☆ 住 吉 大 神 浄 め 給 う ☆

天皇陛下、ありがとうございます。ご先祖の皆様、お父さん、お母さん、家族の皆様、ありがとうございます。

限りなく日本に感謝する

2020-04-26 16:28:50 | 歴史 文化 伝統

< 国家の品格は 先祖への尊敬心に始まる >

もと外交官であった岡崎久彦氏は、マスコミの 「 冷戦時代 」 の報道について、
次のように述べている。

< ベルリンの壁が崩れ、ソ連が崩壊したとき 気の早いマスコミは
「 これで冷戦時代は終結した 」 と はしゃぎましたが、冷戦が終わったのは
ヨーロッパだけのことで、極東は 全然違うのです。・・・・・・

極東に関するかぎり、ボーダレスなんて言葉はまったく関係ない。
これまでヨーロッパを主要な舞台としていた国際戦略論の舞台が、
極東に移ってきたと見るべきなのです。>

岡崎久彦氏と言えば、40年間 外務省に勤務し、最後には 特命全権大使に
任命された方である。< 特命全権大使というのは 天皇陛下から認証される
認証官ですので、位階としては 次官よりも上になります。>

岡崎氏は、下記の本を、渡部昇一氏と対談形式で著述されている。

『 賢者は歴史に学ぶ 日本が 「 尊敬される国 」 となるために 』
著者 渡部昇一氏、岡崎久彦氏 クレスト社

( 上記の書籍は絶版状態にあり、これが改訂・改題したものではないかと思います。
『 尊敬される国民 品格ある国家 』 著者 渡部昇一氏、岡崎久彦氏  ワック株式会社 )


上記の内容で、興味深かったのは、< もし、日本が大東亜戦争に突入していくのを
防ぐとすれば、どの時点までなら可能だったでしょうか。戦争のコースを変える
としたら、いつがラスト・チャンスだったか > という両者の見解でした。

どちらも、 共通するものがありますが、岡崎氏は、< その鍵を握るのは、
日英同盟 です。もし、日英同盟さえ維持していれば、日本は戦争(大東亜戦争)を
しなくとも済んだというのが私の観察です。>

櫻井よしこ氏も、日英同盟の破棄の時点から、「 日本は開戦を避けることができない状況に
陥った 」 と述べている。

一方、渡部氏は、日露戦争後の「 桂・ハリマン仮条約 」 ( 南満州鉄道を日米合併で
経営する) を破棄しなかったら、< 満州事変も起こりえなかったし、また日米関係も
緊張しなかった> という。

わが国の近現代史において、北清事変(1900・明治33年)、日英同盟(1902・明治35年)、
日露戦争(1904~1905・明治37~38年)前後あたりから詳しく把握してゆくことは、
とても大事であると考える。

また、渡部昇一氏は上記の本の中で、スマイルズの 『 品性論 』 から下記の文章を引用して
< 国家の品格は 先祖への尊敬心に始まる >と述べている。

< 国としての品格は、自分たちは偉大なる民族に属するという感情から、その支持と力を
得るものである。先祖の偉大さを受け継ぎ、先祖の遂(と)げた栄光を永続させるべきだと
いう風土がその国に出来上がったときに、国家としての品格が高まる >( 渡部昇一 訳 )

なお、わが国の近現代史について、下記の書籍も、貴重な示唆を与えてくれるものである。
『 年表で読む 明解! 日本近現代史 』 渡部昇一著 海竜社 
2回 通読したが、とても読みやすい。



生長の家の御教えの体験談に涙する感動や経験について

2020-04-22 20:18:12 | 日記
岡 潔 氏と藤原正彦氏は ともに、数学者であるが、
どちらも、情緒(じょうちょ)の大切さを説いている。

一見、数学は論理で答えを導き出しているようであるが、
< 「 論理 」 だけでは世界が破綻する > という。

情緒について、藤原正彦氏は、『 国家の品格 』 ( 新潮新書 ) の中で、
次のように述べている。  

< 情緒とは、論理以前のその人の総合力と言えます。
その人がどういう親に育てられたか、どのような先生や友達に出会って来たか、
どのような小説や詩歌(しいか)を読んで涙を流したか、どのような恋愛、失恋、
片思いを経験してきたか。どのような悲しい別れに出会ってきたか。

