小林真 ブログ―カロンタンのいない部屋から since 2006

2006年開設の雑記ブログを2022年1月に市議当選でタイトル更新しました。カロンタンは40歳の時に飼い始めたねこです

劇場でこそ興奮の音の旅~トニー・ガトリフ『愛より強い旅』

2006-03-22 17:16:56 | 映画
そういえば、映画の記事が滞っていました。今年は自宅であまりみてない割に劇場によく行っています。年内2本目だったこの作品を

【introduction】
『僕のスウィング』の記事も書いたトニー・ガトリフ作品はけっこうみていますが、劇場でみたのは初めて。
ドキュメンタリータッチということもあり、別にテレビで十分と思っていたのですが、まったくそんなことはありません。圧倒的な音楽に溺れるのは、劇場ならではでした。
カンヌでは監督賞を受賞。後でサントラも買いました。

【review】
意外にもストーリーがはっきりしていた『僕のスウィング』の後だけに、今回はどうなるのかと思っていたところ、若い男女がルーツを求めて旅をするロードムービーという素材は、いかにもガトリフらしい。小さいドラマもあるにはあるが、各地で出会う音の洪水に身を浸らせているとあっという間に上映時間という旅は終わる。
本作の舞台というか道程は、パリからアンダルシア、地中海を渡りモロッコ、そしてアルジェリアへ。これらの音楽を正しく語る知識は私にはないが、サントラのライナーをみるとキーワードはイスラム教神秘主義スーフィーで、私もアルバムは持っているパキスタンのヌスラット・ファテ・アリ・ハーンもスーフィー音楽なのだという。よくはわからんが、なるほど。
圧巻はサントラの最後に収められている「transe」。アルジェのスーフィー音楽をベースにガトリフが独自にアレンジしたというこの曲はすさまじかった。複雑なリズムの嵐に次第に高まり、やがてトランス状態に上りつめる人々。アワワワワワワ、アワワワワワワという掛け声は、日本の屋台囃子で提灯を持った人々の出す声にも似ている。お盆のような太鼓を持っているのに叩かず、ずっとくるくる回してしたオヤジはそうやれといわれてのパフォーマンスだろうか。
オープニングの主人公の局部アップ、サッカー場で踊り狂う恋人など、常に唐突に始まる演奏シーンを彩る、インパクト十分でも首をひねざるを得ない映像群はいつものこと。それより砂漠の隊列を捕えた大きなショットに、これまでのガトリフ作になかったスケールを感じ、かっこいーっ、と唸った。やはりこれも劇場の大画面ならでは。

映画は06年1月17日 渋谷シネ・アミューズにて観。サントラは3月6日初聴
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『キングコング』~ビューティフォー、ビューティフォー

2006-01-26 02:23:20 | 映画
劇場作優先という新ルールにより、正月にみたこの映画のレビューを。
めったにみないエンターテインメント作品ですが、4回分たまったポイントカードが半年間の期限切れが近づいたので、『SAYURI』でもみようかと思うといっていたら、特撮ファンの同級生M君がそれなら『キングコング』がいいのではということになり、M君車で出かけました。

【introduction】
私などが説明する必要はないでしょう。3度目の映画化ですが、私は前2作は未見です。M君と、行ってから「なにー、3時間もあんのかよ」と驚きました。

【review】
という3時間の上映時間でしたが、終わって出る時近くにいた20代前半女性2人連れも、「すっごい迫力~。全然長く感じなかったね」とのこと。長さに怖気づかなければ、古典的な美女と野獣物語をスリル満点のシーンが彩る、誰もが満足のいく映画なのかも知れません。
大変よくできた映画という印象。導入部、島に行くまでもいいし、現実的とはいえなくても映画らしさの極致といえそうなライティングなども十分楽しみました。
私にはちょっとしつこい恐竜シーン。何でああいうのがいるんだというと、前2作ともみているM君が「オリジナルにも出てくるんだ」。以前『ターザン砂漠へ行く』に巨大クモが出てくるのをみて、「誰も行ったことないと思ってずいぶん大胆だな」と思いましたが、当時の映画的常識はそういうものかも知れません。
ただ、『ジュラシック・パーク』以来、変温動物の恐竜も、実は速く動けたということになったようですが、私にはどうにもうそ臭く思えてだめです。CGに関しては、ほとんどみないので語る資格はありません。
ジャック・ブラックもエイドリアン・ブロディもそれなりにいいですが、やはりここはナオミ・ワッツ。実に楽しそうに演じています。思うに、恐怖に慄き、からだいっぱいで愛を表現し、怪物にこの世の誰よりも愛されるというこの役は、美人女優なら一度は演じてみたい役なのではないでしょうか。とはいえ、タイトルロールまでナオミ・ワッツとはわからなかったのですが。
しかし情報をみるとこの映画、だいたい今週いっぱいで終わるよう。帰りに寄った飲み屋でM君と傑作だったと話し合いましたが、残念ですが若い人に敬遠されるのもしかたないような気もします。
ひとまず、翌日だったか夕方部屋にいたので、窓から夕陽を見ながら、近くにいたたれ目の顔を外に向け、ビューティフォー、ビューティフォーといってみました。そうした人も多いのではないでしょうか。M君とあっちよりよかったという『タイタニック』をみて、船の舳先で手を広げた人にはかないそうもありませんが。

