☆ 住 吉 大 神 浄 め 給 う ☆

天皇陛下、ありがとうございます。ご先祖の皆様、お父さん、お母さん、家族の皆様、ありがとうございます。

『 名著講義 』 藤原 正彦 著  文藝春秋(単行本)、 文春文庫

2017-11-25 20:12:15 | 紹介

本書は、お茶の水女子大学で 十数年にわたり続いてきた、藤原教授の 「 読書ゼミ 」を
収録したものである。各回の講義を 繰り返し読んでいると、とても味わい深いものがある。
取り上げられている作品は、明治から昭和前期までに書かれた11冊の「 名著 」 である。

最終章として、平成21年3月14日、お茶の水女子大学で行われた最終講義が収められている。

著者は、「 はじめに 」 において、次のように述べている。

< この授業を通じて私は、生まれて十八、九年間、ありとあらゆる偏見で
もみくちゃになった学生達に、主に明治期の偉人を通し、日本人としての生き方や
考え方に触れさせたいと思った。


日本人の原点に いささかでも触れると同時に、 「 時代の常識 」 からいったん退き
自分自身の頭で考えるという習慣をつけて欲しいと思った。

これまで受験勉強に追われて本をあまり読んでいない学生達に、
読書の愉(たの)しみを知ってもらえれば尚更(なおさら) 良いと願っていた。

・・・・・・・・

昔の人は 無知蒙昧(もうまい)、自分達 現代人が当然ながら歴史上一番偉い、と
信じていた学生達の多くが、江戸や明治の人々は人間として自分達よりはるかに上だった、
もしかしたら自分達は 史上最低かも知れない、とまで思うようになるのである。

偉大なる先人への尊敬ばかりではなく、名もなき庶民にまで親しみを感じ
敬意を抱くようになる。そして何より、そのような人々が生きた、
築いてきた この国に対して、誇りを感ずるようになるのである。

日本は恥ずかしい歴史を持った国、というこびりついた観念が
このゼミを通して霧消(むしょう)して行くのを見るのは私の喜びだった。


< 読み込まれた文庫本を片手に、感想を交わす女子学生たち ― 。
お茶の水女子大学の名物授業、藤原正彦教授の 「 読書ゼミ 」 始業前の光景だ。
毎週一冊、日本の名著を読んでレポートを提出し、討論を重ねて十年あまり続いてきた。

聴講資格は 「 毎週文庫一冊を読む根性、毎週一冊文庫を買う財力 」 。
「 読書こそ人間の基礎 」 と考える藤原教授が、専攻にかかわらず抽選で
選ばれた一年生二十人と、時に激論、時に人生相談、時に脱線し爆笑しながらの白熱授業。
さあ、いよいよ開講である。>

< なお本書は、「 文藝春秋 」 誌の二十代末の女性編集者 幸脇啓子氏が、
ジーンズをはくなど十歳ほど若づくりをしてゼミに潜入し、録音テープを
回したものに基づいて作られた。

「 お肌の張りの差に愕然(がくぜん) 」 とぼやきながらも熱心に実況中継して
くれた幸脇啓子氏、そして何より、ゼミに若い力をぶつけてくれた学生達に感謝したい。>

目 次

第一回 新渡戸稲造 『 武士道 』 [ 明治三十二年 ]   11 
第二回 内村鑑三 『 余は如何にして基督信徒となりし乎 』[ 明治二十八年 ]  34
第三回 福沢諭吉 『 学問のすゝめ 』 [ 明治五年 ]  57

第四回 日本戦没学生記念会編 『 新版 きけわだつみのこえ 』[ 昭和二十四年 ]  80
第五回 渡辺京二 『 逝きし世の面影 』 [ 平成十年 ]   103
第六回 山川菊栄 『 武家の女性 』 [ 昭和十八年 ]  126

第七回 内村鑑三 『 代表的日本人 』 [ 明治二十七年 ]  149
第八回 無着成恭編『 山びこ学校 』[ 昭和二十六年 ]  173
第九回 宮本常一 『 忘れられた日本人 』 [ 昭和三十五年 ]  198

