の中に落し

一つは寒風吹きすさぶ禿山(はげやま)の上に植えておいたと仮定せよ。


二つの樫の実は同時に発芽するかも知れないが、

深い森の中に発芽した樫の苗は、森林に蔽われて強い日光にも強い風にもさらされないでいる代りに

それを繊弱な姿にしか成長しないのである。


禿山の頂上に植えつけられた樫の苗は、常にはげしく吹きすさぶ風と戦いながら、

深く根を張り、成長は徐々であるが幹は一そう強固に太くなり

遂には亭々として天をも摩する大樹となるのである。



『 生長の家 』 誌 昭和二十四年七月号

「 困難の受け方に就いて 」 八日の法語  谷口雅春先生





危急の時に自己の全力を発揮させる

2014-04-18 03:30:00 | 今日の光明法語


危急存亡の時に到(いた)れば

吾々の生命の中にある無限の能力が揮(ふる)いおこされる。


周囲一面が火の海に包まれて坐(すわ)っておれば焼け死ぬより外に道がないと思われるような瞬間に

中風の老人が、全身の不随を回復して逃げ出したという様な事実もあるのである。


ダンテは 二十年間追放生活の中に営々として著述に従事し、

死刑の宣告の下に於いても著述したのである。


「 ロビンソー・クルソー漂流記 」 の作者も入獄中にそれを執筆したのだといわれている。


一度 意を決したる人には 如何なる困難もその人の自由を奪うことはできないのである。



『 生長の家 』 誌 昭和二十四年七月号

「 困難の受け方に就いて 」 七日の法語  谷口雅春先生




危機を恐れるな、人間の全力は危機に出る

2014-04-17 03:30:00 | 今日の光明法語


怒涛(どとう)荒れ狂う海に於いて、

本当の偉大なる海洋国民はつくられるのである。


危機一髪のところに無限の力がでてくるのである。

歴史にその名の出ている人は 殆(ほと)んどすべてが、

世界の危機に出現した人たちばかりである。

危機は英雄豪傑を作るのである。


愈々(いよいよ)の土壇場になれば どんな繊弱(かよわ)い婦人も驚くような力が出る。

高きにのぼらんとする努力が人間の生活を高邁(こうまい)にするのである。


安易と快楽とに身を委(ゆだ)ねるものは

自分自身の生命を腐敗せしめ 懦弱(だじゃく)化するのである。



『 生長の家 』 誌 昭和二十四年七月号

「 困難の受け方に就いて 」 六日の法語  谷口雅春先生




抵抗は有難い、吾々を前進せしめる

2014-04-16 03:30:00 | 今日の光明法語


人間が反対と摩擦から解放されてしまった時に

それはレールの上に油を塗って滑らした機関車のように、

上向することはできないで下向(げこう)するばかりである。


抵抗と摩擦とによって人間は自己をみがき上昇し向上する。


カントは鳩(はと)の例をあげている。


鳩は空気の抵抗によってその速力を減ぜしめられ、その飛翔を困難ならしめられる。

だから、もし空気の抵抗がなかったならば、

鳩は尚(なお)一層快速に、尚一そう容易に飛翔し得るだろうとも思えるが、


空気をぬいて真空のところを飛翔せしめて見るならば、

忽(たちま)ち鳩は飛ぶことができないで落下することは間違いはないのであると。



『 生長の家 』 誌 昭和二十四年七月号

「 困難の受け方に就いて 」 五日の法語  谷口雅春先生




摩擦ある環境もお蔭(かげ)である

2014-04-15 00:05:09 | 今日の光明法語



飛行機は 空気の抵抗によって上昇する。

機関車は レールの摩擦によって疾走する。


すべての困難と抵抗とは 自己を向上せしめ 前進せしめるための天与の刺戟である。


もっともすぐれたる刃物は 火の中で焼かれ、鉄槌(てっつい)をもってくだかれ、

はげしき砥石(といし)の摩擦によって その光輝(こうき)燦然(さんぜん)たる光を放つのである。


ダイヤモンドは 硬くして純粋度の多いものほど

はげしい摩擦によってのみ その光輝を発することができるのである。


ダイヤモンドを磨くのはダイヤモンド自身の粉末の摩擦によるのである。



『 生長の家 』 誌 昭和二十四年七月号

「 困難の受け方に就いて 」 四日の法語  谷口雅春先生