こういう諸々(もろもろ)のことがすべて あわさって、その人の情緒力を形成し、
論理の出発点Aを選ばせているわけです。>

また、宗教や慣習、文化、伝統 の 「 形 」 も 論理の出発点となる。

情緒と形は、人間観を形成して、論理の出発点ばかりではなく、
多くの選択肢から選ぶ 判断にも影響を与えている。

生長の家の御教えの信仰において、体験談は ‟ 真理の証し ” である。
その体験談に涙する感動や経験が、極めて重要であると思う。



歴史 と 未来 ― 人は後ろ向きに未来へ入っていく

2020-04-20 22:50:08 | 歴史 文化 伝統
( 湖に浮かべたボートを漕ぐように )

< 何時だったか、私が人間の未来というものをどう考えているか、また世界が五十年後には
どうなっていると思うか、聞きに来た人があった。私が返事に困っていると、その人は要求を
減じて、 「 二十年後にはどうなっているでしょうか 」 と聞いた。私は、その時、
「 我々は未来に 後退(あとじさ)りして進んでいく 」 と答えた。 >

ポール・ヴァレリー『 精神の政治学 』 吉田健一訳  中公文庫  65頁


村松剛氏は、『 歴史に学ぶ ー 激動期を生きた人々 』の中で、「 歴史と未来 」 について
こう述べている。

< 戦後の日本は 過去を憎悪することから出発した。 >
< 憎悪の黒々としたフィルターを通じては、歴史の本当の姿は見えない。
ということは 明日を生きのびるみちも見えて来ない、ということである。>

< 過去の文化遺産 > < 学問的蓄積 > とりわけ、日本の歴史・文化・伝統にしっかりと
光をあてて観ることなくして、真実の未来は 見えてこないということである。

< 二十世紀の初めになると、 第一回 ノーベル賞の医学部門にノミネートされたのは
北里柴三郎であった。( もっとも当時 圧倒的に力のあったドイツの学会が、有色人種に
その名誉が行くことを望まず、まだノミネートされていなかったフォン・ベアリングを
急遽 推薦してノーベル賞受賞者にした) > ( 渡部昇一氏 )


上記のことを考えたのは、ある教区の機関紙に元講師会会長がこんなことを書いていたからである。

<・・・・・寒暖差疲労なる現象であろう、体調は極めて不良である。・・・・・
この異常気象と感染症の流行、自然環境破壊(都市化)を自然観察(インタープリテーション)して
おくと良い。後々、参考になる貴重な体験記録になるだろう。
どうして馬鹿げた戦争になっていったかの記録と同じくらい後世に価値を残すかもしれない。>

現在の講師会会長の記事も タイトルは 「 地球のガン 」 である。
ここで、ガンは象徴であるが、人類のことである。


ご皇室の十六菊の御紋章について

2020-04-18 10:18:45 | 天皇・国家
『 我ら日本人として 』 の中に ご皇室の十六菊の御紋章について、
谷口雅春先生が説かれておりますので、以下に、謹写させていただきます。

谷口雅春先生
『 我ら日本人として 』
157頁 
< 日本天皇の御本質は、それが十六菊の御紋章にあらわれているのであつて
これが天皇の実相であります。天地の八方( 即ち十六方向 )に ひろがるすべての
人民のコトバをキク( 菊、聴くの象徴 )ことによって、それを知ろしめすというのが、
日本天皇の実相である。

だから、すべての人民の声を聞こしめして、人民の心にあって治(おさ)めたまうところの
最も民主的な方が日本天皇であります。

そして十六菊は同時に蓮華蔵(れんげぞう)世界なる宇宙の実相である、ということが
本当に判(わか)った時に、荒ぶる八百万(やおよろず)の神々の立ち騒ぐ世界の姿が
無くなるのであります。これが 日本の実相であります。 >

163~164頁
さて 「 形あるものは、その内部生命の顕現である 」 という 「 心の法則 」 からいいますと、
日本皇室が「 十六菊 」 の御紋章を天皇の表象として備えていられるのは重大な意義がある
ということになるのであります。

「 十六菊 」とは 蓮華の相(すがた)の日本的変形であり、蓮華蔵世界の姿を
その御紋章に持っておられるのが日本の皇室なのでありますから、日本皇室の御使命は
ここにあらわれているのであります。

