人は今までの考え方や、やり方の習慣の中に安住して、
新しい生活や事業を開いて行こうとしない傾向があり勝ちである。
昔のままで動かないでいることが、不安がなく落ち着く気持ちがするので、
安易な方を選ぼうとするのである。
しかし人類は進歩する、社会も進歩する、科学も進歩する、私たちはそれらの進運(しんうん)に
とり残されてはならないのである。
「 古きを温(たず)ねて新しきを知る 」( 温故知新 )ということは、
特に先聖(せんしょう)の人々の生活の行履(あんり)に われわれの精神の行き方を学ぶことが
大切であることを言ったものであるが、
その先聖の精神が示された行き方によって、新しいものをきり開いて行くことが大切なのである。
先聖は決して旧態依然たる古い習慣にしがみついたりしてはいられなかったのである。
『 生長の家 』 誌 昭和四十四年十二月号
「 実相を礼拝して 生活を光明化するには 」 二十日の法語 谷口雅春