二〇一一年六月七日。一年前の朝一〇時半ごろ、
http://twitpic.com/580is1 - #tnk この曇りの空、寝足したいくらかの時間はずっと忘れることがないだろう。蒸す。風はない。卓上温27度。おはようざいます。北埼玉深谷北
そして五時間後、
おめでとう、がんばった蔵主、そして支える人々。 #二の蔵_ から #NINOKURA へ。“仮”オープンです。 これから七ツ梅に行きますが、帰って随時お知らせします。
それからこの場所では、ありふれていてあたりまえで、だからこその場所にいる者どもにとって愛しい奇跡に満ちた、決して繰り返すことのできない時間が流れている。
蔵では二十以上の催し
http://bit.ly/ytr1Zc
を繰り広げてきたが、その最大は二〇一二年一月二二日の式典と宴。直前には雪まで降っていた午前一時四四分、
やっと帰還。やり残しは多いが、できなかったことはしなくていいことだろう。鍵を占めると、雨空をみあげて蔵主はいう。「よし、明日は晴れるぞ」 http://twitpic.com/89ylld
そして夜が明けた。
#tnk 降ってない、風もない、上々じゃないか。仮面ライダーをみながら、着付けてもらった。温度計みつからず。北埼玉本庄 http://twitpic.com/8a3xi2
その午後一時半過ぎ、
(撮影は専業写真屋の弟)
なんとも不思議な蔵前式から、二部構成の宴は翌日まで続いた。
翌お午過ぎ、
#tnk 朝のはいいろ空はもう冬の青。宴はすんだ。みたことのない映画みたいな一日を、みなさんありがとうございました。今日はゆっくりしよう。北埼玉本庄中央部 http://twitpic.com/8alnd5
当日、赤城おろしが休んでくれた蔵の前で名前だけ書いた公式書類は、忙しさにかまけて四ヶ月以上の間蔵の中で休んでいた。劇団やら掃除やら種類づくりやら、ほかのやることが次から次とあったのだ。
だがこのほど、一年前が蔵にとって大事な日、定型をもらって来た市役所に提出されることになった。この日を択んだのは、まわりのひとの誕生日を三分の四倍生きている私以上におぼえている蔵主。私とて忘れていたわけではないが、重要な局面で言及できずおこられた。
それでも、二〇一二年の六月七日は一年前と同じような好天になる。起きたのは九時半頃、
#tnk いい天気。こんな日ばかりだといいけど、そうじゃない日があるから今日がいい天気。#accuradio つけたらチープトリックのルーシーインザスカイ…。卓上温二四度。おはようございます。北埼玉深谷北 http://twitpic.com/9tkfij
なお、出かけには、この前松本に行った時に買った手ぬぐいをおろした
書類は証人の媒酌人夫妻には前日書いてもらって他の部分は朝に記入し、押印で完成は午前中の蔵だった。
しかし、私がIDを持っていず家に帰って出直し、さらに移出や世帯主変更の手続もあって書類は一部修正された。この程度の障壁は想定内だ。
役所の手続から戻ると、「妻になった人」はいう。「やっぱり苗字が変わっちゃうのはかなしいな。あの二人の子どもじゃなくなっちゃうみたい」。ついでに行った印鑑登録は、自分で彫った苗字のない篆刻。われらの「社会」は、こうしたいたみを一方におわせていることをうやむやにしてはいけない。
二〇一一年六月七日から、今年は辰年閏年だから三六六日が経っている。
思えば「北埼玉深谷北」上増田の郵便番号は「366−0021」。かなりのこじつけだが、「二〇一二年一月二二日」を中心とした三六六日に符合しているといえなくもない。
その三六六日間、われらはいつも<撤退戦>を生きてきた。
やろうと思うことのほとんどはできない。いいたいことの半分もいえない。そうした中で選んだつもりの「大切」さえ、それがほんとうにそうなのかわからなくなることもしばしばだ。
一月二二日にしても、「妻になった人」は意匠をこらしたさまざまなもてなしをあきらめ、「夫になった人」は蔵の前で言おうと思っていた「ほかの誰かの言葉でなんか、誓いたくはありません」を忘れ、最後に歌うつもりだった『書きたかったのはワルツ』はメロディーだけで放り出された。さらには二人で一月二二日以後ににやろうとしていたことの多くもそのまま残っている。
けれど、できないほどの多くをやりたいと思うことを喜びたい。無念があってもそれはあり得ない夢をみてしまった脳天気の、負わねばならぬ義務であり世へのはたらきかけに対する祝福だろう。
すみません。
よくいわれることですが、なかなか本題にたどり着きません。周囲の方には、一体何やってんだと心配されましたが、蔵前式から四ヶ月以上経ってようやく入籍しました。
この三六六日間、何度も話してきたように、どんなに長く語っても要約すれば「ごめんなさい」「ありがとう」「よろしくお願いします」の三言になる。だけど、そんな「わかりやすさ」なんか要らないということをよりどころにして生きているのでしかたありません。
もちろんそれは私だけ。妻になった人は「何いってんだかわかんないよ」とよくいってます。これまでが四八年、次の四八年の間にわかりやすくなるのでしょうか。
ともあれ、お世話になっているみなさま。
いろいろご迷惑かけてごめんなさい、あたたかい言葉をありがとうございます、これからもよろしくお願いします。
(七日に途中まで書いて例によって寝てしまい、八日午過ぎに投稿。細かい字はTwitterからの引用です)