十六菊の御紋章は、とりも直さず中心帰一の宇宙の実相の姿であります。
釈尊が 「 菊花(きくか) 」 を示さず 「 蓮華 (れんげ)」 をお示しになったのは
熱帯地で菊花がないため代用せられたのであります。

形あるものは心の影(かげ)であり、眼(め)に見えない内部生命の内容が
形に現われているのでありますから、天皇の、日本天皇の御使命というものは、
あの十六菊の御紋章の中に自(おのず)から現れているのであります。

日本天皇の御使命は専制君主ではなく 十六方向の民(たみ)のコトバをキクコトによって
民の心を知りたもうて治(おさ)めたまうので、天皇が国を治めたまうことを
「 知ろしめす 」 と申すのであります。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

< そして十六菊は同時に蓮華蔵(れんげぞう)世界なる宇宙の実相である、ということが
本当に判(わか)った時に、荒ぶる八百万(やおよろず)の神々の立ち騒ぐ世界の姿が
無くなるのであります。これが 日本の実相であります。 >

162頁
「 唯一の中心に帰一することによって、はじめて現象界が実相の蓮華蔵世界と全く一つになり、
現象と実相とが、一つにピッタリと一致し、諸法は実相そのままということになるのです。
一つの中心に帰一する世界連邦の理念が蓮華蔵世界でります。」

163頁
< この「 中心帰一の円満調和の実相 」 は 未(いま)だ これが内にこもっているのであって、
蓮華の姿を 内に蔵しているだけであります。それは 「 未敷(みふ)の蓮華 」 ― いまだ開かれざる
蓮華であります。

これをひらかせる役目をせられるのが 「 未敷(みふ)の蓮華 」 を胸間(きょうかん)に
奉持(ほうじ)したまえる観世音菩薩であり、黙示録にあらわれたる白髪(はくはつ)の
「久遠(くおん)の基督(キリスト)」であり、生長の家の本尊とする神様であります。>




和歌で読み解く日本の歴史

2020-04-17 12:52:32 | 天皇・国家
菊花紋章は、皇室儀制令 第12条(大正15年(1926年)10月21日 皇室令 第7号
同日付「官報」に掲載)により、御皇室の紋章と定められている。http://gyouseinet.la.coocan.jp/kenpou/koushitsu/koushitsugiseirei.htm

菊の花は、本来、外来種である。
渡部昇一氏は、外来文化導入の姿勢を菊の紋章が象徴しているという。
( ※ また、‟ 菊 ” は ‟ 聴く ” の言霊でもある。 )

以下、 『 日本史 百人一首 』 渡部昇一 著 育鵬社 平成20年・2008年11月11日 初版より。

天平文化と大仏建立

< 一五
青丹(あをに)よし
奈良の都は
咲く花の
にほふがごとく
今盛りなり

小野老(おののおゆ)

歌意 = 奈良の都は 色あざやかに咲く花の匂いに包まれて、今が真っ盛りです。>

< 一六
ももしきに
うつろひわたる
菊の花
にほひぞまさる
万世(よろづよ)の秋

聖武(しょうむ)天皇

歌意 = 宮中の庭にあって色を変えてゆく菊の花よ、秋が巡ってくるたびに
ますます色あざやかに映えることだ。>

大仏建立に見る ‟ 本家越え ” の日本的発想  その天平(てんぴょう)文化の中心と
なったのが 聖武(しょうむ)天皇(在位七二四~七四九年)である。 >


< 菊の紋章が象徴する外来文化導入の姿勢

その大仏建立を進めた聖武天皇の代表的な歌が、ここにあげた「 ももしきに・・・・・」
である。実はこの歌にも、外国文化を取り入れて日本化してしまう日本人の一つの特徴が
見て取れる。

山上憶良(やまのうえのおくら)が言うように日本の歌は原則として ‟ やまとことば ” だけで
作っている。ところが、この歌には 例外がある。「 菊 」 である。

これは漢語で訓がなく、 「 きく 」 という音しかない。ところが面白いことに、この菊が
皇室の紋章のように使われるのである。土着の花なら 桜 を使うこともできたはずである。

なぜならば、神武天皇は木花咲耶姫(このはさくやひめ)と瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の
孫に当たり、「 木花 」 とは明らかに桜の花を指しているからである。

