☆ 住 吉 大 神 浄 め 給 う ☆

天皇陛下、ありがとうございます。ご先祖の皆様、お父さん、お母さん、家族の皆様、ありがとうございます。

人類の日常生活に奉仕せよ

2014-08-31 21:08:39 | 今日の光明法語

「 諸君の富は諸君の頭の中にあるのであって何処かの銀行にはないのである 」 と

テリル・マン氏は云っている。


先ず頭によって人類に今あるよりも一層役に立つ考案を考えることである。


戦争中でもアメリカ人は一個の万年筆や時計の竜頭(りゅうず)にさえも

「 尚一層便利 」 と 「 美 」 と云うことを発明し考案して、

人類の日常生活になお一層奉仕しようとしていたのである。


パーカー51号の万年筆や、

ネジを廻さないでも竜頭がスポンと脱けるようになっている懐中時計の如きは其の例である。



『 生長の家 』 誌 昭和二十三年三月号

 三十一日の法語  谷 口 雅 春 先 生





致富の秘訣は二つの真理にある

2014-08-30 04:48:42 | 今日の光明法語

ラッセル・H・コンウェルの 「 致富講演 」 によると

致富の原理は 大体次の二つである。


第一は最大多数の人類に広く要求せられるものを与える事。


第二は、資本や門閥やそのほかどんな力をも借りずして、

自分で新しく其の仕事を出発せしむることである。


先ず新しい考案が必要である。


その新しい考案が

人類的要求に応ずる事が必要なのである。


日本でも 「 亀の子たわし 」 一つ考案して

数百万円を贏(か)ち得た人もあるし、


ビール糟(かす)をビタミン剤として

数千万円を贏ち得た人もある。



『 生長の家 』 誌 昭和二十三年三月号

 三十日の法語  谷 口 雅 春 先 生




富の本源は愛と智慧とサービス

2014-08-29 03:30:00 | 今日の光明法語

金と云うものは

神様の世界にはないのであるから、

金を与えたまえと

神様に祈っても与えられない。


吾々は 愛を 智慧を サービスを 与えたまえと祈って、

自分が又 愛を 智慧を 奉仕を 世間に対して与えるとき、


それが神の世界のそれと波長が合うから、

神の愛が 智慧が サービスが

吾々の愛と 奉仕に 触れて富として実現する。


恰も太陽からの放射線が

地球の圏内に入って

光となり熱となって現れるようにである。


地球の雰囲気がなかったら

太陽の放射線も光熱とはならぬ。


神の愛も

人間の愛がなかったら富とはならぬ。




『 生長の家 』 誌 昭和二十三年三月号

 二十九日の法語  谷 口 雅 春 先 生




金を儲ける秘訣

2014-08-28 09:01:48 | 今日の光明法語

金を儲けるのも、

金は本来物質ではなく、


神の生命と愛との表現が、

人間の経済制度を通して


かくの如き姿に現れたものであるから、


「 金々々 」 とそれを求めても、

大いに得る事は出来ない。



グレン・クラーク教授は、

ある人が神様に 「 金を与え 」 と祈ったら、


愛深き神様は直に天の使いに命じて、

神様の世界に在りと凡ゆる倉庫を調べさせて

若し金があれば其の人に与える様に命じたけれども、


結局そのような金と云うものは神様の世界にはなかったと

譬喩を以って書いている。



『 生長の家 』 誌 昭和二十三年三月号

 二十八日の法語  谷 口 雅 春 先 生




金を愛するな

2014-08-27 03:30:00 | 今日の光明法語

富を愛することが悪いのではなく、

金‘のみ’を愛することが悪いのである。


金で‘もの’云わそうと云う根性が悪いのである。

金はある程度まで人間の欲する物を与える。


そのために人は、人間の欲するものの代表として

「 金 」 そのものを愛する様になり勝ちである。


併し金で買えないものがある。

人間の愛であり誠である。


人間の愛と誠とは、

こちらが愛と誠とをもってしなければ購うことは出来ない。


