プリメイラ Honolulu

袰岩奈々のホノルル・カフェぶらぶら日記。
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パロロ本願寺ニュースレター「KUYE 倶会 (unity)」のこと

2019-10-02 10:15:04 | お寺
パロロ本願寺の藤森住職、通称ノリさんは、
毎月「倶会」というニュースレターを出している。
読みは「くえ」。
昼時にお寺に行くと、
何か食べさせてもらえるので、
ぴったりな名前なのだが、
意味はunityだそうだ。

昨日もニュースレターの発送作業があり、
その時間、手のあいている人が集まって、
400通以上を発送する。
おしゃべりしながらの手作業は、
みんなで近況をシェアできて楽しい。
そして、終了後にはおきまりのランチ。

その時に、ニュースレターの日本語部分に
書いてくださった内容の話が出て、面白かった。
以下、ニュースレターから、
ノリさんの文章の引用です。


『拠り所のことを思っていると、正信偈の「依修多羅顕真実」との教えが気になってきたのです。
「修多羅に依って真実を顕す」とは、どういうことか?「修多羅」とは、お経、ブッタの教えのことを言います。
インド語でのスートラの漢訳なんです。余談ですが、こないだフイリピンのお友達がタガログ語にも、
スートラという言葉があり、インドからきたのではと言ってました。
英語でもsuture という言葉、手術用の縫い糸を言うそうです。スートラがシルクロードを渡って広がったのでしょうかね?
おもしろいですね。ところでその「修多羅」との持つ意味は、織物の縦糸という意味です。
過去、現在、未来へと縦に貫いている普遍的なものを表わしているそうです。
もう一方、横糸は、常に、移り変わって行くもの、あてにならないもの、私の生活を表しているようです。
この言葉は、つまり、真実に生きるとは、決して私が「真実」であるかどうかを判断するような「真実」でなくて、
「修多羅」なる未来、現在、過去をつらぬくものを「依」り所にしたときに「真実」なる生き方ができるんだよと、
親鸞は、示唆しているように思えてきます。』


この後にグレタさんの気候変動についてのスピーチや、
今度、パロロ本願寺でスピーチしてくださる
ロバート梶原さんの話や、
植木等の「スーダラ節」のスーダラは
このスートラのことだという話や、
中島みゆきの「糸」の話があったりして面白いのですが、
これを聞いて、そうか、宗教者は縦糸にスートラを思うのか、と
いつもあんまりお坊さんっぽくないノリさんが、
仏教者なんだよなぁと妙に納得。

自分のことで考えてみれば、
スートラを拠り所、という感じではないけれど、
その一部分は「いいなぁ」と思っている。
ただ、スートラだけではなく、
いろんなところのいろんなものから
「いいなぁ」を持ってきて縦糸的にしているようだ。

織物をしたことがある人は知っていると思うが、
縦糸を張るのはとっても手がかかる。
糸の長さを調整したり、
綜絖に一本おきに糸を通したり、
上手に巻き取って、
いい感じの張り具合を保ったり。
縦糸が張れれば、あとはるんるんと
左右に糸を通して織ることができる。

ノリさんのお話に乗って考えるとすると、
縦糸を「これで行こう」と思うまで
結構、大変だし、これで行こう、と思ってからも
いい具合に織り進めるような状態に持って行くまで
ちょいと手間がかかる。
そういう意味では、途中で色を変えたくなったり、
幅を広げたくなったり、
うっかり横糸を引っ張りすぎて、
ひきつれてみたり。
縦糸について思うだけで、いろいろイメージが広がる。

人生が織物に例えられるのも、
むべなるかな、だなぁと思ったのでした。

コメント
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