ところが、あえて桜ではなく菊の花を使ったというのは、「 日本の皇室は外来文化に門を
開きますよ 」 というメッセージになっているように思う。
加えて、菊は 木の花ではなくて
草花である。

芭蕉(ばしょう)が「 菊の香や 奈良には古き 仏たち 」 という俳句を詠んだが、
この奈良(奈良仏教)・菊・皇室というものが三位一体となって、日本という国の
一つの中に交じり合っているように思われるのである。>


本日は、渡部昇一先生の祥月命日( 4月17日 ) である。
様々な書籍、特に、日本の歴史について多くの著述を遺されました。
御講演を拝聴した頃のことを偲びつつ、心から感謝の念を捧げるものである。




武士道精神、騎士道精神を 識(し)るために

2020-04-16 15:16:58 | 紹介
『 大東亜戦争を見直そう 』 名越二荒之助 著 原書房  昭和43年8月15日 初版
                          
【 本書は18版を重ね、平成19年(2007年)8月に新装版 『 大東亜戦争を見直そうー
アジア解放の理想と花開く武士道物語 』 が 明成社 から出版されている。】

武士道精神、騎士道精神を 識(し)るための必読書に値するであろう。
昭和52年11月26日 憂国祭において、著者の御講演があった際に、講演後その場で、
著者よりサイン入りしていただき、購入したものである。
憂国祭の進行の中で、真剣による演武の披露もあったと記憶している。

本書は、 ‟ 自衛隊は暴力装置 ” ‟ 戦争は人殺し ” という問いに対して、答えてくれるものでは
ないかと思っている。祖国を守ることに対して、国々を超えて 如何に敬意をもって待遇して
いるか、涙無くして読むことはできない。
もちろん、戦争を讃美、美化するものでないことは、
言うまでもない。

五版刊行にあたって
著者との一問一答 より、以下に一部記す。

< ( 檜垣新兵衛商店社長は ) 今度 拙著を従業員全員に頒布して、毎日 始業前十分間、
全員で輪読
しておられる。>

< 笠岡市の木下昇氏は、シナ大陸からビルマ戦線に歴戦した人だが、氏は 「 今までに
二十七回読んだ 」 と言われる。私が 「 二十七回も? 」 と聞くと、「 今二十八回目を
半分ほど読んでいます。読んだらこうして読み終った日付を書いておくんです。

私にとってこれは読むというもんじゃないんです。
この中には戦死者の魂が生きていますから、お経をあげるようなものなんです。
これは死んだ戦友たちに対する私の読経です。
もうだいぶ宙(そら)で言えるようになりましたよ。 >




歴代の総理大臣を通して 戦後史を読み解く

2020-04-15 12:15:56 | 紹介
『 渡部昇一の人物戦後史
裸の総理たち 32人の正体 』 渡部昇一 著 李白社 

本書は、歴代の総理大臣を通して、< 戦後史をざっと見る一つの視点として > 口述したものである。
452頁もある割には、読みやすくて、三日ほどで読み終えた。

まえがきには、次のように書かれている。

< 歴史上の人物について論評する時、私はいつも心の底で一抹(いちまつ)の忸怩(じくじ)たるもの
を感ずる。というのは自分が論評している人物は自分よりもずっと偉大で、ずっと器量が大きくて、
ずっと優れていることを知っているからである。そこで私は自分にこう言い聞かせる。・・・・・

つまり「 人物について書く人は、書かれる人ほど偉いことは決してないのだ 」 という東西古今の例を
思い出して、いささか晏如(あんじょ)たる気になるのである。・・・・・

その人が私より偉い人物であることは私の念頭を離れたことはない。 >


歴代の総理大臣の頃のことが、当時の思い出として、過去のアルバムを見るように、
時の流れとともに甦って来るのを感じた。


< 昭和20年8月15日の大東亜戦争の敗戦は わが国はじまって以来の試練でした。>

第42代 日本国 内閣総理大臣 鈴木貫太郎
在任期間 昭和20年・1945年4月7日 ― 8月17日(4カ月11日)

から、第92代 日本国 内閣総理大臣 麻生太郎までの全32人について述べられている。

内容の一例として、

村山富市首相の< 「 村山談話 」は愚の骨頂 > であるが、
平成7年1月17日 阪神大震災に見舞われ、3月20日には、オウム真理教による地下鉄サリン事件が
起こる。