第十回 キャサリン・サンソム 『 東京に暮す 』 [ 昭和十二年 ]  221
第十一回 福沢諭吉 『 福翁自伝 』 [ 明治三十二年 ]  244

最終講義 藤原正彦『 若き数学者のアメリカ 』 から 『 孤愁 』 へ  265

※『 逝きし世の面影 』は 平凡社ライブラリー 、他は 岩波文庫(青帯)である。



万徳円満を得る祈り

2017-11-24 23:03:27 | 今日の光明法語
今朝の『 聖経 続 真理の吟唱 』 より

「 万徳円満を得る祈り 」 186頁  谷口雅春 先生

神の愛 が完(まっと)うするとき、
自然に神の智慧 があらわれて来て、
生命 が完うし、健康が成就し、

健康なる生命と智慧との働きによって
無限の供給 が得られることになり、

裕(ゆた)かさの中に歓喜調和 とが
おのずから備わるということになるのである。


日本をとり戻すために

2017-11-19 22:59:25 | 天皇・国家

数学者の岡 潔 氏といい、数学者の藤原 正彦 氏といい、二人の数学者は、
日本人特有の情緒や美感の大切さを説く。

< 祖国への誇りを持って初めて、先祖の築いた偉大なる文明を承継することができ、
奥深い自信を持つことができ、堂々と生きることができるのです。 >

数学者である藤原正彦氏の『 日本人の誇り 』 ( 文春新書 )より、
< 日本人が祖国への誇りを取り戻すための具体的な道筋 > を探ってゆきたい。


第八章 日本をとり戻すために

論理や合理だけでは 人間社会は動かない
・・・・・・
とりわけ我が国は、真に誇るべき文明を育んだ国でした。
それに絶大な誇りを持ってよいのです。

十九世紀に英国人スマイルズは、「 国家と国民は、自分達が輝かしい民族に
属するという感情により力強く支えられるものである 」
( 「 Character 」 by Samuel Smiles , 1871 )
と言いました。

祖国への誇りを持って初めて、先祖の築いた偉大なる文明を承継することができ、
奥深い自信を持つことができ、堂々と生きることができるのです。

アメリカの横暴やロシアの不誠実を諫(いさ)め、中国の野卑(やひ)を
戒(いまし)め、口角泡を飛ばし理屈ばかり言う米中に 「 論理とは ほとんど
常に自己正当化にすぎないものですよ 」 と諭(さと)すこともできます。

世界を動かすシステムに日本の視点から堂々と注文をつけることも
できるようになるのです。


「 誇り 」 を回復するために何が必要か

日本人が祖国への誇りを取り戻すための具体的な道筋は何でしょうか。
日本人は 「 敗戦国 」 をいまだに引きずり小さくなっています。
WGIP ( 罪意識 扶植計画 )で植えつけられた罪悪感を払拭することです。
そして作為的になされた 「 歴史の断絶 」 を回復することです。

すなわち、 「 誇り 」 を回復するための必然的第一歩は、戦勝国の復讐劇にすぎない
東京裁判の断固たる否定でなければなりません。そして日本の百年戦争がもたらした、
世界史に残る大殊勲をしっかり胸に刻むことです。


その上で 第二は、アメリカに押しつけられた、日本弱体化のための憲法を廃棄し、
新たに、日本人の、日本人による日本人のための憲法を作り上げることです。


現憲法の 「 前文 」 において 国家の生存が 他国に委(ゆだ)ねられているからです。
独立国でなくなっているからです。そして自衛隊は明らかに憲法違反であり、
「 自衛隊は軍隊ではない 」 という子供にも説明できぬ嘘を採用しなければ
ならなくなっているからです。

国家の支柱たる憲法に嘘があるからです。 「 嘘があってもいいではないか。
戦後の経済発展は軍備に金をかけず経済だけに注力したからではないか 」 と
いう人もいます。これも真っ赤な嘘です。戦前のドイツ、日本、戦後の韓国や台湾、
近年の中国など、毎年のGDP比10%、あるいはそれ以上の軍備拡大をしながら
目覚しい経済発展を遂げたからです。軍備拡大とは ある意味で景気刺激策とも
言えますから、むしろ当然なのです。

次いで 第三は、自らの国を自らで守ることを決意して実行することです。
他国に守ってもらう、というのは属国の定義と言ってよいものです。
屈辱的状況にあっては誇りも何もないからです。少くとも一定期間、自らの力で
自国を守るだけの強力な軍事力を持った上で、アメリカとの対等で強固な同盟を
結ばねばなりません。日米中正三角形論などという戯言(たわごと)に惑わされては
いけないのです。

