☆ 住 吉 大 神 浄 め 給 う ☆

天皇陛下、ありがとうございます。ご先祖の皆様、お父さん、お母さん、家族の皆様、ありがとうございます。

私が公職追放になって、団体の全般に裁断を下すことが許されなかった時代の習慣の継続で・・・・・・

2015-07-25 23:39:15 | 今日の光明法語

総裁と云う名称に 私は復帰したが 総裁と云うのは、

その団体の総ての事に裁断を下すと云う内部的な役職名であって、

外部の人に対して、内部の人が私のことを 「 総裁先生 」 だなどと

云うべきものではありません。


時々、こんな誤りを犯して誌友会に はじめて集って来た人の前でも、

「 総裁先生の御法話がございます 」 などと紹介されて

私は冷汗をかくことがあるのである。


私を呼ぶには 「 谷口さん 」 でよいのである。

弟子が師を呼ぶのに、呼び捨てでは困ると感ずる人があれば、

簡単に「 谷口先生 」 でよい。

これなら何処へもって往(い)っても差支えない。


今まで 私は教祖だなんて名称をつけられたので、

外部からは迷信くさく見られたり、威張っているように見られて、

而(しか)も「 お前は教えばかりしておれば宜(よろ)しい 」 と云うように、

光明化運動の総てのことに裁断を下すことが出来ず、

大抵のことは理事のみが 事を理(わきま)え処置していたので、

私の知らぬことが、いつの間にか行われていたのであります。


それは私が公職追放になって、団体の全般に裁断を下すことが

許されなかった時代の習慣の継続で 内部の組織が悪かったので、

それぞれの役職員の欠陥ではなかったのです。


組織が改まったので 唯今 本部内はスッキリと清まって、

しかも温かい雰囲気が満ちております。



「 明窓浄机 」 『 生長の家 』 誌 昭和 32 年 5 月号 91頁  谷 口 雅 春 先 生




祈りによって神の智慧を求めよ

2015-07-15 15:48:54 | 今日の光明法語

吾々は祈るということの力を知らなければならないのであります。

祈りというものは、神さまに波長を合わす方法でありますから、波長を合わせば、

自分にとって適当な智慧は自(おのず)から与えられて来るのであります。


富とは人のためになる働きが物象化したものでありますから、

決して単なる紙幣ではないのであります。

だから神に 「 富 」 を祈るには、紙幣を与え給えと祈るのではいけないのであります。

・・・・・・

「 紙幣 」 は神の世界にはありませんが、愛 と 智慧 と 生命 とはあるのですから、

それを祈れば波長が合うから、それがきっと吾々の世界に具象化して実現して来るのであります。


そこで富を求めんとするものは、次の如く祈ると共に生活の上に

それを実践すればいいのであります。


「 天地の造り主にましまし吾が生みの親にまします神よ。

どうぞ私の天分にかないますところの、

出来るだけ多勢の人のためになる善き智慧を与え給え。

そしてその善き智慧を実現し得る生命力を与え給え。」


こういうように繰り返し繰り返し心の中で祈って、

神の感応したに違いないというような心境に達した時、

「 すでに吾が祈りは聴かれました。ありがとうございます 」 と

感謝の心を深く起して その祈りを終ればいいのであります。


すると適当な時に そのよき考えが頭に ‘ ふと ’ きらめいて来るのであります。

そのよき考えは 必ずしも祈りの最中に 又は 祈りの直後に与えられるとは

きまっていないのであります。


‘ ふと ’ した はずみにハッとよき考えがきらめいて来たり、

或(あるい)は人が「 君 こういう仕事をしてはどうかね、資本は出してやるがね 」

などと持ち掛けてくれることがあるのであります。


よき考えは 自分の頭からのみ閃(ひら)めいて来るものだと考えてはなりません。

宇宙は一つの生命でありますから、他の人の頭にひらめくよき考えも、

それが自分に もたらされる時、結局 自分に もたらされたよき考えなのであります。


先述の祈りの中に 「 私の天分に適しましたる 」 という言葉が入っておりますが、

これは是非(ぜひ)なくては ならない言葉なのであります。


人間には色々の天分がありまして、必ずしも甲のできることが乙に出来ることでは

ないのであります。・・・・・

即ち 天分に従って富を実現するための職業も変って来るのであります。



新編 『 生命の實相 』 第15巻  86頁~91頁  谷 口 雅 春 先 生


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