< 日本の首相は必ず新年に伊勢神宮に参拝 > するのであるが、村山首相は「 風邪をひいた 」 と
称して、社会党の集まりに出席していて、参拝しなかったのである。

< 村山首相があわてて伊勢神宮を参拝したのは、その年の三月だったか四月でした。
そんなエピソードが残っています。>




『 生命の實相 』 ― 生命力を振起せしめる文章術の極致

2020-04-08 21:58:30 | 今日の光明法語
谷口雅春先生
『 生命の實相 』 第37巻 幸福篇 上 20頁

< 患者の心を動揺せしめないで、生命力を内から振起せしめるのは 術 である。
読書によって 生命力を振起せしめる文章術の極致を示したのが 『 生命の實相 』 である。

これから後世(こうせい)に、もっと強く生命力を振起させる文章が出て来るかもしれない。
出ることを望む。

ともかく、薬物でないと生命力は振起しないと思われていたのを
文章術によって 生命力を振起する道を拓(ひら)いたのが 『 生命の實相 』 である。




詩の朗読による将来の運命の生かし方 

2020-04-08 16:02:45 | 今日の光明法語
「 言葉の力 」 即ち 「 言葉の創造力 」 を大いに活用したいものです。

< 革表紙の『生命の實相』の終(おわり)のところに「 生長の家の歌 」( 『 生命の實相 』
聖詩篇 生長の家の歌 新編版 第33巻 161~237頁、頭注版 第20巻 163~219頁 )といって、
力強い美しい言葉で書き綴(つづ)った詩をあつめた所があります。

徳山さんは 同志社におられた頃から詩の朗詠が大変好きでありましたが、毎朝、生長の家の歌の中の
「生きた生命」という詩と、「夢を描け」という詩を読むことが好きで好きで仕方がなくなったのです。

読むと力が出てくるのです。「生きた生命」の方の詩の一部を皆様に御紹介いたしましょう。
皆様もこれをお読みになると勃然(ぼつねん)と勇気が湧いてきて、明るい人はいよいよ明るく、
失意に沈む人も、再びこの世に希望が湧いてくるでしょう。

生きた生命

名乗(なの)れ、境遇に屈従(くつじゅう)する卑怯者(ひきょうもの)は誰(たれ)だ。
誰がわが生命を食べ物でこねあげた塊(かたまり)だと思っているのだ。
生命は蝋細工(ろうざいく)ではないぞ。
石膏細工(せっこうざいく)でもないんだぞ。

おれは旋風(せんぷう)だ。
颶風(ぐふう)だ。
渦巻(うずまき)だ。
おれは環境を
徐々(じょじょ)にわが望みのままに
飴(あめ)のように
捻(ね)じまげる。

俺は宇宙を造った大いなる力と一つの者だ。
おれは空中電気を雷(かみなり)に変じ、
太陽の光を七色(なないろ)の虹(にじ)に変じ、
真黒(まっくろ)な土から燃えるような赤い花を咲かし、
火山を爆発さし、
あの不思議な星雲(せいうん)から、
太陽系を生んだところの大(おお)いなる力と一つの者だ。

環境が何だ、
運命が何だ、
おれはおれの好きな時が来れば
鰻(うなぎ)が石垣(いしがき)の間から脱(ぬ)け出すように、
どんな運命からでも脱け出すのだ。
・・・・・

毎日朗々(ろうろう)とした徳山さんのこうした詩の朗読の声が、朝の澄(す)み切った空気を
顫(ふる)わせて響いてきますと、徳山さん自身の魂は振(ふる)い起つのでした。

必ず良い運命が来るぞ。 『生命の實相 』 の本の中には、心に描いて心を明るくして待つものは
必ず実現する
と書いてあった。」

こう徳山さんは 勇(いさ)み立たずにはいられませんでした。ところが徳山さんが心の中に
「 必ず良い事が来るぞ 」 と描いていた種は、とうとう芽を吹き生長する時が来ました。
・・・・・
徳山さんはルンペンから一躍(いちやく)して、日本一の大きい料理屋の総支配人になった
のでした。・・・・・>