この三つがなされ、日本の心髄とも言える美意識と独立自尊が取り戻されて初めて、
ペリー来航以来の百年戦争が真の終結を見るのです。


苦境を克服してこそ高みに達する

日本人の築いた文明は、実は日本人にとって もっとも適しているだけではありません。
個より公、金より徳、競争より和、主張するより察する、惻隠(そくいん)や
「 もののあはれ 」 などを美しいと感ずる我が文明は、 「 貧しくとも みな幸せそう 」
という、古今未曾有の社会を作った文明なのです。戦後になってさえ、
「 国民総中流 」 という どの国も達成できなかった夢のような社会を実現させた文明です。

今日に至るも、キリスト教、儒教、その他いかなる宗教の行き渡った国より、
この美感を原理としてやって来た日本で、治安は もっともよく、人々の心は
もっとも穏やかで、人情や惻隠に溢れ倫理道徳も高いのです。

今度の東北関東大地震でも、このような混乱時には どこでも起る略奪が極めて少なく、
秩序がきちっと保たれていること、冷静にじっと耐える被災者を
国民こぞって助けようとしていること、などは世界中から賞賛されています。

原発への放水の際に見せた消防隊や自衛隊の決死的行動は 海外の新聞で
「 ヒーロー 」 と一面トップを飾りました。 「 これから原発に行く 」 と
メールで妻に告げた消防隊長に、 「 日本の救世主になって下さい 」 と
一行の返答が届いたそうです。日本人は、まだ日本人だったのです。

日本人特有のこの美感は 普遍的価値として 今後必ずや論理、合理、理性を補完し、
混迷の世界を救うものになるでしょう。
日本人は誇りと自信をもって、これを取り戻すことです。

これさえあれば 我が国の直面するほとんどの困難が自然にほぐれて行きます。
さらに願わくば、この普遍的価値の可能性を繰り返し世界に発信し訴えて行くことです。

スマイルズは 前述の書で 次のように言いました。
「 歴史を振り返ると、国家が苦境に立たされた時代こそ、もっとも実り多い時代だった。
それを乗り越えて初めて、国家はさらなる高みに到達するからである 」 ( 藤原 訳 )

現代の日本は まさにその苦境に立たされています。
日本人の覚醒と奮起に期待したいものです。

『 日本人の誇り 』 245~249頁  藤原 正彦 著  文春新書




祖国愛の視座を欠いた言説は 空虚で、無意味である

2017-11-18 12:02:43 | 天皇・国家

数学者の藤原正彦氏の 的を射た論説を 『 祖国とは国語 』 より、紹介させて戴きます。

< 現在、我が国の直面する困難の大半は、祖国愛の欠如に帰因 ( 起因 )すると
言ってよいだろう。祖国愛と国益主義を峻別 し、すべての子供にゆるぎない祖国愛を
育(はぐ)くむことは、国家再生の急所と考える。 >


【 パトリオティズム 】 ( 祖国愛 )

 最近出席した二つの審議会で、愛国心が問題となった。
重要性を主張する委員たちと危険性を憂慮する委員たちの間に、
深い溝が見られた。一般の意見も二分されるのだろう。

祖国を愛すべきかで国論が割れる様は、おそらく世界に類例がなく、
外から見れば喜劇であり、内から見れば悲劇である。

 英語で愛国心にあたるものに、ナショナリズムとパトリオティズムがあるが、
二つはまったく異なる。ナショナリズムは通常、他国を押しのけてでも
自国の国益を追求する姿勢である。私はこれを国益主義と表現する。

パトリオティズムの方は、祖国の文化、伝統、歴史、自然などに誇りをもち、
またそれらをこよなく愛する精神である。私はこれを祖国愛と表現する。
家族愛、郷土愛の延長にあるものである。

 英米人が「 彼は ナショナリストだ 」 と言ったら批判である。
一方「 あなたはパトリオティストですか 」 と英米人に尋ねたら、
怪訝(けげん)な顔をされるか、怒鳴られるだろう。
「 あなたは正直者ですか 」 と尋ねるようなものだからである。

 我が国では明治の頃から、この二つを 愛国心という一つの言葉でくくってきた。
江戸時代まで、祖国を意識することはさほどなかったから、明治の人々も
そういうことに大雑把(おおざっぱ)だったのだろう。これが不幸の始まりだった。

