☆ 住 吉 大 神 浄 め 給 う ☆

天皇陛下、ありがとうございます。ご先祖の皆様、お父さん、お母さん、家族の皆様、ありがとうございます。

久遠天上理想国実現の神示 ― 世界平和のために

2016-01-31 11:22:15 | 今日の光明法語

【 久遠皇統連綿と云うことは 偶然になることではない 】


世界最高の知性だと称(い)われている相対性原理の発見者たる最高の
科学者にして哲学者なるアインシュタイン博士も、私の解釈に似たような意見を
次のように述べているのであります。

「 世界の未来は進むだけ進み、その間(かん)幾度(いくた)びも争いは繰り返され、
最後に戦(いく)さに疲れる時がくる。

その時 人類は必ず誠の平和を求めて世界的盟主をあげねばならぬ時が来る。

この世界盟主なるものは、武力や金の力ではなく、凡ゆる国の歴史を抜き越えた最も古く
又 尊い家柄(いえがら)でなくてはならぬ。

世界の文化はアジアに始まってアジアに帰る。
それはアジアの高峰(こうほう)日本に立ち戻らねばならぬ。

吾々は神に感謝する。天が吾々に日本という尊い国を作って置いてくれたことを。」

このように世界最高の知性も十六菊の家が世界連邦の中央に輝かなければならないことを
説いているのであります。


『 秘められたる神示 神示講義 秘の巻 』 ( 170頁 ~ 171頁 ) 谷口雅春先生
「 久遠天上理想国実現の神示 」 講義より




“ 気象 ” は “ 気性 ” に通ずる

2016-01-27 10:53:53 | 今日の光明法語

谷口雅春先生は、 『 わが憂国の戦い 』( 絶版中 ) のご著書のなかで、
当時の集中豪雨災害を精神分析の立場から述べられております。

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その原因を、私は気象は単なる物理的変化ではない、気象は “ 生きている ” 、
そして人間の心を敏感に感じとって、その心の状態を具体化して見せているからだと
感じずには いられないのである。

果して どんな心が 影響するのだろうか。近頃の日本の気象が荒っぽくて、
雨が降るにしても、集中豪雨的な荒っぽいあらわれをするのは、
近頃の日本人の気性が荒っぽくて集中豪雨的な気性になっていることのあらわれだと
私は解するのである。“ 気象 ” は “ 気性 ” に通ずるのである。

『 わが憂国の戦い 』 「 集中豪雨災害の精神分析 」 (75頁~76頁) 谷口雅春先生

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今回(平成28年1月24日)の長崎南部教区講習会における “ 歴史的暴風雪害 ” は、
谷口雅宣総裁の “ 気性 ” の アラワレカ ?



神示と霊示との区別

2016-01-27 07:01:11 | 今日の光明法語

《 神示と霊示との区別は その文章に内在する神韻(しんいん)と格調(かくちょう)の
高さにある。その文章と読者に及ぼす結果によって判断されるのである。 》

《 『 果実を見てその樹(き)の善悪を知れ 』 とイエスは言ったが、
神示 か 霊示か 潜在意識の迷妄(めいもう)の産物であるかは
それに触れる人が 如何(いか)に魂を動かされるかの
結果を見て判断するほかはないのである。 》

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霊示と言うのは、ある個性霊魂が霊媒的素質のある人にかかって来て、話し、
筆先(ふでさき)を書き霊言(れいげん)をきかせたりするのであるから、
本人の意識のほかに別人格があらわれた形で其の啓示が出て来るのである。
だからそれは二重人格式(にじゅうじんかくしき)に出て来るのである。・・・

霊示にも最高級のものから低級のものに到るまで無数の段階があるのである。
最高級の段階のものは伝える能作者(のうさしゃ)はある階級の霊魂であるが、
最高級の霊又は神(この辺になると神と最高級の霊との区別はハッキリと人間には
区別出来ぬのである)の意志を受けて、その意志を伝えるのである。・・・
かかる場合には 『 霊 』 が伝える言葉であっても神示である。
形式の問題ではなく内容の問題である。・・・

神示と霊示との区別はその文章に内在する神韻(しんいん)と格調(かくちょう)の
高さにある。その文章と読者に及ぼす結果によって判断されるのである。

例えば 『 汝ら天地一切のものと和解せよ 』 と言う文章位(くらい)は
誰にも書けるのであるが、しかもこの一句に触れるとき
宛(さなが)ら冷水三斗(れいすいさんと)の思いをして
愕然(がくぜん)として 過去の迷夢(めいむ)より覚(さ)むる如(ごと)き人々の多数あるは
人間業(にんげんわざ)の単なる名文では出来難(できがた)いのである。

