☆ 住 吉 大 神 浄 め 給 う ☆

天皇陛下、ありがとうございます。ご先祖の皆様、お父さん、お母さん、家族の皆様、ありがとうございます。

“ 神示 ” に顕れたる “ 生命の實相 ” について

2015-12-26 17:07:00 | 今日の光明法語

ここ二週間、御守護( 神示集 )を 5回通読、拝読した。
とりわけ、“ 生命の実相 ” という言葉が、心に鳴り響いた。

生長の家の御教えは、 “ 神示 ” が 根本になっているという。
“ 生命の実相 ”、“ 生命の實相 ” という言葉は、33 神示中、
10 神示の中に、33回 出て来ます。

参考に列挙してみると、

「 声字即実相の神示 」   12 回
「 自他一体の神示 」       5 回
「 上求菩提・下化衆生の神示 」   1 回
「 『 いのちのゆには 』の神示 」  2 回
「 無限供給の神示 」   6 回
「 久遠天上理想国実現の神示 」  1 回
( 久遠皇統連綿と言うことは 偶然になることではない )
「 万教包容の神示 」      3 回
「 梅の花の神示 」     1 回
「 自然(じねん)流通(るつう)の神示 」 1 回
「 終戦後の神示 」  1 回

今、SNI 教団は、聖典 『 生命の實相 』 も 聖経 『 甘露の法雨 』 も
SNI 教団内には、“ 流通せしめないように ” している。

果たして、これで良いのか、聖典 『 生命の實相 』 を排除して、
“ 生長の家 ” と言えるのか、疑問である。


実相は 今 ここに わたしの生命(いのち)のうちに

2015-12-13 10:23:30 | 今日の光明法語

実相は 今 ここに、わたしの生命(いのち)のうちに、
今 ここに 神があり、神の国があり、完全なる健康があり、
無限の智慧があり、
無限の愛があり、
無限の供給があり、
無限の歓喜があり、
無限の調和があるのである。

わたしそのものが 神であり、
わたしそのものが 神の国であり、
わたしそのものが 無限の健康であり、
わたしそのものが 無限の智慧であり、
わたしそのものが 無限の愛であり、
わたしそのものが 無限供給であり、
わたしそのものが 無限の歓喜であり、
わたしそのものが 無限の調和である。

この真理を知って私は 今 無限の感謝に満たされております。
ありがとうございます。


聖経 『 真理の吟唱 』  「 実相に超入する祈り 」 より。 谷 口 雅 春 先 生



言葉と真理 文章と実相

2015-12-08 23:03:13 | 今日の光明法語
谷 口 雅 春 先 生
『 生命の實相 』 ( 頭注版 第25巻 教育実践篇 上 102頁~103頁 )

この ‘ 生命の実相 ’ というものは、今までは文字 言語のよく説くところではない、
言詮不及(ごんせんふぎゅう)、不立文字(ふりゅうもんじ)であると言われていた。

それを 文字を立て、文章を立て、言葉の力によって 生命の実相を悟らせるように
させたところが 生長の家の独特なところであるのであります。

今までは 真理と言葉とが二つに分かれていて、言葉や文章は 真理を完全に
あらわすものではないと思われていた。

ところが 生長の家では 言葉と真理、文章と実相とをピッタリ一致させた。

古来、直接説法、以心伝心でないと悟ることもできない真理を、
ただ文章を読むだけで悟れるように、文字の中に生命あり、生命の中に文字あり、
文字と生命と一体というような域(いき)にまで達せしめえたのだろうと思います。

さればこそ 本を読むだけで、直接参禅しても得られなかったような悟りに
到達する人が多勢あらわれてきて、その影響を及ぼすところ、肉体の病気も治り
境遇環境まで変化してくるというようになってきたのであります。・・・・・

・・・・・今までの宗教のような直接説法、直接指導でなければ効(こう)を
奏(そう)しないようでは このおびただしい世界の人類をいつまでたったら
教化(きょうか)しうるか すこぶるおぼつかない話であります。

これが今までたくさん宗教があるのに、新しく 「 生長の家 」 の出現した所以(ゆえん)で
ありまして、生長の家では 活字が道場である。文章が教化の師である。

活字を印刷した新聞の行(ゆ)くところ、活字を印刷した小冊子のゆくところ、
そこが道場化(どうじょうか)して人を救うということになるのであります。



神への全託

2015-12-01 11:01:25 | 今日の光明法語

ここで大切なことは、私たちは いろいろ悩みや問題があると、
神想観や先祖供養などの 「 行 」 をやり出しますが、
ついつい 結果を早急に求めたがります。

つまり、 「 一ヶ月も祈ったのに まだ良くならない 」 とか 「 問題が解決しない 」 等々。
しかし、結果は あとから付いてくるものであって 求めるものではありません。

すでに すべてのものは 我が内に与えられ済みなのですから、
そこから引き出してくればいいのです。

神様にすべて お任せして 「 行 」 を続けていけば、
一番いい時に、一番いい方法で解決します。
これを神への全托(ぜんたく)といいます。


『 谷口雅春先生を学ぶ 』平成27年12月号 44頁~45頁  貢  正一 全国講師

http://www.komyoushisousha.co.jp/index.html