愛国心の掛け声で列強との利権争奪に加わり、ついには破滅に至るまで狂奔したのだった。
戦後は一転し、愛国心こそ軍国主義の生みの親とあっさり捨てられた。
かくしてその一部分である祖国愛も運命を共にしたのである。
心棒をなくした国家は半世紀たつとどうなるか、が今日の日本である。
言語がいかに決定的かを示す好例でもある。


 祖国愛は どの国の国民にとっても絶対不可欠の精神である。
正直や誠実などと同じ倫理であり、これなくしてどんな主張も空虚である。

これは宗教と無関係である。

偉大なるキリスト者であり祖国愛の人でもある内村鑑三は「二つのJ」を愛すと言った。
キリスト(JESUS)と日本(JAPAN)である。戦争とも無関係である。
日露戦争を支持する圧倒的世論に抗し、断固反対したのも内村だった。
日露戦争に勝てば、その傲(おご)りがより大きな戦争へ祖国を導く、という理由だった。

 一方、国益主義は一般人にとって不必要なばかりか危険でもある。
良識ある人の嫌悪すべきものと言ってよい。

ただし外国と折衝する政治家や官僚はこれをもたねばならない。必要悪である。
他国のそういった人々がそれに凝り固まっているからである。
イラク問題で発言するイラク、米英、独仏中露などの首脳の腹にあるのは、
露骨な国益追求のみである。よくぞ臆面(おくめん)もなく あのような美辞麗句を、
と呆(あき)れるほどの厚顔無恥(こうがんむち)である。このような人々に対処し、
平和、安全、繁栄を確保するには、こちらにも国益を貫く強い意思が必要である。

 指導層が国益を追うのは当然だが、追い過ぎると、肝心の祖国を傷つける。
戦前のように祖国を壊しさえする。国益主義は暴走し、国益を守るに足る祖国そのものを
台無しにしやすいから、それを担ぐ指導層は、それが祖国の品格を傷つけぬよう節度を
持つ必要がある。国民がそれを冷静に監視すべきことは言うまでもない。


 祖国愛という視座を欠いた言説(げんせつ)や行為は、どんなものも無意味である。
これの薄弱な左翼や右翼は、日本より日中関係や日米関係を大事にする。
これの薄弱な政治家やエコノミストや財界人は、軽々しくグローバリズムに乗ったり、
市場原理などという歴史的誤りに浮かれたりして、祖国の経済ばかりか
文化、伝統、自然を損なって恥じない。
これの薄弱な教師や父母は、地球市民などという、世界のどこでも相手に
されない根無し草を作ろうとする。
これの薄弱な文部官僚は小学校の国語や算数を減らし英語やパソコンを導入する。

 情報化とともに世界の一様化が進んでいる。ボーダーレス社会と囃(はや)される。
各国、各民族、各地方に美しく開花した文化や伝統の花は、確固たる祖国愛や
郷土愛なしには 風前の灯(ともしび)である。

この地球をチューリップ一色にしてはいけない。
一面の菜の花も 野に咲く一輪のすみれもあって地球は美しい。
世界の人々の郷土愛、祖国愛こそが美しい地球を守る。

愛国心という言葉がまったく異質な二つのものを含んでいたことで、この一世紀、
我が国は いかに巨大な損失をこうむったことか。戦後はそのおかげで祖国愛まで失なった。

 現在、我が国の直面する困難の大半は、祖国愛の欠如に帰因 ( 起因 )すると
言ってよいだろう。祖国愛と国益主義を峻別し、すべての子供にゆるぎない祖国愛を
育(はぐ)くむことは、国家再生の急所と考える。

『 祖国とは 国語 』 新潮文庫 90~93頁  藤原 正彦 著 
          講談社 136~139頁


          

歴史・文化・伝統の基軸をしっかり護る

2017-11-17 17:26:27 | 天皇・国家

学生の頃、民青系全学連が『 祖国と学問のために 』 という機関紙を
出していた。ここで言っている、祖国は共産主義国家を意味していて、
具体的には、当時のソ連や中国であった。

そもそも、民青は共産党の青年組織であり、共産党はもともと、
コミンテルン(共産主義インターナショナル)日本支部であった。

共産主義は、大衆路線による暴力革命から 組織の内側から資本主義、自由主義の
欠陥から切り崩してゆく組織路線に変わっている。外から見ると冷戦の時代は
終ったかに見えるが、共産主義の脅威はいささかも変わっていない。

