風の生まれる場所

海藍のような言ノ葉の世界

空や雲や海や星や月や風との語らいを
言葉へ置き換えていけたら・・・

もの忘れ

2008年10月15日 20時43分14秒 | 医療





領収書やレシートを追ってでしか、自分の行動が把握できない。
というよりも、思い出せない。

今日も杖を失くしたことに気がついたものの、
どこで、どのようにして“忘れたのか”が不明で、母や娘に領収書を確認させ、
「杖の忘れ物がないか」と連絡をしてもらう。

地下鉄やバス、タクシーや店。
いたるところに連絡をすると、昨日乗車したタクシーに忘れたことが判明した。

明日は一日中通院のため、どうしても杖がないと外出できないと事情を説明した。
すると、すぐさま持ってきてもらうことになり、杖のタクシー代を支払い、
私のものに戻ってきた杖。

でも、愕然とする。
自分の記憶力の低下について。
介助がない状態で生きていけるのか?と自問すると、泣き出した。

痛みでも泣かなかった私が泣いた。
このような症状を自覚するとき、自分でも驚き、泣けてしまうのだろう。

 

 


医師の裁量権

2008年10月15日 18時50分07秒 | 医療




突如として“患者”になることは、誰にでもあり得ることだ。
それは不治の病でかもしれないし、事故や事件に巻き込まれたり、
生活習慣病が一気に悪化する・・・ということだって考えられることだ。

でもその「もしも・・・」のとき、医師の裁量権ということで
放り出しを食らっても患者が泣き寝入りするしかないとしたら?
訴訟があるだろう、と言われる人もいるかもしれないが、
そういう話ではなく、ただ単純に、患者に落ち度がないのに「他院へ」と言って
その病院に通院できなくなったとき、皆さんが思う以上に患者には負担になる。
しかも、不利益を被る結果になることは“そのとき”がこなければわからないことなのだろうか。

新聞記事は毎日のように、医療について掲載している。
行政にも、それなりの機関が存在するように思われるが、
実際に機能しているのか?と問えば、残念ながら答えはNOだ。

放り出しを食らう患者に問題があるのでは?と言われたことも多々ある。
話が決め付けられたまま、実際の「私」ではない私が、ひとり歩きをはじめ、
養育歴などがつくりあげられたまま、違う・・・と言い出せない場合も実際に経験をした。

医師の裁量権とは何だろう?
患者が医師を選ぶように、医師も患者を選ぶのは当然だ。
が、一度、引き受けた患者に限っては、それは責任の放棄であって
医師の裁量権という問題ではないように思うのは、私だけなのだろうか。

秋晴れの今日、脳裏をかけめぐる医療問題に対して、
なにが正しくて、なにが間違っているのか・・・・がこんがらがってわからなくなった。

それは今日に限ったことではないが、
なぜ、患者が、弱った者が、土下座するような真似をさせられるのか疑問に思う。



最新のストレスケア病院

2008年10月11日 08時47分29秒 | 医療





甘くて美味しいミルクティーを飲んだ。
遠い異国インドを思い出し郷愁に浸る。
満月の夜、眩い蛍の光に灯された庭で、ハンモックに揺られながら日本を思う私が虚空を眺め
冷めゆくミルクティーで、心を温めていくよう。
懐かしさを追い求めるように、なぜかカリフォルニアやニューヨークの旧友に国際電話をかける。
呼び鈴の音が聴覚を擽り、若かりし頃の時間を、そっと手元に引き寄せる。
それらを手のひらにのせ、優しく撫でて、頬ずりをする。


重症ではない患者のストレスケアを目的とした病院。
数日、視察目的で入院してみてもいいと思った。
が、なにが「重症」で「なにが「重症ではない」のだろうという自問の迷路に入り込んでしまった。
つまるところ、医師の診断が、主治医のものとはかけ離れていたための疑問なのだろうが。