『 果実を見てその樹(き)の善悪を知れ 』 とイエスは言ったが、
神示 か 霊示か 潜在意識の迷妄(めいもう)の産物であるかは
それに触れる人が 如何(いか)に魂を動かされるかの
結果を見て判断するほかはないのである。


『 生長の家 』 誌 昭和二十六年 七月号
「 神示と霊示との区別 」  谷 口 雅 春 先 生

( 『 新編 生命の實相 』 第 5 巻 所収 編著はしがき より )




実相は不変であるから 今も書き直す必要を 私は みとめなかった / 谷口雅春先生

2016-01-26 17:17:28 | 今日の光明法語

谷口雅春先生は、昭和45年執筆の 『 生命の實相 』 の 「 愛蔵版第一巻に序(じょ)す 」の中で、
「 実相は不変であるから 今も書き直す必要を 私は みとめなかった。 」 と述べられております。

( 「 愛蔵版第一巻に序(じょ)す 」は、 『 新編 生命の實相 』 第1巻 に所収されております。)

谷口雅春先生は、 「 エーテル 」 についても、なぜ、書き直す必要をみとめなかったのでしょうか。

『 新編 生命の實相 』第2巻 に詳しく書かれておりますが、次に 若干 抜粋させていただきます。

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この「エーテル」は、アインシュタインの 「 特殊相対性理論 」 の登場以降、
物理学の世界では 肯定や否定や不要論が 入り乱れて今日に及んでいる。

しかし、谷口雅春先生にとって、物理学に限らず 心理学その他の諸科学の学説が
いかに変遷しようが、説かれる 「 真理 」 の実在性は びくともしない。

真理がすべてであって、その 「 真理 」 の説諭(せつゆ)に役立つ限りにおいて
科学的知見を取り込むのであって、諸科学のその時々の学説から 宗教的真理が
導かれているわけではない。

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谷口雅春先生は、「 唯神実相論 」 のキーワードである 「 物質無 」を説諭されるにあたって、
「 実相は不変であるから 今も書き直す必要を 私は みとめなかった 」 のである。





肉体は人間でない

2016-01-24 13:40:05 | 今日の光明法語

「 肉体というのは 一体 何か 」 というと、『 甘露の法雨 』には
「 心の絲を組合せて、肉体の繭と作り 」 と書かれているのであります。

・・・ 「 我々が何々を欲する 」 といっても、その正体が、
「 肉体 」 という自動装置の 「 心 」 であるか 
「 霊(たましい) 」 そのものの 「 想い 」 であるかが問題であります。 ・・・

私たちが 自由を得(う)るには、どこまでも 「 肉体 」というものを
「 人間 」 そのものだと考える考え方を捨てなくてはなりません。 ・・・

「 肉体は人間でない 」 と根本的に自覚することが 「 自我の新生 」 であり、
コンヴァーションであります。 ・・・

・・・ 私たちのように、「 霊的自我 」 に 目覚めた人たちは、
出来るだけ力をつくして、「 肉体は人間そのもの 」 ではなく、
人間が念絃(ねんげん)即ち 「 想念の絃(いと) 」によって弾奏した曲譜が
外界に具象化した形だ ということを人類に知らさなければなりません。

だから 此の神示には 「 生命はその念絃の弾ずる曲譜に従って
肉体を現(あらわ)すのである 」 と示されているのであります。


『 到彼岸の神示 神示講義 自覚の巻 』 ( 187頁 ~ 235頁 要約) 谷口雅春先生
「帰幽の神示 」講義より



神示の振り仮名について

2016-01-24 11:54:55 | 今日の光明法語

この神示の特徴は漢字に特殊なフリ仮名が附してあることであります。

このフリ仮名は どのようにして私に示されるかというと、
思いもかけないような文章が浮んで来る、その浮んで来るままに
その文章を漢字まじりに書いておりますと、その漢字を書いている刹那(せつな)に、
パッパッと閃(ひらめ)くように頭の中に、或(あるい)は聴覚の中に、

それは何(ど)ちらともハッキリしないが その特殊な読み方が
「 聞(きこ)える 」ようにも 囁(ささや)きかけるようにも 浮んで来て、
そんな振り仮名をつけずにはいられなくなるのであります。


『 秘められたる神示 神示講義 秘の巻 』 ( 58頁 ~ 59頁 ) 谷口雅春先生
「“ 最後の審判 ”に就いての神示 」講義より



「 この最も高い救いを与えるのが生長の家である 」 谷口雅春先生

2016-01-08 09:48:40 | 今日の光明法語

今年は、生長の家の運動方針 ( 平成28年度の運動方針の目玉は、
SNIオーガニック菜園部、SNI自転車部、SNIクラフト倶楽部であるという)
として、世界各地で、“ フェスタ ” を行うという。

そして、自転車、クラフト、家庭菜園、ノーミート等の成果を発表し合う。
これが、“ 新しい文明 ” であるとは ・・・ !?