1月4日観 伊勢崎MOVIXにて

(BGMは来月結婚する高校の友人の関係で購入したデヴィッド・ボウイのベスト。やっぱりよくできた曲が多い。キングコングが出てきたところで "Scary Monsters" という名曲も。確かギターはロバート・フィリップ。何で "It's No Game" を入れねえんだ、と思いますが、それはしかたないところ。「シルエットや影が革命を見ている……新聞は書きたてるぞ~」。昔よくまねしました)
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『ある子供』~懐かしいような、それでいて味わったことがないような人の手の温もり

2006-01-20 15:00:00 | 映画
今日は映画レビュー。昨年最後にみた劇場映画で、新作はすぐ書こうと宣言しながら、結局1月後になってしまいました。

【introduction】
『ロゼッタ』に続き2度目のカンヌ映画祭パルムドールを受賞したダルデンヌ兄弟監督最新作。ワル、ではなく、とことんダメな若者が、恋人に産ませた子どもを売ってしまったり、小学生と組んでひったくりをしたりといった突飛な内容ですが、それが実に不思議な心動かされ方をします。

【review】
ビデオ観賞の『ロゼッタ』に続くダルデンヌ兄弟体験。これもまた驚かされた。
スタイルは一貫している。よく話題になる、音楽がないとか手持ちカメラでアップが多いとかはいいにしても、やはりその極端なキャラクター造型に唸らせられてしまう。ロゼッタをみていて「何でそんなに仕事がほしいんだ」とあっけに取られたように、本作の主人公ブリュノにはその超越的なダメぶりに圧倒させられるのだ。
映画好きとたまに話題にする、映画史上最悪のキャラクターは誰かというテーマがある。私としては、人でなし王として最近の偽装建築騒ぎで再注目の『タワーリング・インフェルノ』リチャード・チェンバレンのバカ婿、ろくでなし王として俳優名は知らないパゾリーニ『アッカトゥーネ(乞食)』のごくつぶし亭主などをあげることが多い。だが、ブリュノはまた新たなタイプだ。
例えば終盤、小学生とバイクで企んだ引ったくり。映画の犯罪シーンというのは大体がスリリングな昂揚感に満ちたものになるが、そういう感覚からははるかに遠いところが恐れ入る。それまでのあまりのダメぶりに、おいおい、やめろよ、どうせうまくいかないよと、感情移入とはいえない奇妙な気分で画面を見つめるしかなく、川に入る場面に至っては、おめえ何やってんだよと、開いた口がふさがらない。
ドキュメントのようにリアルにみえて、ダルデンヌ映画はリアリティ云々という以上に極端だ。つまりそれは、周到に、この上なく意図的につくり込まれた劇映画なのだと思う。
象徴的なのは、HPによれば「犬のようにじゃれ合う」二人のシーン。延々と、ベルギーの若者事情に不案内なこっちにしても、いくら何でもそんなことはないだろうと思うような“楽しそうな”じゃれ合い。いったいどんな演技指導がなされたのだろうか。そしてそれが『ロゼッタ』の長靴と同様の、人間のプリミティブな所業である乳母車のリフレインに隣接することで、唯一無比の映画時間を創出している。ロベール・ブレッソンとの類似も指摘されるが、この奇妙な連なりはブレッソンにはなかった効果だ。
観客がそんな不思議な映画時間に翻弄させられた後で訪れる、あのラストシーン。こんな場所にもM&Mの広告があるのかなどと感じさせられるのも、この映画世界に入り込まされているからだろう。食い入るようにスクリーンをみつめる肩のあたりに、懐かしいような、それでいて味わったことがないような人の手の温もりを感じたことは、本作がめったにない良質の映画表現であることを示している。
未見の『息子のまなざし』も、DVD保存してあるので近いうちに。

05年12月15日 恵比寿ガーデンシネマにて観
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『歌え!ロレッタ愛のために』~感想、S・スペイセク賛歌として

2005-12-22 13:48:56 | 映画
北関東のからっ風がびゅんびゅん。外で働く人には申し訳ないですが、室内の安堵を感じる一日です。
前回のコメントで『ある子供』を追い越しで書くことにしたのですが、書きかけだった9月にみた映画のレビューから。どんどん書いて追いつかねば。

【introduction】
シシー・スペイセクがアカデミー主演女優賞を手にした、カントリー歌手ロレッタ・リンの半生を描くトゥルーストーリー。それほどの名作というわけではありませんが、一人の女性の悲喜がじわーっと伝わり、ああいい映画だったなと思わせる佳作です。