今は 内側から、歴史・文化・伝統の基軸を破壊することで、
共産主義を目指しているのである。そのことは、反安倍と言いながら、
なぜか中国や北朝鮮やソ連のことは、一言も言わない、
むしろ擁護していることからも窺えるのではないか。



家族愛、郷土愛、祖国愛(パトリオティズム)のない人類愛は、砂上の楼閣にすぎない

2017-11-17 11:20:38 | 天皇・国家

「 家族愛、郷土愛、祖国愛は 人間の基本 」である。
「 この三つが固まって初めて、最も崇高な人類愛を持つことができる 」 のである。

< 三つの愛なしの人類愛は 砂上の楼閣にすぎません。
そのうえ、家族を心から愛し、郷土の空、雲、風、山、谷、光、花、鳥、田、畑を
涙ながらに愛し、祖国の文化や伝統を こよなく愛する者は、他国の人々の同じ想いをも
よく理解できます。

すなわち、三つの愛は、戦争の抑止力にもなるのです。
このような情緒の未発達な者は、いざという時に適当な理屈や論理を編み出して
侵略に加担しかねない人です。

三つの愛のないような人間は、世界どこへ行っても尊敬はおろか信頼さえされません。>

『 日本人の誇り 』 94頁 藤原 正彦 著  文春新書



聖典 『 生命の實相 』 には、<あらゆる真理の奥伝秘伝が示されている> 

2017-11-14 00:00:28 | 天皇・国家

我々は、中学生の頃、社会科の授業で、ロックから基本的人権として、
「 人が生まれながらにもつ、個人の生命・自由・財産は、どんな権力も
おかすことができない 」 ことを、

ルソーからは、国民主権(人民主権)として、 「 国の権力は もともと人民自身に
ある 」こと( 主著は『 社会契約論 』 )を、

モンテスキュからは、三権分立として、立法・行政・司法の三権を互いに抑制させる
ことによって、ひとつの権力が肥大化することを防ぐことを、学んだ記憶があるに違いない。

しかしながら、そもそもこれらは、白人のためのものであり、有色人種は含まれて
いなかったのである。そこに、有色民族の解放の戦い、大東亜戦争が人類進化の
歴史的必然としてあったのではないか。

< 植民地支配は、一九世紀のヨオロッパでは正義とみなされていた。
『 イエス伝 』の著者として日本でも名高いフランスの歴史家エルネスト・ルナンは、
一九世紀半ばすぎに書いている。

「 植民地獲得は、ひろい視野から考えて完全に第一級の政治的必要性をもつ。
( 中略 ) 劣等人種の国土を優秀な人種が征服し、そこに支配権を樹立することに、
何の不都合もないのである。 」

名誉心を殆んどもちあわせない、ただし手先の器用な労働者として
自然はシナ人という人種をつくり出し、農業労働者として黒人をつくったのであり、
彼らを支配することこそがヨオロッパ人の仕事であるとルナンはいう。
彼のいうシナ人の範疇(はんちゅう)には、日本人も含まれていると考えてよい。

幕末の日本人は、こういう思想を奉じる白人の諸国がアジアの各地に次々に
侵攻して来るのを見て戦慄した。ヨオロッパ列強によるアジアの植民地化の波から
いかに生きのびるかが、当時の日本に課せられた巨大な課題だった。>

『 日本人と天皇 』 99~100頁 村松剛 著 PHP研究所

数学者の 藤原 正彦 氏は、いう。

「 欧米を見れば分かるように自由や平等、権利を何百年絶叫しても
人間社会の諸問題は解決しない。」( 読売新聞 平成18年6月28日 )

谷口雅春先生が説かれた聖典『 生命の實相 』 に、すべての問題解決の鍵が
秘められているのである。



占領者は 現地の制度や法令を変えてはならない

2017-11-13 10:12:30 | 紹介

わが国の占領憲法には、「 日本 」 がない。歴史、文化、伝統がことごとく、
六年八ヶ月にも及ぶ占領で、洗脳されてしまったからである。

< 戦後我が国を統治したGHQすなわちアメリカの最大課題は、
「 日本を再び立ち上がってアメリカに刃向かわないような国にする 」 と
いうことでした。

下手にエリートをつくると、底力のあるこの民族は 再び強力な国家を作ってしまう。
そこで、まずエリートを潰さなければというわけで、真っ先に旧制中学、旧制高校を
潰してしまった。

