想い事 家族の記録

難病の父と生きる
鬱病
ふたり暮らし

この道の果て

2011-08-29 20:13:53 | 日記
〔なにもない〕



今日は父がケアの日だけど、
仕事のシフトは入ってなくて、
九字から四時まで自由な時間。

掃除なんかをパパッとやって、
お昼までは「謎のプリンス」を観た。

その後、三時まで昼寝。
あと30分ほどで、父が帰ってくるよー。


休みはあっという間。

けど、やることなかった。
と言うより、やる気がなかった。


こんな日に内職入ると嬉しいんだけどね。



また、新潟に行きたいなあ。




〔私たちの生きる道〕



K君から電話。
板金屋の仕事はあと二ヶ月
代行の仕事は年末まで。

そのあとどうしようかなって‥仕事探せよ。

「俺が長野で一緒に暮らしたら、生活が楽にならない?」

かえって私が大変になるでしょう。
父を看取るまでは、ここには来れないよ。
誰一人として、賛成しないよ。
っていうか、上田市の失業率半端ないですよー。

「ミオは、できたら高校は都会に出すつもりなんだ」
と、私は言った。
「あと、四年、父を看ながらお金貯めて、ミオを送りだすの。
かづ達は八王子に帰るらしいから、
私はひとりでこの家を守るつもりなんだ。
できれば、カメラでぼちぼち働いてね」

それで、あわよくばここにセラピールーム作ったり、
占いもやってみたいし、
ライターにももう一度挑戦したり。

一人になっても、K君と暮らす気にはならんだろうな。
孤独が好きだし。
マイペースだし。
傷つくのは嫌だし。


「K君、東北に行ったら?」
と提案する。土木の仕事あるだろうし、
いろんな重機の特殊免許持ってるんだから、
日本再建に貢献したら?

ひとに頼ってばかりの人生見直した方がいいよ。
人のためになる仕事して、
パチンコと縁を切れ。
10年位は待ってられる。
まあ、あちらでいいひとできたら、
それはそれでいいし‥。

ただ、ミオにだけは、哀しい想いさせないで。

ミオって呼ぶと、涙がホロホロって出た。
あと4年。

寂しい。
私、本当にここでひとりでやっていけるの?
でもね。
私は、決めたんだ。


先の話はまた今度にしようと、
電話は切られた。
東北の話、けっこう乗る気みたいで良かった。

行ける自由があるんだから、資格を生かしてくればいいのに。
日本の為に、私も何かをしたい。

でも今は、父と娘の為。

生きることが、精一杯だ。





〔哀しみの泉〕



私の胸に、懇々と湧き出でる哀しみの泉がある。
哀しいのはつきる事がないの。
いつまでも、どこまでも透明で、
のぞきみると、花の都が見えるのだ。

離婚が決まって、大好きだった土地を離れる時。
最後に、泣きながらミオの手を握って歩いた散歩道。
ちっさすぎて、ミオはパパがいなくなる不思議にも気づかなかった。

彼女は彼女なりに成長して、
いろんな覚悟を決めたんだろう。
「ママは、わたしが見る」って、広島のおばあちゃんに言ってくれたんだよね。
病気のママは、わたしが見てるって。
まだすごくちっさかったミオが。

私、ずっとあの町で暮らしたかったよ。
いつまでも三人で。

あの時間はもう、戻らない。


コメント
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