総裁と云う名称に 私は復帰したが 総裁と云うのは、
その団体の総ての事に裁断を下すと云う内部的な役職名であって、
外部の人に対して、内部の人が私のことを 「 総裁先生 」 だなどと
云うべきものではありません。
時々、こんな誤りを犯して誌友会に はじめて集って来た人の前でも、
「 総裁先生の御法話がございます 」 などと紹介されて
私は冷汗をかくことがあるのである。
私を呼ぶには 「 谷口さん 」 でよいのである。
弟子が師を呼ぶのに、呼び捨てでは困ると感ずる人があれば、
簡単に「 谷口先生 」 でよい。
これなら何処へもって往(い)っても差支えない。
今まで 私は教祖だなんて名称をつけられたので、
外部からは迷信くさく見られたり、威張っているように見られて、
而(しか)も「 お前は教えばかりしておれば宜(よろ)しい 」 と云うように、
光明化運動の総てのことに裁断を下すことが出来ず、
大抵のことは理事のみが 事を理(わきま)え処置していたので、
私の知らぬことが、いつの間にか行われていたのであります。
それは私が公職追放になって、団体の全般に裁断を下すことが
許されなかった時代の習慣の継続で 内部の組織が悪かったので、
それぞれの役職員の欠陥ではなかったのです。
組織が改まったので 唯今 本部内はスッキリと清まって、
しかも温かい雰囲気が満ちております。
「 明窓浄机 」 『 生長の家 』 誌 昭和 32 年 5 月号 91頁 谷 口 雅 春 先 生