【review】
私はシシー・スペイセクのファンだ。どちらかというとヨーロッパびいきなので、米国女優のなか上位を占めるのがスペイセクである。
ホットパンツがまぶしかった『地獄の逃避行』、苦手のR・アルトマン作品では一番好きな、不思議ぶり炸裂の『三人の女』、最近の『ストレイト・ストーリー』も絶妙だ。『キャリー』も彼女以外には考えられない。
スペイセクの魅力は何といっても、他では真似できない“おバカそう”ぶり。おバカの演技が得意な俳優は男女とも少なくないが、いつでもおバカに見え、しかも常に楽しそうに輝いて魅力的というのはスペイセクしかしない。『ミッシング』も、彼女の知的なようで何も考えていないという特異なキャラクターあってこそJ・レモンの名演も生きている。『イン・ザ・ベッド・ルーム』は新境地なのかも知れないが、その点が物足りなかった。
「チャーミング」とはつまり、スペイセクのような人をいうのだと思う。本作でその魅力は十分過ぎるほど転げ回る。
ラジオ局であっけらかんとNGワード、夫をあきれさせた不慣れなおしゃれ、そして何より輝くばかりに嬉しそうに歌うステージ。そのいずれもが、本当に楽しくてしかたなさそうで、私たち観客はロレッタの生きる喜びを十全に体験する。カントリーという音楽には明るくないが、こういうものだったのかと目を覚まされた。同じ時代にジャニス・ジョプリンを描いた『ローズ』という名作があるが、ロックではスペイセクの魅力は生きなかったろう。
さらにいえば70年代の香り。製作は80年だが、本作には素晴らしき70年代アメリカ映画の香りがぷんぷんしている。シャープ過ぎないコダックの映像に、広い道路とでかい車、何か生々しい人物たち。壊れ行く信じてきたものを信じるための、はかなくて愛すべき人々の活動の記録とでもいうような70年代アメリカ映画。原題 COAL MINER'S DAUGHTER というのも、実にそれらしい。
大ファンゆえスペイセク賛歌になったが、競演陣ももちろん申し分なし。

ところで『三人の女』。筋には関係ないが、「パウダーオニオン」なる食品が出てきて、スペイセクが「ホント、本物と全然変わらない」というシーンが記憶に残っている。実物を見たことはないが、パウダーガーリックならいざ知らず、粉になって変わらないタマネギの効果というのはどんなものか。シャキシャキが取り柄と思っているだけに、いまだに謎。アメリカでは一般的なのでしょうか。アメリカ型合理主義を突き詰めると「パウダーオニオン」なのか

1980年アメリカ マイケル・アプテッド監督 125m 9月20日観
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小津安二郎『お茶漬の味』+『鏡獅子』~いつものように驚き続ける2時間

2005-12-17 01:32:40 | 映画
たまったレビューを次々に。今日は映画でこれも9月にみた分で、6月のブログ開始以来まだ2本目の日本映画とは。

【introduction】
心のすれ違う夫婦が、互いを理解するまでを描いた小津作品。同じディスクに入れておいた歌舞伎六代目尾上菊五郎のドキュメントもいっしょにみました。

【review】
ちょうど昨日読み終わった内田樹・春日武彦両氏の『健全な肉体に狂気は宿る』でも、小津映画について語っていた。声がいい、オープニングの和紙みたいなのが出てくるだけで嬉しくなるという内田氏に、完成品の美しさを味わうという春日氏。
なるほど、さすが。だが私がいつも小津映画を見て感じることはというと、実は大いなる驚きで、始まる時の嬉しい感じが、次々に繰り出される映画的驚異にげげっ、とのけぞらされてばかりという観賞時間になる。
映画だけでなくすべてのすぐれた表現は、ほかにない発見とそれを感じる驚きに満ちたものだ。映画の場合のそれは、味方と思っていたやつが実は敵だったのような驚かすことが目的のシンプルなストーリーのどんでん返しなどでなく、つくりたいものをつくろうとした結果たどり着いてしまった、映像のあり方や俳優の演技から得られることが多い。
私の場合の小津映画の驚きは、前者は例えば『小早川家の秋』で泣き崩れる杉村春子、そのすぐ後で川沿いに佇む原節子、『宗方姉妹』でのお茶目な高峰秀子、そして何よりすべての出演作でうなずいて笑う笠智衆。後者は有名なローアングルや人物のアップもさることながら、あの煙突に代表される「縦の構図」がある。(なお、不勉強ゆえあの構図が何と呼ばれているのか知らないが、研究者やファンの間で通用する名称があればぜひおしえてください。ひとまずこの記事の中では「縦の構図」で統一しておきます)
と、「縦の構図」は何というか、あのスタティックな小津映画の中、だからこそか一層暴力的に登場する。それは多くの場合、静かに積み重ねてきた感動が最高潮に達した時とか、緩やかに複線を張り巡らせている時とか、とにかく画面に吸い込まれそうな時に、どかんと画面が縦に割られ、一見何の関係もない煙突とか登場するのだ。それもほかの画面とは明らかに異なる、幼児が描く絵のようなとりとめのない構図で。
『お茶漬の味』以外の話が長くなったが、本作での「縦の構図」は野球場の照明灯。ここでもやはり物語が動き出すことを静かに告げ、その後、当時はこういうものだったかと思う、のどかなスタンドの風景が映し出される。こんなところをみるのも小津作品の楽しみの一つだろう。
さらには、鶴田浩二ってかっこいいな、とか妻の姪か何かの当時らしい進歩的女性ぶりなどに浸っていると、いつの間にかあの台所のシーン。この場面では、小津映画の多くがそうであるように、あまり重要に見えないささやかなやり取りが徐々にその映画の中でもっとも大事なシーンだとわかってくるのがスリリングこの上ない。こうした時間の感触に近い最近の映画作家として思い浮かぶのは、意外かもしれないがイギリス社会派の巨匠ケン・ローチだ。
そしてその意外な展開に驚いていると、何だこの奥さん、漬物のありかも知らねえのか、この頃の奥さまはこういうものだろうか、などと下世話なことを考えさせられつつ物語は終わり、小津映画ではあまりみたことのないエピローグが始まる。はあっ。
こんな風に、またも驚かされる小津映画なのでした。
前にみたHPで、小津作品は状況や登場人物などが似ているから、一気にみないでたまにみるのがいい、という素晴らしいアドバイスがあったので来月あたりにまた。と思っても、もう3ヶ月経つからそろそろみてもいいかなと思うのが小津作品です。
『鏡獅子』は、こういう映画も撮っていたのかというのが一番の驚き。