もちろんこの措置は、一九〇七年に結ばれたハーグ条約にある 「 占領者は現地の
制度や法令を変えてはならない
」 という趣旨の第四十三条にあからさまに
違反するものです。

大がかりな検閲によって言論の自由さえ封殺するという、洗脳のための蛮行を
秘かに実施していたアメリカにとって、これくらいは朝飯前だったのです。

ハーグ条約に関して付け加えると、憲法や教育基本法を押しつけたのも同様に違反です。>

『 国家の品格 』 84~85頁 藤原正彦 著 新潮新書


この書のなかで、藤原正彦氏は、真のエリートは、 「 偏差値エリート 」 ではなく、
次の二つの条件をあげています。

< 第一に、文学、哲学、歴史、芸術、科学といった、何の役にも立たないような教養を
たっぷりと身につけていること。そうした教養を背景として、庶民とは比較にもならない
ような圧倒的な大局観や総合判断力を持っていること。これが第一条件です。

第二条件は、 「 いざ 」 となれば 国家、国民のために喜んで命を捨てる気概が
あることです。この真のエリートが、いま日本からいなくなってしまいました。>

『 国家の品格 』 84頁 藤原正彦 著 新潮新書



昭和天皇が語られた天皇論

2017-11-12 23:35:00 | 天皇・国家

日本の天皇は皇帝(エンペラー)と呼ばれているために、明治憲法下の天皇が
独裁者だったと信じこんでいる人びとが欧米には いまでも少くない。
圧倒的多数がそう思いこんでいるといって、過言ではないだろう。

西洋でいうエンペラー、カイゼル、ツァールは、いずれもローマ帝国の
皇帝(カエサル)または(同じことだが)総司令官(インペラトール)の意味だから、
独裁者という理念を歴史的に内包している。

しかし日本の天皇は、奈良朝のおわりごろまではべつとして、カエサルや
インペラトールだったことはなく、明治憲法は立憲君主制の憲法だった。

憲法については 敗戦直後に 昭和天皇が、藤田尚德侍従長におっしゃられた
おことばがある。ひろく知られているはずだが、あえて引用しておく。


「 申すまでもないが、我国には厳として憲法があって、天皇はこの憲法の
条規によって行動しなければならない。またこの憲法によって、国務上に
ちゃんと権限を委ねられ、責任をおわされた国務大臣がある。 」

「 だから内治にしろ外交にしろ、憲法上の責任者が慎重に審議をつくして、
ある方策をたて、これを規定に遵(したが)って提出して裁可を請われた場合には、
私はそれが意に満ちても、意に満たなくても、よろしいと裁可する以外に執るべき道はない。

もしそうせずに、私がその時の心持次第で、ある時は裁可し、
ある時は却下したとすれば、その後 責任者はいかにベストを尽しても、
天皇の心持によって何とかなるか分からないことになり、
責任者として国政につき責任をとることが出来なくなる。

これは明白に天皇が、憲法を破壊するものである。専制政治国ならばいざ知らず、
立憲国の君主として、私にはそんなことは出来ない。 」


天皇が語られた明快な天皇論、といえる。天皇は裕仁親王時代のイギリス訪問によって、
立憲君主制の実情を見聞してもおられた。

立憲体制の一機関と化すことを、昭和天皇はご自身にきびしく課して来られたのである。


世の中を かくあらまほし おだやかに 朝日にほへる おほうみのはら

摂政御就任の直後、大正十一年の歌会はじめにさいしての御製だった。


『 日本人と天皇 』 27~28頁 村松剛 著 PHP研究所



わが国の国柄

2017-11-11 18:08:10 | 天皇・国家

権力は常に移り変わってゆく。そうした中で、変わらざる権威としての安定軸が
あることは重要だ。 「 権威と権力とは 分けておいた方が、国の安定は保たれる。 」

「 権威と権力との分離は、奈良朝以前からすでに はじまっていた。
その権力の部分に後世 藤原氏が坐り、次には平家や鎌倉幕府が坐る。

祭祀王の伝統を保つ工夫が古い時代に準備され、外国に軍事力によって
支配されたことが ― マッカーサーの七年間以外には ― なかったという
幸せも手伝って、皇統は今日にいたったといえそうに思う。

