プリメイラ Honolulu

袰岩奈々のホノルル・カフェぶらぶら日記。
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「羨ましさ」をどうするか

2010-02-07 08:37:37 | あれこれ
「嫉妬」や「羨ましい」という感情は感情のなかでも
取り扱いが難しい感情

この間からいろんな人のTwitterやブログを読みながら、
自分のなかの「うらやましい気持ち」が刺激される
ということを何回も体験したんです。

たとえば、まっちゃんさんとAlohaさんが
Twitterで交信しているのを見つけたときに、
「あ~、私抜きで~?
みたいな気分がチラリと心をよぎる
ランディさんに送信しているのを見つけ、
「あ~!! ランディさんに話しかけてる! ずる~い
(って、全然ずるくないんですけど)みたいな感じとか。

小学校高学年から中学生ぐらいのころに、
「私の友だち取らないでよ
みたいな気持ちや
友だちが自分の彼と仲良さそうにしゃべってるのを見て
「そんなに二人で話さないでよ
みたいな気分とかを思い出しましたよ。

たとえば、TKOさんやダブルダッチさんのファンの人が
私のブログを見たら
「だれなの、この人!
的な気分に陥ってもおかしくない。
「え~、チョコなんかあげてる!なんで?!
とか。

こんなふうな感情を思い出すのは私だけなのか
それとも一般的なことなのか…
中学生とかみんな、大丈夫なのかな? 
と大きなお世話というか、心配の先取りというか…

で、こういった感情にさらされると何が起こるかというと
一つは強力な抑圧
若かりしころの私の場合はこの対処を使っていた。
「別に~、私のものってわけじゃないし~。何も感じない
と。

ほかの方法としては対抗手段をとるということも。
自分も人が羨むような何かを表現するとか、
自分もどんどんしゃべりかけるとか、囲い込もうとするとか
相手を蹴落とす戦いに参戦するとか、意地悪をするとか
攻撃性の度合いで穏便なものから強烈なものまでありそうだけど…。

かつては多分、自分の半径数メートル周りで感じるだけだったのが、
もっと広い範囲でこの感情を体験することになってるんじゃないのかな。
知らなければ心も揺れなかったのに、知ったばかりに…、みたいな状況

謙譲の美徳が大事にされた日本の文化のなかには、
もしかすると「嫉妬」を刺激しない工夫があったの
かもしれないけれど、そこらへんが一気になくなっている
なかで、自己肯定感を保ったり周りへの肯定的な気持ちを保ったり
するということは、かなり意識的にやってく必要があるな~と

そういうことを考えるに、やっぱり小学校・中学校
自己肯定感、相手尊重、コミュニケーションについて、
実感レベルでの体験型学習は大事なんだよな…

と、主張するとまたTKOさんやダブルダッチさんと仕事が
できるんじゃないかな~という打算(?)も自分のなかの
どこかに感じたりするわけで、表現するということは
伝えたいことのみではなく、伝えるつもりのないことまで
伝わるから面白いような
ややこしいような
考えすぎのような…