小津安二郎監督 1952年 115m +1935年 24m 9月19日観
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『やかまし村の子どもたち』~永遠でない永遠の時間

2005-10-27 02:40:51 | 映画
阪神4連敗。ロッテが強過ぎた。ここは気を取り直してたまった映画の感想でも。これもみたのは1ヶ月以上前。秋の日は速く過ぎます。

【introduction】
『ショコラ』などのラッセ・ハルストレムが、『長くつしたのピッピ』シリーズの原作者であるリンドグレーンの原作・脚本を映画化した、わずか3軒のやかまし村の6人の子どもたちの夏休み。
過ぎ行く夏の終わりに、とみたのですが、そういう目的にはうってつけで、お腹の辺りがすーっとします。

【review】
ハルストレム作品はけっこうみていますが、好きなのは『マイ・ライフ・アズ・ア・ドッグ』と『ギルバート・グレイプ』。フランスが舞台なのにもっともアメリカナイズされている『ショコラ』はあまり感心しなかった。
“癒し系”とも評される監督だが、気持ちのいい映像の影に、いつも悲しさが隠し味になっているから説得力がある。
『マイ・ライフ……』の母との別離、『ギルバート……』の弟や母……。それがあるからこそ、『マイ・ライフ……』の田舎暮らしやボクシング、男の子少女、『ギルバート……』のJ・ルイスへの想いは、たまらないほどの切なさをもって画面上に現れる。知的障害の弟デカプリオが塔に上っていく姿と、ショートカットのルイスが重なる映像は忘れられない。
ほかの作品の話ばかりになったが、そんなハルストレムらしさがよく出たのが本作。ほのぼの、のんびりした、時間が止まったような田舎の村暮らしを描いているが、いつまでも続かない夏休み、そして子どもの時間を彼らが“知らずして知っている”ところが本作の隠し味だろう。
6人が男の子、女の子に分かれて、お互い相手を意識する。そんなシーンで、彼らが子どもの時間が永遠でないと知っていることを丁寧に描く。だからこそこの映画では、時間が永遠に感じられる。そういう風に思う。
美しい自然と、子どもたちの楽しそうなことはこの上なし。思わずにこにこしながらみていると、映画の終わりとともに夏休みは終わる。続編もあるので、来年の夏あたりにみてみよう。

1986年スウェーデン ラッセ・ハルストレム監督  90m. イマジカにて収録 9月16日観 H019
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Sのつく監督 この一本

2005-10-15 03:34:39 | 映画
http://blog.goo.ne.jp/any-body-else7/e/7ec250c494e5f3539a12167ee73d6237

前回の「子役がかわいい」の投稿を書いていて、以前波平さんのブログにコメントした「Sのつく監督 この一本」を思い出しましたので、ここにも書き込みます。

サム・ペキンパー:「ゲッタウェイ」
 「ガルシアの首」と迷うが
サミュエル・フラー:「拾った女」
 あまりみてない
セルゲイ・エイゼンシュテイン:「戦艦ポチョムキン」
 圧倒
シドニー・ルメット:「狼たちの午後」
 再見して最初に一人抜けるところに驚嘆
シドニー・ポラック:「出逢い」
 馬映画の佳作
スタンリー・クレイマー:「招かれざる客」
 建前の重厚さ
スタンリー・キューブリック:「時計仕掛けのオレンジ」
 一作なら
スタンリー・ドーネン:「雨に唄えば」。
 「シャレード」もとくに日本エンターテインメント史的に外せない
スティーブン・フリアーズ:「ハイ・フィデリティ」
 器用
スティーヴン・ソダーバーグ:「セックスと嘘とビデオテープ」
 「トラフィック」も含め、エンターテインメント力強し
スティーブン・スピルバーグ:「未知との遭遇」
 他に例がない遭遇の描き方
スチュアート・ローゼンバーグ:「暴力脱獄」
 「ひまわり」でもマストロヤンニが無理に卵を食っていた
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西、イラン、日、中、仏の5本で

