わが国には、西欧やその他の諸外国のように、革命や虐殺、奴隷という思想はない。
そのような思想がないということは、犯罪と同じく例外はあるとしても、
そのような行為を忌避する土壌があるということだ。
極東軍事裁判(東京裁判)で、突如、取り上げられた「南京大虐殺」は
「 その後1970年(昭和45年)まで、有名無実のごとくであった。中国の教科書にも、
日本の教科書にも、世界の教科書にも、南京大虐殺が書かれることはなかった。
当時、南京大虐殺の源流を作った中央宣伝部の人たちも、その宣伝戦に関係した人たちも、
真実を明かすことはなかった。誰もが黙していた。
しかしあれから七十年、極秘文書が出てきた。極秘文書という、中央宣伝部に
結集した国民党員と共産党員の真の胸の内を収めた玉手箱が、今や開かれたのである。
その玉手箱の中に、南京大虐殺の確証があるかと思いきや、それはなかったのである。 」
<「 対敵宣伝 」 は 国民党の宣伝戦が 日本を道徳的に貶(おとし)め、
日本人自身が日本を嫌悪し、精神的に敗北していくことを狙(ねら)った工作であった。>