貨幣でツラをはろうと思っても

本当の愛と誠のある人は金では自由にはならない。



『 生長の家 』 誌 昭和二十三年三月号

 二十七日の法語  谷 口 雅 春 先 生




富とは一切の豊富さである

2014-08-26 08:18:06 | 今日の光明法語

人間が貧しいのは

何処か心の持ち方が間違っているからだ。


富が決して悪いのではない。

富が若し悪いものならば、

無限の富者である神は

無限の悪の所有者だと云わなければならない。


然るに本当は、全ての豊富と云うことは美徳であり、

素寒貧である事は悪徳又は劣徳であるのである。


富とは必ずしも金の事ではない。

金があっても富んでいない人が沢山ある。


富とは、よき考え、よき家族、よき師、よき弟子、よき雑誌、

よき性質、よき能力、それを表現する機関・・・等々。




『 生長の家 』 誌 昭和二十三年三月号

 二十六日の法語  谷 口 雅 春 先 生





先ず神の国を求めよ

2014-08-25 08:32:34 | 今日の光明法語

「 神と富とに兼ねつかうること能わず 」 と云う聖書の言葉を誤解して、

富めば神様にきらわれるように思い、

「 富める者の神の国に入ることの難きこと駱駝の針の孔を通るが如し 」 と云う言葉を

貧乏にならねば神の国に入れぬと解釈して、

いつも貧乏の生活を青年時代にしていたのは私であった。


今は神の国に入れば無限の豊富さが

自然に備わっていることを知るようになったのである。


「 富 」 を神の国の外に求めるから、

「 神と富とに兼ね仕えること 」 になるのだが、

先ず「 神の国を求めよ、富は自ずから汝に随い来るのである。」



『 生長の家 』 誌 昭和二十三年三月号

 二十五日の法語  谷 口 雅 春 先 生



感謝は休息の本質である

2014-08-24 04:48:52 | 今日の光明法語

感謝のない休息は

本当の休息とはならない。


感謝のない安眠は

本当の安眠とはならないものである。


時々刻々の感謝は、

時々刻々の休息となる。


休憩したら「ありがとうございます」と

感謝すること。


安眠の直前に神に感謝し、

会社、官庁又は家族の各員に感謝し、


「 有りがとうございます 」 と心の中で念じつつ、

その 「 有りがとうございます 」 の言葉が

呼吸と共に全身に爪先まで満つる様な気持で就寝すれば、

その眠りは安らかであり、

病気があっても速やかに癒えるのである。



『 生長の家 』 誌 昭和二十三年三月号

 二十四日の法語  谷 口 雅 春 先 生





人を呪わば穴二つ

2014-08-23 12:30:30 | 今日の光明法語

すべての正直な仕事、人類のためになる仕事は、

それが感謝の念をもって行われるとき

それは尊き祈りであり、

その祈りによって彼自身の運命も祝福せられるのである。


自己のみに利益が得られ、

それによって他の者が損害を受けるような仕事は、

一時その人の運命がよくなるように見えても、

結局はその人自身の運命を

目に見えぬ世界から毀して行きつつあるようなものである。



『 生長の家 』 誌 昭和二十三年三月号

 二十三日の法語  谷 口 雅 春 先 生




感謝は周囲を光明化す

2014-08-23 09:24:57 | 今日の光明法語

斯くして一切のものに対する感謝が実践せられるとき、

周囲が、環境が、仕事が、断然今までとは別様の姿を呈するのである。


今までは不快の念が、一切の周囲の事物と人とを塗りつぶしていたから、

一切が暗黒に自分に好意を有(も)たぬものに見えたが、

今度は、一切の周囲の事物と人とを感謝の念で塗りつぶすのであるから、

一切の周囲の事物と人々とは光明に輝いて見えるのである。


感謝の波長が実相の完全な姿と波長をあわす祈りとなったために、

そこに実現するのは 実相の光明 輝く姿のみとなるのである。