2005-10-11 06:24:58 | 映画
http://micchii.blog4.fc2.com/blog-entry-229.html

本日は、micchiiさんの「愛すべき映画たち」の「子役がかわいい! 募集!!」に投稿した内容を

1)『ミツバチのささやき』……後頭部から撃たれるような衝撃的なかわいさ。零細学習塾を営んでいて塾生によくビデオを貸し出していますが、本作をみた何名か(男子)はアナとダイアナ(だったか)ごっこをして遊んでいました
2)『柳と風』……子どもものの宝庫イラン映画は迷いますがこれ。子ども=一所懸命という図式から最高の一本
3)『二十四の瞳』('54)……日本からはこれ。いっぱいの子どもが歌い泣き生きる。リアリズムの嵐で「かわいい」という視点からはどうかの『キクとイサム』が次点
4)『五人少女天国行』……日本でいえば小学生くらいで「子役」というのはどうかですが、田んぼの中で踊る少女たちが果てしない衝撃
5)『わんぱく戦争』……もう一本はアメリカ映画にしようと思ったのですが、このフランス映画が思い当たってしまいました。「遊び」の描き方は映画史上有数でしょう。大林『野ゆき山ゆき海べベゆき』にも本作の影響を強く感じます
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『さすらいのカウボーイ』~時代の手法の奇蹟

2005-10-08 02:40:13 | 映画
スポーツから目が離せない日々ですが、たまった映画の感想も。

【introduction】
ピーター・フォンダ監督&主演によるニューシネマ、新感覚ウェスタンなのだそうです。放浪していたフォンダが、落ち着いた暮らしをしようと一度は去った妻子のもとに帰り農家を手伝うが、親友が悪漢に捕えられ……というストーリー。
どちらかというと西部劇はあまり詳しくなく、ニューシネマは好きな私としては、オーバーラップ、多重露光多用の映像、レイドバック感たっぷりの音楽に心ひかれました。

【review】
この作品の美点は多い。
実にニューシネマ的な、アメリカンヒーロー然としない主人公と、ゆったりした時間の流れ。大きな起伏のないストーリーだからこそ、死んでいく希望に燃える若者などのエピソードを交えて、物語を追うだけでも浮世を離れたて時間も場所も離れた西部の時間を過ごすことができるだろう。
しかし私には、ニューシネマやヌーヴェルヴァーグ特有のさまざまな実験的手法を使って描かれたところに本作の貴重さが感じられる。例えばフランスのヌーヴォーロマンがそうだったように、手法の実験精神の高まりは従来の価値が揺さぶられる時にこそ起こるものだ。
それがいつもやがて下火になるのは、手法が持つ役割を終えるからだろう。しかしその失われた表現が、後に触れる者にとって何とも替え難い魅力を放つことがある。
いってみれば“時代の手法の奇蹟”。例えば絵画と音楽の印象派、オリジナル・パンクロック……。
公開当時無視されたという本作が再評価されるのは、現代の人々がその表現の快さにひかれているからに他ならない。

1971年米 ピーター・フォンダ監督 91m. 9月15日観 H018
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『きれいなおかあさん』~中国社会が変わる時

2005-09-24 01:30:25 | 映画
昨日が自分の母のことで今日の映画がこのタイトルですが、順番に書いている読書、音楽、映画でたまたま番が回ってきただけです。ねこの話でも書いて1回開けようかとも思いましたが、それもかえっておかしいので今日も勇気を出して。
なお当然のことですが、生前私の母は「まったくきれいでないおかあさん」でした。高校の頃、ゴルフ場経営者の息子の同級生H君のお母さんが中学校教員だった父の最初の教え子で、何かの時にその若くてかっこいい白のギャラン・シグマを操るお母さんに送ってもらった後で家に着き、こたつでどうずばっている茶色のカローラの母に「何でそうゆうん。Hのお母さんなんかすごくきれいでかっこいいんだで」などとぶっ放したら「ハハハハハ」と笑ってました。愚かな十代の記憶ですが、その上恐ろしく片づけができず、それに似たのか私も……。おっと今日は映画の話でした。

スン・チョウ監督 2001年中国 90m. NHK-BSで収録 9月14日観

【introduction】
中国の代表的女優コン・リー演じる母親の、耳に障害を持つ息子への愛を描いた感動作。普通小学校への入学のためにあの手この手を使って奮闘する母の姿は悪くはないと思いますが、自分の理解力の問題か、あまり楽しむことはできませんでした。