聖使命菩薩としての使命を自覚し、本当の救いとは なにかを
考えなければならない。

谷口雅春先生は、「 本来生、不滅の神示 」 の解説の中で、
「 生長の家は、これは人類最後の最高の教えをするところであります 」
「 この最も高い救いを与えるのが生長の家である 」 と述べられております。

次に、「 本来生、不滅の神示 」 の解説の一部を謹写させていただきます。
( 現在、絶版になっております。)


生長の家は、これは人類最後の最高の教えをするところでありますから、
ここに集っていらっしゃる人達は、霊魂の高い素晴しい人ばかりなのであります。
ですから聖使命菩薩として本尊の前に、その誠魂をお祀りしているわけであります。

即ち 皆さんは、既にその魂が菩薩たる階級の人で、人を救う使命をもっていられる方が
集って来ておられるわけであります。

救うといっても色々あって、病気が治るのも救いでありますし、貧乏で弱っているのを
金が儲かるようにしてあげるのも救いだし、社会の下積みになっている人が世に出られるように
導いてあげるのも救いですけれども、そんな事は結局一時的救いであります。

病気が治ったにしても とどのつまりは人間はやがては死ぬでしょう。
貧乏が治って財産を積んでおっても冥途へ行く時にはその財産を棄てて
往(ゆ)かんならんでしょう。だから、そんな救いは永久の救いではない。

本当の救いというものは、「 人間は神の子である。老朽せざるを人間という。
病まざるを人間という。死せざるを人間という。真清浄真無垢なるところの
神の ‘ いのちそのもの ’ が人間だ 」 ということを自覚させて
永遠に朽ちざる生命の自覚を与える宗教が一番素晴しい宗教であり、
この最も高い救いを与えるのが生長の家であるのであります。

そういう真理がこの神示には示されているのであります。すなわち、
「 本来生、不滅、本来清浄 真無垢なる人間の實相を知ったとき 汝らは 歓びに満されて
手の舞い足の踏む所を知らないであろう 」 と示されている所以(ゆえん)であります。

『 神ひとに語り給う 神示講義 教の巻 』 ( 162頁 ~ 163頁 ) 谷口雅春先生




朝 起きた時に この簡単な方法で

2016-01-03 19:16:07 | 今日の光明法語

今 新生せり。

こう云(い)う考えは、私達を清らかな新生活にまで
おし進める力をもっているのである。

だから新年でなくとも、つねに今、新年だ。今、新生だと
常に考えることは まことによいことであるのである。

吾々(われわれ)は 毎日新生するのである。
毎朝毎朝が新生である。

この新生の最初の時間 ― ポッカリと目覚めたその瞬間に、
善(よ)き事を考えましょう。

「 私は神の子だ。健康だ。素晴らしい朝だ。
好(よ)い事が屹度(きっと)訪(おとず)れてくる 」

こう心の中で、又(また) 言葉に出して二十遍(ぺん)となえてから起きましょう。
そして神想観をすぐ寝床(ねどこ)の上で坐(すわ)って行いましょう。

この簡単な方法が、あなたの無限の可能性をひらいてくれる事になるのです。
無限に完全なあなたの実相への扉(とびら)を ひらいていくれるのです。
無限に円満な人格が 日に日に大成(たいせい)されて来るのです。


『 幸福を招く365章 』( 4頁 ) 谷 口 雅 春  先 生


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昨年の11月30日から始めた「 聖経千巻読誦 」 も、今日(1/3)で197巻となりました。

『 聖経 』も聖典『 生命の實相 』も、“ 護法の神 ” が読誦する者を悟りに導きますので、
あまり形式にこだわらず、現象をつかむことなく、そのままの心で、感謝の気持ちで、
実在するもの、生命の実相は、完全円満である、という念で、読誦するのがよいと思います。

『 聖経 』、聖典『 生命の實相 』そのものを、“ 護法の神 ” が守り給うているのである。