谷口雅春先生
『 人生読本 』 247~259頁 光明思想社  http://komyoushisousha.co.jp/m_taniguchi/529/



ある歴史学者の 「 皇室観 」

2020-04-04 13:36:45 | 天皇・国家
< 「 日本が一(ひとつ)のものであり、実際に一(ひとつ)にまとめられなければならぬと
云ふ確信に、意識的 又(また)は 無意識的な根拠を与へたものは皇室の存在であった。

室町(むろまち)時代に入ってただでさへ 殆(ほと)んど政治の実権から離れてしまった朝廷が、
戦国の世となってから、経済的にも ますます苦しい境遇に陥(おちい)ったことは云ふまでもない。

公家(くげ)は 朝廷に仕(つか)へる身分と家柄とは 昔のままであっても、その生活を支(ささ)へる所領の大部分を失って困窮したのは勿論のこと、皇室の御料地(ごりょうち)も多く侵(おか)されて、御大葬や御即位の式の如(ごと)き大切な儀礼にも費用に苦しまれる有様(ありさま)となった。

幕府は その費用を献ずる力なく、わづかに志(こころざし)ある武士や僧侶の献金によって
辛(かろ)うじて その儀を行(おこな)はせらたことも一度や二度ではなかった。

後奈良(ごなら)天皇が 一般庶民に至るまでの願ひに応じ色紙に宸筆(しんぴつ)を染(そ)めて賜(たま)はり、その御礼として上(たてまつ)られる なにがしの金品によって御用度をまかなはれたと云ふ御はなしさへ伝はってゐる。

しかし皇室の御衰微(ごすいび)が、これによって今迄(いままで)雲の上に隔(へだ)てられて
ゐた皇室を 幕府や公家貴族のかきねを去って 直接ひろく国民と触(ふ)れ合はせる機会となった一面を伴ってゐることも重要と云はねばならぬ。

さうして天下統一を志(こころざ)す群雄は 何(いず)れも京に出て天皇を奉じ 将軍を擁(よう)して全国に号令することを夢みてゐたのである。

この夢をそのまま実現したのが織田信長(おだのぶなが)であり豊臣秀吉(とよとみひでよし)であったのであって、彼等(かれら)により国内の統一が成功したのも、全(まった)く日本の統一の中心としての天皇の存在に負(お)ふこと大であったのを忘れてはならないと思ふ。

天皇は、必ずしも政治上の実権を握って居られずとも、否(いな)むしろ政治上の実権は
他に委(ゆだ)ねられたことが多かったとしても、常に国民の統一の中心としてのはたらきを
されて来たのであり、ことにその統一の必要が痛感せられる毎(ごと)に、何時(いつ)も国民に
その確信を与へる精神上の源泉であった。

大化(たいか)の改新や明治維新に当(あた)り そのことが最もはっきりあらはれたが、
この時にもやはりそれと同様の現象が認められるのである。」>

『 新日本史 』 家永三郎著 冨山房 ( 昭和二十二年四月十日 )

<「 日本が一(ひとつ)のものであり、実際に一(ひとつ)にまとめられなければならぬと
云ふ確信に、意識的 又(また)は 無意識的な根拠を与へたものは皇室の存在であった。
・・・・・・
天皇は、必ずしも政治上の実権を握って居られずとも、否(いな)むしろ政治上の実権は
他に委(ゆだ)ねられたことが多かったとしても、常に国民の統一の中心としてのはたらきを
されて来たのであり、ことにその統一の必要が痛感せられる毎(ごと)に、何時(いつ)も
国民にその確信を与へる精神上の源泉であった。>

このような「 皇室観 」 は 渡部昇一氏(英語学者)や藤原正彦氏(数学者)の「 皇室観 」と
共通するものである。

家永三郎は 教科書訴訟でよく知られているが、その後、「 天皇制 」 排撃に転じ、
「 個人の独立、社会的平等の自覚が先進民主主義諸国に比べて弱い 」として、
わが国は「 遅れている 」 という考えに変わってゆくのである。
その背景にあったものは何か。やはり、占領政策によるものと思われる。

ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(戦争についての罪悪感を日本人の心に
植えつけるための情報宣伝計画)は、「 新聞 」「 書籍 」「 雑誌 」「 ラジオ 」「 映画 」を
通して三段階に分けて実施された。