担当医は言った。
「交通事故も含めて、いろいろなストレスが痛みを引き起こしているのでしょうね、きっと」と。
続けて、
「僕は脳外科ではないので、その辺の専門知識は存じませんが」とも。

“存じ上げていないこと”に対して、なぜ、病名がつけられるのかと不思議に思った。
それは、医師の力量や知識の差異が、患者に反映される。
つまり、病気であっても、病気でない、とされたり、病気ではないのに、病気にされる。
医師自身の人格や養育環境やもろもろのすべてが、患者の人生を大きく狂わす結果になる。
でも、それを医師自身は気づいていないのだろうと推測できる。

すべてが医療者目線でしかない医療に、明日はあるのだろうか?
甘くて美味しいミルクティーを啜ったのは、同じことをインドでくる日もくる日も考えたせいだろう。


 


パンドラの箱

2008年10月10日 07時48分23秒 | 医療





心地よい朝、
秋の気配をおびた風が東側の窓からさらさらと流れ込んでくる。
柔らかな光、朝がはじまったざわめき、
階段を上り下りしているのは、きっと父だろう。
音の加減で、家族の中の誰かがいつの間にかわかるようになった。

医師は「パンドラの箱」と言った。
その“箱”の蓋が開いたために、いろいろと思い出すでしょう、しかも、現実かと疑うほどに、と。
私の場合、それは毎晩の夢で、現実味を感覚が覚えた状態で、目覚める。
はっと。
それが“夢”だったと気づくまでに、しばらく時間がかかる。

行き着くところは脳だった。
低髄も、PTSDも、統合失調も(脅迫観念はない)、鬱も、線維筋痛症も、
すべてが共通する場所は、脳だった。

そして、脳の状態を正常に保つ投薬を施したところ、痛みは嘘のように治まった。
医療よりも先をいく症状を持ってしまったために、医師よりも詳しくなった。
それを医師へ伝える。
なにを、どのように服用すると、一番効果があるのかなどの情報を。
医師は腱鞘炎になりながらも、それを一字一句間違えないようにメモを取る。
カルテに記入する。
美しい文字で、誰が読んでもわかるように、明確に、的確に。

 


脳について

2008年10月09日 22時58分02秒 | 医療



盟友と協力して、私たちは「脳について」解明している。
器質的(器官的障害・なんらかの原因があることを意)感情障害などが
きちんと脳の所見にあわられることを突き止めたからだ。

それは文献を辿っていけばわかることなのだが、
医師たちの間では、そうとも限らないらしい。

今は詳細な部位の専門分野によって診療課が区別されているために、
その弊害として、専門外のことは患者の方が詳しいという状況も日常茶飯事だ。

とはいえ、国家試験に合格した優秀な医師のお墨付きがないと
なにもはじまらない。
そのために私と盟友は本や文献を読み漁り、経験体験を具現化するために知識を養っている。

でも、ふと思う。
なぜに、患者がここまでせにゃあかんのか、と。



入眠と覚醒と夢と五感

2008年09月14日 14時21分56秒 | 医療





常に練習をしている。
再診を間近に控えた今日、診察時間を有意義に使うためにシュミレーションを行っている。
しかも、夢の中でも、なにをまず言い、なにを頼み、なにを訴えるのか、
我ながらここまで緊張していることを自覚させられると、ほとほと嫌気がさしてくる。
投げ出せるならとうに投げ出したいものだと何度も思ったが、
今秋で4年、よく耐えてきた。

不思議なことにこの一週間ばかり、覚醒時の不快も頭痛も頚椎痛も消滅している。
多少のふらつきやめまいがあるものの、
この程度なら生きていけると思えるほどに快復した。
が、反面、この快復から奈落の底にいつ落とされるのかわからない恐怖が影のようにつきまとい
実際のところ、おちおちしてはいられないのが悲しい現実なのだが。

現実の生活において、ここまで痛みを感じないのは交通事故後、初めてだ。
が、脳というものを観察していてすごいと思うのは、
夢の中で“痛みを再現”する能力があり、あたかも「油断するな!!」と肩をたたくようで
生活は一層、慎重に慎重を重ね、転んだり、怪我をしないように気遣う毎日となった。