【review】
楽しめなかったのは、“中国映画への間違った期待”が原因だろう。それは“中国”への間違った期待と言い換えてもいい。
市場経済導入と同時に接する機会が増えた中国映画。個人的にもっとも鮮烈なのは、美少女たちが内陸部の田んぼの真ん中で踊り回り、それでいながら貧困や性差別のリアリズムに西欧化社会では考えられない方法で迫った1991年の『五人少女天国行』だったが、他にもスケールで圧倒した『さらばわが愛 覇王別姫』、国土の力を見せつけた『黄色い大地』、数について考えさせられた『あの子を探して』など、ずっと驚かされっぱなしの十数年ほどだった。
だが中国は変わった。都市部には高級車を乗り回す人々があふれ、そのことが新たな問題を噴出させているにしても、かつての中国の一部は失われている。もちろん日本人には想像すらできない奥行を持つ中国に関して、行ったこともない人間にいえることはほとんどないが。
たとえば『中国の小さなお針子』。この作品では奥地の農家の建物はそのままに、不釣合いに豪華なソファや衛星放送のパラボラアンテナが同居している絵がものすごいリアリティを感じさせられた。
だがそれはパラボラアンテナが私が中国映画に望むものに近いかたちをしていたというだけのことであり、本作のシーメンスの補聴器やメイドの勤め先のスケベオヤジ、新聞配達といったディテール、それから過剰な音楽や世界標準といえる不可分ない演出などが、私が中国映画に求めているものと違っているだけなのだとも思う。
同じコン・リー主演の『秋菊の物語』はまったく違っていた。何だよ中国ってやっぱりこんなかよと思いながらみる官僚機構の中で正義を貫こうとするコン・リーの秋菊は、どんなにまぶしかったことか。
『秋菊の物語』からみてどうこういうのは、恐らく現代日本映画をみてクロサワやオヅと違うというのと同じようにばかげたことなのかも知れない。だが、現代日本映画がいかにすぐれた映画が多くあるといったところで、クロサワやオヅがすばらしいことに変わりはない。今の中国を本当に反映しているのが『きれいなおかあさん』だとしても、これから10年、20年していい映画として思い出すのは『秋菊の物語』の方だろう。
社会が変わる時、失うものがないわけはない。私には映画くらいしかそれを確かめるすべはないが、だからこそしっかりとみておきたい。ただし遠くで。
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『プレイタイム』~仏映画史上最高の製作費で描かれた“不思議なほのぼの”

2005-09-20 21:56:26 | 映画
今日は映画。やっと9月の分に入りました。

ジャック・タチ監督 1967年フランス 125m. NHK-BSで収録 9月8日観

【introduction】
『ぼくの叔父さん』のジャック・タチが当時フランス映画史上最高の製作費をかけてつくられた70ミリ大作コメディ。
ストーリーを紹介するのは難しいですが、タチ映画でおなじみのユロ氏が大都会パリに出て来てあちこちで騒動を起こす、といったところでしょう。
帽子とパイプ、ステンカラーコートでほとんどしゃべらずにおかしなことをするユロ氏は、ドリフのカトちゃんもコピーしていたほどのキャラクター。『ぼくの叔父さん』でも繰り広げた近代化風刺も鮮やかです。
ただタチ作品未見の方は、親しみやすい『ぼくの叔父さん』からみた方がより楽しめるかも知れません。

【review】
タチ作品は数本みたが、彼が万人受けするコメディアンとは私には思えない。
手許にある『映画監督ベスト101』でも郡淳一郎さんが「バスター・キートンのフランス版的キャラクター」と書いているが、セットに重きを置くという共通点はあっても、キートンやチャップリンのわかりやすさに比べ、笑いの質が少し高度に過ぎるように思う。
たとえば本作では、花屋で写真を撮るシーンはわかりやすいにしても、窓のシーンをみて大笑いする人が何人いるだろうか。実際にみせたことはなかったが、キートンをみて笑った祖父もタチ映画では笑わなかったろう。
だが、私にとってタチ作品が退屈かというとまったく逆。彼の映画でしか味わえない幸福な感覚に、いつもにこにこさせられてしまっている。
その幸福な感覚とは、言い換えれば「ほのぼのとした懐かしさ」。しかも時代を超越した個性があるから、いつまでも浮いたまま古びない。ンチャンチャンチャンチャ、ビー、ビービー……という独特な音楽の中、すべてのものが奇妙で浮世離れしたスピードで動いていく。
私の世代でいえば、宮脇康之のケンちゃんシリーズとか、コメディタッチでのウルトラマン、ウルトラQを思い出すような。最近みた映画では70年の湯浅憲明『ボクは五才』という日本映画も同じような感じだったから、この時代特有の映像のにおいのようなものかも知れない。
だが、動く絵画といえる不思議なカットは唯一無比。『トラフィック』でもあった特有の動きをする自動車の群れは、今回はメリーゴーランドを再現してくれた。ガラスに映るパリの街も魅力的だ。
こうしたタチ映画の特質そのまま、多額の費用と1年という長期間を使ってつくられているのだから興味は尽きない。オープニングの驚くようなポリリズムから始まって、クライマックスのレストランのあくまでタチ風のスペクタクル、大団円のラストまでびっくりしたりにこにこしたりする2時間ちょっとはあっという間だ。ただし、大笑いは期待できないが。すぐれた表現に欠かせない「破綻」ということでいえば、本作の場合もともと無理があるともいえる構造の映画なので、完璧だからこその破綻がある。
それにしても、巨費を投じて戦争映画や史実でなく、こういう映画をつくる60年代のフランスには恐れ入る限り。
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『かげろう』~静かな夏の森と戦時の緊張感のコントラストで描く心の漂い