第一段階 昭和20年10月~昭和21年6月 (東京裁判開廷以前)
第二段階 昭和21年6月~昭和23年2月(東京裁判開廷期間中)
第三段階 昭和23年3月~昭和23年11月(東京裁判判決まで)

主な内容として
・「太平洋戦争史」を連日掲載。日本軍残虐事件暴露シリーズが別仕立てで作られ掲載。
・ラジオを通して「眞相はこうだ・質問箱」「眞相箱」を41週続けて放送。
・映画「戦犯はだれだ」を上映。推定300万人の観客を動員。
・映画「民衆の敵一」 推定200万人の動員。
他10編以上の映画が、国民に贖罪意識を植え付けるために上映されている。


谷沢永一(たにざわえいいち)氏 は、次のように述べている。
< ・・・日本の歴史学者のほとんどは、・・・日本の歴史を罵(ののし)りはじめた。
過去の事実をいっせいに弾劾(だんがい)し、呪いの文句をつぎつぎと浴(あ)びせた。
日本の歴史を暗黒の一色に、塗りつぶす作業にひたすら努めた。
過去の日本人は、罪悪ばかり重ねてきたかのごとく強調された。・・・>

『 新日本史 』 家永三郎著 冨山房 は、 昭和二十二年四月十日 に発行されているが、
検閲の対象から漏れたのか、何か情報戦略があったのか、検証してみる価値はあると考える。

詳しくは、次の書籍を参考にされたい。

『 日本史から見た日本人 昭和編 』 渡部昇一著 祥伝社
『 日本人の誇り 』 藤原正彦著 文春新書
『 日本人はなぜ戦後たちまち米国への敵意を失ったか 』 西尾幹二+路(みち)の会 徳間書店



『 昭和史の真実 』

2020-04-02 20:20:33 | 紹介
http://www.history.gr.jp/showa/index.html

『 昭和史の真実  日米関係を破綻させた米国の極東戦略 』
平成3年11月20日発行 ( 56頁 ) 日本会議

昭和史の真実 PARTⅡ
『 満州事変・支那事変・日米戦争を根本的に問い直す
― 日本は侵略国家ではない - 』
初版 平成6年6月11日 発行 第11刷 平成11年8月15日 発行 
( 68頁 ) 日本会議

昭和史の真実 PARTⅢ
『 欧米植民地支配の歴史的展開と大東亜戦争
― 日本の世界史的位相を問い直す ― 』
平成7年3月16日 発行 ( 54頁 ) 日本会議

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

以下、近現代史を読み込む中での思いである。

1900年(明治33年)の北清事変を契機に、吾が国は1902年日英同盟を結ぶ。
1904~1905年 日露戦争は米国の仲介により終わるのであるが、桂・ハリマン仮条約
1905年(明治38年)(日米による南満州鉄道の共同経営)が破棄されると、
米国の極東戦略は一変する。

翌年にはオレンジ計画として、対日戦略が練られている。米国内での排日、そして、
吾が国は支那事変へと引き込まれてゆくのである。


聖戦か侵略かという二者択一ではなく、人種差別撤廃、植民地解放を成し遂げるためには、
避けて通れなかった戦争(大東亜戦争)であったと思われる。

こういう選択をしたら、戦争を防げたのではないか、という場面が何度かある。
例えば、日露戦争後の桂・ハリマン仮条約もそのひとつである。

しかし、いずれも、人種差別撤廃、植民地解放を成し遂げることは出来ず、
今でも、欧米による人種差別、植民地がそのまま続くことになることに変わりはない。

いつの時代の国民といえども、当時の常識や限られた情報、当時の通信時術や軍事技術の中で、
悩み、判断し、生きていたのである。今は、当時の情報戦略も明らかになってきている。

欧米史観いわゆる東京裁判史観、コミンテルン史観、コレア史観、シナ史観など、
日本からみた世界ではない。今では、近隣諸国条項に配慮して、性奴隷国家、大虐殺民族と
レッテル貼りされる始末である。性奴隷もなければ、大虐殺もなかったと断言する。

何故か、英語学者や数学者 等が書いた歴史が真面である。第一次資料をとことん突き詰め、
伝聞や情報戦略に ‟ 洗脳 ” されていないからではないかと思われる。
日本人としての自覚と誇りこそ、あらゆる課題を切り拓いてゆく基軸となるものである。