強力な足裏踏みで暇さえあれば足裏を刺激するようにしている。
頚椎に無駄な負荷がかからないように気をつけながら
母がつくった蕎麦ガラクッションで頚椎から背骨をストレッチ、
呼吸法を行いながら骨格強制を行い、水分を3L/日摂取、
新しく処方してもらった漢方と相性がよかったのだろう、わずか2週間で体調はいい方向へ。

要するに、自分の心身が欲するものだけを行い、
出来る限り、横になって過ごす。
快方前は痛みも酷く、1日中眠い状態が続くが、
その後、体調が一気に底上げされる。

とはいっても、生活費の問題や養育など、病人が病人でいられない環境の日本において
容易なことほどいかに困難を強いられるのかを身をもって体験してきた時間を
次回、某大学病院の教授には訴えたいと思う。
しばしシュミレーションをくり返し、悔いの残らない再診を。





夜と霧

2008年09月05日 22時08分41秒 | 医療




ここで必要なのは、生きる意味についての問いを180度方向転換することだ。
私たちが生きることから何かを期待するのではなく、
むしろひたすら、生きることがわたしたちからなにを期待しているかが問題なのだ、
ということを学び、絶望している人間に伝えねばならない。

コペルニクス的転換が必要なのであり、
もういいかげん、生きることの意味を問うことをやめ、
わたしたち自身が問いの前に立っていることを思い知るべきなのだ。

生きることは日々、時々刻々と、問いかけてくる。
わたしたちはその問いに答えを迫られている。
考えこんだり、言辞を弄することによってではなく、
ひとえに行動によって、適切な態度によって、正しい答えは出される。

生きるとはつまり、
生きることの問いに正しく答える義務、
生きることが各人に課す課題を果たす義務、
時々刻々の要請を充たす義務を引き受けることにほかならない。

なぜ、生きるかを知っている者は、どのように生きることにも耐える。


続く・・・



ヴィクトール・E・フランクル「夜と霧(新版)」みすず書房より引用



ちなみにご存知のとおり、「夜と霧」はナチスドイツの占領下にあった
アウシュビッツ強制収容所を経験した心理学者である著書の、静かな書だ。



解離障害

2008年09月03日 18時27分22秒 | 医療





なぜ、それに気づいたのか・・・というと、
独り言、しかもそれが堪能な英語であるために「いつの間に?」ということになった。

もともと「自分の傾向を知る」ためにはじめたブログだったが、
夢と現実の境界がない私にとって、
「本当の出来事なのか、つくりものなのか」は
よく質問を受けてきた。

実際に某出版社編集長にも「なにを考えているのか頭をかち割ってみてみたい」と
事あるごとに言われ、
「そんな風に言われても、なんと説明すればいいのかわかりません・・・」と
返答するしか私には術がなかったのだ。

解離障害という聞きなれない言葉が登場したのは、
私の健忘が断片的にしか記憶をつかさどっていないと自覚したためだ。

統合失調症との相違は
「幻覚や幻聴が自分を攻撃するものとしての認識ではなく、
本人はそれを楽しんでいるところにある」と主治医に言われ、
「これがなくなったら書けなくなるので困ります!!」と確かに私も答えている。

まさか・・・の連続だ。
自分が障害を抱えて、それがおそらく一生ものの付き合いになる確率が高まっていく中で
便利とはいえ、車社会に生きる私たちにとって恩恵と危険が背中合わせであり、
不幸にも交通事故に遭った者たちにとって、
事故は一瞬にして、人の、私の人生を変えたのだと
いまさらながらに認識させられ、ちょっと胸が痛み、目頭が熱くなった。

悔しいとか悲しいとかではなく、
得体の知れない感情とでも表現すべきなのか、
なにかよくわからないが、
メランコリーやセンチメンタルでもない領域からの指示なのか、
失恋をしたときに似た感情を持ったのは、
あまりにも美しい夕日をみてしまったためだろうか。

