#NINOKURA 静かな曇りの月曜日。朝のヨガが終わった二階で時を知らせるのは、「二階に時計があるといいんだけど」という声におなじみ昭和一一年生まれのSさんが持ってきてくれた単一電池が入った掛け時計です。... fb.me/3smb37MYc
陽が出てきたので洗濯した。日曜のこの時間にうちにいるのはしばらくぶりだが、もうすぐ六十代の生徒の同窓会に行く父親を送りに出る。当時のほかの担任はみななくなって、健在の父にお呼びがかかったという。長生きする方がいろんなことがある pic.twitter.com/fnGNIBWe0t
ばびゅサービスが「新しく」はないが次の機械を持って来るというので、次は本庄御殿の兵卒のもとに行く可能性があるという、これまでの友だちの最新データをギガファイルに預けてシステムを閉じる。ありがとう、半年くらいかな。現代は道具が不思議 pic.twitter.com/1o7EIzYV05
そんなわけで、大きさも色も同じ「今度の」機械が来。データもほぼ引き継がれ、キーボードかUSからJISに変わったくらいだ。まあ、しばらくよろしく、デジタル転校生 pic.twitter.com/Xe6bk3UKim
#NINOKURA 九月最初の週末、暑さが戻ってきました。... fb.me/752xijz5S
先週会った著者のいうことをきいて寄ったら、ほんとに売ってたので半額のを買って、うろうろいてたら日曜に蔵に来てくれた偉大な文具店主がいて源氏物語の話をして、すると東欧と戦後日本の大いなる作家のハードカバーが、ともに108円だったの... fb.me/3TO4LgCEn
帰ったら阪神が甲子園野球しているので観。レフトスタンドに負けない庭の虫の声から打球音とフェードインする歓声のディレイは贅沢の極だ。安藤抑え、後は九回裏の逆転 pic.twitter.com/q29Mx88hol
防災の日なのでカレー。レギュラーに加え、オクラ、ツルなしインゲン、ピーマン、シシトウ、ゴーヤ、ナスと夏の残党どもが存在感を示す pic.twitter.com/ZGpMOqyC3D
九月最初の日が月曜で大雨というのは悪いものでもない―斎藤環評、蓮實重彦『「ボヴァリー夫人」論』 blog.goo.ne.jp/quarante_ans/e…
カレー食後、チャンネル権を得てずいぶん前に録画した「洋楽主義」ピンク・フロイドをみたら、終わってインタビューが出てきたスペインのSSWグラスゴー録音は2011年作という Russian Red - The Sun The Trees: youtu.be/q8oZEIQ-AxQ
九月最初の日が月曜で大雨というのは悪いものでもない、と思いつつなんにもせず、寝床で昨日は朝から出かけたので読めなかった毎日の「今週の本棚」を読んだ。
村岡花子のミミズの童話が受け容れられないことに憤る高畑勲、「下降調の結び(タイニング・フォール)」と妻ゼルダの精神の崩壊、F・コッポラ『ゴッドファーザー』シリーズと『サーガ』を思い起こした作者自身の構想による死後の構成違いの改訂版をオリジナルの方が「はるかにスリリングであり、緊迫感があると思われる」とし、「いとおしい傑作」というフィッツジェラルド『夜はやさし』の井波律子評もよかったが、何といっても「古典」「文学」の深層を掘り下げた斎藤環評、蓮實重彦『「ボヴァリー夫人」論』。
「小説は決して終わらない」「読後、ごみ箱にそのまま投げ捨てられるような批評」「あまりに凡庸な『地獄の黙示録』のヘリコプターシーン」(すべて引用不正確)といった著者の言葉を三十年あまり、よくわからなくても圧倒されながら、もちろんたまにではあるけれど追いかけてきた。その言葉が何の中でだったか近頃の言語空間で旗色よくない「ポストモダン」の全体にあらためて力を与える確かな論に、〈安心〉したことのある評者によって明かされる。
…構造や文脈を超えたところでストーリーを変化させるのは、著者も言うようなテクストの細部の配置である。この配置のありようにおいて、テクスト的現実が機能する…本書がなしとげたのは、『ボヴァリー夫人』という名を持つ「長編小説」が、その背景に「散文」生誕の「昨日性」ないし「事件性」をはらみつつ、いまだ「文学」との「公式の関係」を結びそびれている「孤児」のような作品であることを説得的に示すことだった…およそ「古典」と目される書物は、いかなる体系にも安住しがたい不安定さをはらみつつ、あらたな批評と解釈によって更新され続けるアーカイブの総体そのもののことではなかったか…
そうだ、「配置」であり、「『文学』との『公式の関係』」であり、「不安定」。
九月最初の日が月曜で大雨というのは悪いものでもない。
さあ、秋だ。どの季節も変わらないけど、本を読もう。