2005-09-17 00:54:34 | 映画
今日もたまった映画の感想。これで8月にみた分が書ききります。

2003年フランス アンドレ・テシネ監督 95m. 8月11日観 WOWOWにて収録 H015

【introduction】ちょっと苦手なA・テシネ監督作ですが、エマニュエル・ベアールにひかれて観。『8人の女たち』のメイドは異彩を放っていたし、ハリウッドスター目白押しの『デブラ・ウィンガーを探して』でのさすが欧州女優というムード、そして04年のカンヌ審査員席で見せたいい意味で爬虫類的なため息と視線……。今年の8月で30歳、魅力は増すばかりです。
と、大絶賛ですが、ストーリーは第2次世界大戦時に夫を亡くし2人の子どもを連れてパリを逃れた小学校教師オディール(ここにもうちのねこの1頭と同じオディール! =ベアール)が、田舎の青年イヴァン(ガスパール・ウリエル)の手引きで捨て置かれた森の屋敷で奇妙ではあっても安らかな日々を送るというもの。
おもしろかったかどうかといえば、まじめなのはいいのですが、それがよさでなく息苦しさになってしまうテシネ監督作では、今までみた中で一番楽しめました。
フランス南部と思われる田舎風景もこの上ないくらいに美しく、終わってしまいましたが蒸し暑さを忘れたい日本の夏の昼下がりに最適。

【review】戦争という異常な緊張状態での心の寄せ合いということでは、A・ヴェルヌイユ監督、ベルモンド、カトリーヌ・スパークの『ダンケルク』を思い出す。『ダンケルク』では戦場の兵士であるベルモンドがたどり着いた民家の留守を守る少女スパークと思わぬかたちで心通じ合わせてあっけに取られたが、本作での2人の成り行きは途方にくれた美しき人妻と野性の青年という組み合わせは意外性はそれほどでもない。
ただし戦争映画のスタイルをとる『ダンケルク』がいささか大味なドラマの力で時ならぬ恋慕を際立たせていたのと対照的に、本作では信頼と不信の間で揺れる息子、字を読めない青年、彼に教育の必要を説く人妻の心理が絡み合う中で静かにドラマが進んでいく。その過程は丁寧で緊張感に満ち、テシネ監督のいい面がうまく発揮された作品だと思う。
もちろん、ベアールもいうことなし。あれだけ小悪魔的に振舞うことがありながら、本作のような小学校教師のお堅い人妻役をこなせてしまうのは、今回初めて知ったが人権保護活動にも熱心という彼女のまじめさゆえなのだろう。そのお堅い人妻の心の揺れを見事に細分化して描ききった監督の力量は確かだ。
しかしテシネ監督、もう少し余裕のある作品をつくってくれまいか。それだと持ち味がなくなってしまうのかも知れないが。
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『東京暗黒街・竹の家』~“日本の映像”の謎

2005-09-15 02:25:49 | 映画
たまった映画が続きます。

【introduction】
曲者S・フラーが日本で大々的なロケを行ったシネマスコープ大作で、ヘンな日本描写で国辱的とまでいわれたそうです。
ストーリーは、軍需列車が強盗に遭い、米国捜査官が東京に巣食う闇の組織に潜入するというもの。
「国辱的」といわれればヘンな期待も高まりますが、63年生の私としてはちょっとと思うシーンはあったものの期待外れ。その反面、意外な別の見所は多く楽しめました。

【review】
洋画と日本映画の画面の違いにずっと興味があった。たとえば英語のうまい歌手が歌う日本のバンドの曲も、やっぱり日本人だなと思うのはなぜかというような。
技術的なものなのか、それとも気候・風土によるものか。それは現在、日本、欧州、南米のサッカー中継をみても感じる違いだから、日本を舞台に外国人プレイヤーが出演した日韓W杯などは、ゲームの興味とともにどのような映像になるのかという点でも注目していた。しかし現代の優れたカメラもあり、そう大きな違いは感じられなかったのが正直なところだ。
さて、55年にアメリカ人が日本で撮った本作。冒頭の列車強盗シーンでまず引きつけられたのは、西部劇などとはまったく違う木下恵介作品のような青い山の稜線である。というわけで、画面の違いは風土によるところが大きいのだろうといったんは思った。
何でこんなところに風呂がとか、これは何時代なのかとか、奇妙な感じを抱きながら映画は進み、クライマックスのデパート屋上のアクションシーン。着物姿の女性はじめ日本的なアイテムこそ見えるが、S・フラーらしい大仰な映像でとても日本映画には見えず、映像と風土の関係はさらにわからなくなった。
残念ながら未ビデオ化。