権力が皇室から離れても、政治的大混乱期に際会すると、
人々はこの古い権威を背景に国内の統一を回復しようとした。

豊臣秀吉の場合が、そうだった。明治維新のときには秀吉の仕事とは
比較にならないほどの大改革を必要としたので、権威を前面に押立ねば
ならなかったのである。 」

『 日本人と天皇 』 ( 66~67頁 村松剛 著 PHP研究所 )

「 先の大戦終了時にも内閣は収拾がつかなくなり、昭和天皇の御判断を仰いだし、
戦後復興で国民がやる気を出したのも天皇陛下の全国御巡幸が一つの大きな契機になった。」

( 『 国民の憲法 』産経新聞社 )

わが国の国柄を連綿と流れている精神は、天皇陛下の祭祀と無私の祈りにあるのではないか。



憲法の家

2017-11-08 20:56:25 | 天皇・国家

憲法とは、国家・国民が独立を守り、未来へと進んでいく時間的な縦軸と、
国際社会との協調や自然環境との共生を目指す空間的な横軸を持つ
「 運命共同体 」 のような家であるべきである。
 国家権力を規制するのが憲法である というのは、一面的な見方である。


「 国民の憲法 」 要 綱

   前 文

日本国は先人から受け継いだ悠久の歴史をもち、天皇を国のもといとする立憲国家である。
日本国民は建国以来、天皇を国民統合のよりどころとし、専断を排して衆議を重んじ、

尊厳ある近代国家を形成した。山紫水明の美しい国土と自然に恵まれ、海洋国家として
独自の日本文明を築いた。よもの海をはらからと願い、和をもって貴しとする精神と、
国難に赴く雄々しさをはぐくんできた。


日本国民は多様な価値観を認め、進取の気性と異文化との協和によって
固有の伝統文化を生み出してきた。先の大戦による荒廃から復興し、

幾多の自然災害をしなやかな精神で超克した。国際社会の中に枢要な地位を占め、
国際規範を尊重し、協調して重要な役割を果たす覚悟を有する。


日本国は自由主義、民主主義に立脚して、基本的人権を尊重し、
議会制民主主義のうえに国民の福祉を増進し、活力ある公正な社会を実現する。

国家の目標として独立自存の道義国家を目指す。人種平等を重んじ、
民族の共存共栄をはかり、国際社会の安全と繁栄に積極的に貢献する。


われら日本国民は、恒久平和を希求しつつ、国の主権、独立、名誉を守ることを決意する。
これら崇高な理想と誇りをもって、ここに憲法を制定する。


  第一章 天 皇
 
第一条 ( 国柄 ) 

日本国は、天皇を国の永続性および国民統合の象徴とする立憲君主国である。

第二条 ( 国の元首 )

天皇は、日本国の元首であり、国を代表する。


現憲法下でも 政府見解では 日本は立憲君主国で 天皇は元首であるが、
憲法に明文の規定がないため、わが国の国柄を明記するべきである。


『 国民の憲法 』 産経新聞社より適宜抜粋。



何故(なぜ)戦争は 止(や)まないか

2017-11-08 00:51:08 | 今日の光明法語

何故、戦争や馬鹿馬鹿しい闘争が繰返(くりかえ)されるのでしょうか。
少し考え深(ぶか)い人なら戦争は引合(ひきあ)わぬ商売だと云うことが
わかる筈(はず)なのです。

此の引合わぬことをするのは 人類の自己処罰意識から来るのです。

人間は “ 神の子 ” であり “ 本来無罪 ” の自覚に到達することができず、
人類の潜在意識の中に “ 自分は罪人(つみびと)だから戦争でもして
自(みずか)ら傷つけることによって自己処罰しなければならない ” と云うような観念が
抜け切らないからなのです。

罪の観念は 罪を招(よ)び、大量殺人という自己処罰の罪悪を犯(おか)すことに
なるのです。


だから根本的な平和運動は、「 人類は互(たがい)に神の子として兄弟であるから
仲良くしなければならない 」 と自覚すると共に 

「 人類は神の子として本来無罪である。神のみが創造主(つくりぬし)であり、
神は罪をつくらないから、罪は無いのだ 」 という教えを人類に出来るだけ早く
弘(ひろ)めるようにしなければならぬのです。

