「はだしのゲン」の発端は,京都市在住の(なんで京都なの?)「一人の」請求が発端だったとか。
一方,「カネボウ化粧品の白斑問題の発端は●●年だったとか。
原因(発端)から求められるものが正反対。
日本全国のたった一人の意見で,それに対応するかしないかで,正反対の評価がもたらされる。
違いはどこにあるのか?
結果的には「ほかの人はどう考えるか」に過ぎないのか?
大変難しい問題だと思う。
まず,取りあえずは「いや,わたしもそう思うぞ!」ということだろう。
「はだしのゲン」については,「私も公開は制限すべきと思う」という人は,少なかった。
カネボウ化粧品の被害については,「私もそうだ」という人が,多かった。
そういうことだろう。こんなことは,統計学とは無関係に(統計学を知らなくても)当たり前のことだろう。
統計学がどうのこうのということなく,だれでも普通に判断できる事柄が多すぎる。