1955アメリカ サミュエル・フラー監督 102m.WOWOWにて収録 8月8日観
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『夜行列車』~おしゃれでサスペンスフルな列車映画の傑作

2005-09-14 02:32:49 | 映画
今日はやはり久々の映画です。たまりがちで、これも1ヶ月以上前にみた作品

【introduction】
『尼僧ヨアンナ』で名前だけ知っているカヴァレロヴィチ監督作をみるのは初めて。イマジカで特集をやっていたのを3本収録し、時間の都合でこれをみたのですが大収穫でした。
『北国の帝王』はじめ列車映画に傑作多。本作も、移動、複数の乗客、密室性などという特性を活かしつつ、まったく知りませんでしたがポーランド・モダンジャズの第一人者というA・トシャコフスキーの音楽などもあって、おしゃれ、サスペンスとも兼ね備えたつまりすばらしい作品に仕上がっています。

【review】
59年といえば、ジャズがイメージをかきたてる『勝手にしやがれ』と同年。50年代の映画をみる楽しみにロック胎動以前の音楽の使い方がある。日本の石原裕次郎作品などでもそうだが、ジャズが後にロックの主要素となる激しさ、シンプルさなどを備えていて、耳が釘づけになることが多い。本作のA・トシャコフスキー編曲によるというスキャットも実に鮮烈だった。このジャズも今の西海岸パンクなどよりずっとロック的だと思う。
そして正体不明の車中の人々。あっと驚く展開があるわけではないが、それがかえってぞくぞくしたサスペンスを産んでいる。
『マイケル・コリンズ』でも話題にしたリアリティの問題。『北国の帝王』で、まさかり、鎖、斧といった身近な小道具があまりに痛そうで余りあるリアリティを醸し出していたように、本作クライマックスでもそこら辺に転がっているあるものが信じがたいほど信じられる大きな効果を上げている。普通人には拳銃で撃たれた痛みさえよくわからないが、包丁で指を切ったことがあれば、柱に頭をぶつけたことがあれば、そこら辺のものの痛みにはリアリティを感じられる。こいつは痛い。
クライマックスシーンの大胆なアングル、そしてエピローグのちっとも開放的でない冷たい感じの夏の海など、ハラハラドキドキはしないが、映画的には新鮮な驚きに満ちた作品。
しかし、DVD未発売、ビデオ廃盤で残念。『尼僧ヨアンナ』も楽しみだ。

1959年ポーランド イェジー・カヴァレロヴィチ監督 100m. シネフィルイマジカにて収録 8月4日観 H013
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『マイケル・コリンズ』~リアリティを呼ぶ愛すべきちゃちさ

2005-08-25 23:58:33 | 映画
【introduction】
『クライング・ゲーム』のN・ジョーダン監督が描くアイルランド独立運動の英雄の伝記。恋愛あり、友情あり、裏切りありの盛りだくさんの内容で、思ったより普通のつくりです。ジュリア・ロバーツも驚くほど普通で控えめ。なおタイトルに「ちゃち」と書きましたが、映画全体はがっちりした本格作品です。

【review】
主人公マイケル・コリンズはよく知らなかったのでずいぶん前に読んだ『物語 アイルランドの歴史』を引っ張り出してみたが、扱いは小さかった。あまり史料のない人物なのだそうだ。
N・ジョーダン監督映画らしい緊迫感、リアリティあふれる作品。こういう映画に友情や恋愛が入ると全体に陳腐になることが多いが、本作の場合人物像や事件の理解を深めるのに役立っていて無理がない。独立戦争前となると、やはり交渉、かけひきが大事なのだななどと学んだことも多い。
圧巻はラグビー場のシーン。見た目はやけにちゃちでとことこ出てくる装甲車、まったくわけがわかっていない民衆などをエンターテインメントとは異なる方法で描き、内から始まる戦争の恐怖を伝える。
かつて『地球から2000万マイル』をみて、怪獣のちょうどいい大きさが妙なリアリティを感じさせて驚いたことがあったが、本作ではまたちゃちさがリアリティにつながると発見。ああ、そういえば53年版の『宇宙戦争』でもこぽこぽいう見るからにつくりものの岩石にやけに心ときめいたが、同じことだろうか。よくできた最近のハリウッド産武器では、何だか嘘っぽくて反対のチャチさを感じてしまうのだ。

1996年アメリカ ニール・ジョーダン監督 133m イマジカで収録 8月2日観
コメント (2)
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