新装新版『 真理 』第9巻 生活篇 第十三章 埋蔵されたる力 310頁 
谷口雅春先生 光明思想社



軍備は国家の威厳である

2017-11-08 00:50:08 | 今日の光明法語

「 予想する 」 ということは一種の「 祈り 」である。不幸や災厄や戦争や病気を
予想することは、それらの不祥事を起るように祈っているのと同じことである。
「 軍備は戦争を予想するから却(かえ)って戦争を招く 」 と主張する者もあるけれども、

「 国家の威厳 」 として軍備をととのえるとき 「 その威厳によって、決して他国は
自国に侵略などしてくるものではない 」 と云う信念が湧いて来るならば、
軍備は決して戦争を予想することにはならないのである。

軍備と云うものを、ただ戦うためのものだと考えることは間違いである。

軍備は女郎蜘蛛(じょろうぐも)や毛虫が毒々(どくどく)しい色をしているために
鳥類からの捕獲をまぬがれるのと似ている。鳥類が昆虫をとろうと思えば、
毒々しい色彩などは何ら防禦(ぼうぎょ)の実力はないのであるが、

それがあるがために一種の威厳を備えていて、小鳥は此(これ)らの蜘蛛(くも)や
毛虫には近寄ることを敢(あえ)てしないのである。


新装新版 『 真理 』 第 9 巻 生活篇 第五章 霊的修行と神に近づく道に就(つ)いて 
108~109頁 谷口雅春先生 光明思想社
http://komyoushisousha.co.jp/m_taniguchi/m_taniguchic/cat_truth/

憲法学者が自衛隊を違憲であるとか言うことのないように、
憲法第9条に、明確に「 国家の威厳として軍備を備える 」 旨、明記するべきである。



「 “ 支配される国民 ” の側から見れば・・・ 」 ( ブックレット №3 30頁 )

2017-11-06 12:25:08 | 今日の出来事

『 “ 人間・神の子 ” は 立憲主義の基礎 』( ブックレット №3 )を 要約すると、
「 ヨーロッパ市民革命の成果を踏まえて 」、憲法において 「 人権 」 と「 自由 」 が
保障される社会が「 生長の家が目指している国の形 」 であるということである。

そして、「 人権 」と 「 自由 」 の基礎となるのが 「 人間、神の子 」 の教えであると
いうのである。生長の家の「 人間、神の子( 霊的実在 ) 」の教えと似ているようで、
本来の御教えとは違うことに気付くはずだ。

人権といい、自由といい、どのような人間観、人生観、国家観かで、内部分裂や混乱が
生じることは目に見えている。だからこそ、立憲民主主義という言葉の前に
「“ 神の子”の良心に基づく 」と 敢(あ)えて付け加えざるを得なかったのではないか。

「 “ 支配される国民 ” の側から見れば、憲法が “ 権力の暴走 ” を未然に防ぐ仕組みを
定めていることによって、自由で豊かな生活への道程が開かれるのです。 」( ブックレット №3 30頁 )

生長の家の御教えである「 人間、神の子 」 の教えには、支配や被支配という考えはないのである。
監修している谷口雅宣氏の 人間観、人生観、国家観をしっかりと観てゆくことが大事である。





索引から真理を学ぶ

2017-11-04 20:52:48 | 紹介

新装新版『 真理 』には、新版 『 真理 』 別冊に、全巻11巻の索引等がまとめてある。
総索引について、第〇巻の何頁にその用語があるか、調べられるようになっているのである。
例えば、

【あ】
愛 
「 ―の生かす力 」 第 5 巻 76

というように、「 愛の生かす力 」 について、第 5 巻の76頁に書かれていることが
すぐにわかる。

以前に、知り合いの方から、「〇〇の法則」について、聖典のどこに書かれてあるか、
問い合わせがあったことがある。

とても便利である。通読すると同時に、索引から真理を学ぶこともできるのである。

その他に 【 体験事例別索引 】 として、治病、教育、繁栄、家庭、宗教の項目ごとの
体験事例を索引から直接、読むこともできる。

総目次として、新版『 真理 』 全11巻の 各巻の目次の全項目も巻末にまとめられている。


新編 『 生命の實相 』 については、各巻の終わりに索引があります。