攻撃的な文章もたくさん書いてきた。
が、それは自分でも自覚がある。
とはいえ、オブラートに包んだ表現を好むのかといえば、
それも違うのだと思う。
私は、私の、私らしい表現方法があるのだろう。
自己満足に、傾向をみるだけに書き続ける作業は、
一生継続しても、楽しめそうな気がする。






医療と患者と未来と期待

2008年08月23日 11時07分54秒 | 医療





陰陽の世界と同じだ。
人はひとりでは生きられない。
が、ひとりで生きていかなければならない。

光と影が同居した世界、
そのどちらを否定するわけでも肯定するわけでもなく、
過度の期待を持ち合わせても落胆が待ち伏せ、
かといって、絶望だけでは明日や光はみえてはこない。

「共有するのが一番ですよ」と担当医は検査結果を伝えた後、
患者の性質や傾向や予後について質問をする私に向かって、
「自分で自己管理ができていますから、治療をして悪化させるよりも温存の道を、
この施設(病院)では、治療は例の手術をするという方針なので、
100か0、つまり、治療をするかしないか、しない場合は経過観察のための通院もできない」

せめて、交通事故から半年、いや1年未満であれば完治しやすい状況であったでしょう。
でも、4年の月日は長すぎた。
不調に身体が順応してしまっているために、
逆に、痛みや不具合を抱えたままでも生きられる状況を再構築してしまっていますから。

“共有”という言葉がなんども頭の中でぐるぐると巡った。
治療しましょう、と言われても拒否しただろうことが想像できるので、
共有という二文字や響きが、私へふんぎりをつけさせた。

医療過誤がなければ・・・・・と思ってしまう。
受診拒否、救急搬送拒否と、医療世界の裏や現実を突きつけられてきた時間は
療養に専念できたわけではなかった。
私たち患者や医療者が自覚しようとしまいと、弱者と強者という関係ができてしまう。
言うまでもなく、弱者は患者であり、強者は医療側だ。
医療者の力量で患者の将来をどうにでも左右できる権限は、
想像以上に強力で、まさに恐怖政治のように、いつの間にか言いたいこと、聞きたいことですら
閉口を余儀なくされる。

患者を救済するのは当然のところながら、
今の状態では医療者も救われることはないだろう。
国も破綻しかけている。
では、どのような循環が円滑に物事を運び、
すくなくとも国民にとって望む医療なのかと考えた時、
私は海外で医療を学びたいと痛切に望むようになった。

タイミングよく、カリフォルニアの友人が病院を開業するらしい。
一緒に仕事をしないか?と声をかけてもらえたこともあり、
そこでライセンス取得や病院経営なども学びたいと思った。

障害とは自分の意思で負うものではない。
が、この国では自己責任という名のもとで、冷ややかな対応を、
社会復帰の道を困難なものにさせているばかりではなく、
病院から放り出された患者、休息が第一の治療です・・・と言いながらも
その医師が症状を悪化させているのが医療の現実という側面もある。

誰も自分を、他者を望んで不幸にしたいとは思わないだろう。
そこから医療と患者と未来と期待がみえてくる。
さて、どこから着手するか、私の課題もみえてきた。





医局制度

2008年08月20日 20時06分15秒 | 医療






元主治医である医師は、某大学病院医局から派遣されていると教えてくれた。
その医師の下、通院しはじめて1年半が経過した頃、
医師が派遣されていた病院、つまり、私が通院していた病院医事課は
個人情報を外部に漏洩させ、私に損失を与える事態を巻き起こしたのだった。

その頃、医師が派遣先から大学病院へ戻るという噂が流れた。
出元は休日出勤の看護師からで、
その医師派か否か、患者として優遇されていた私を快く思っていない看護師は露骨に
「今後、主治医がいなくなったらどうするの?」と意地悪な質問を投げかけ、
私を動揺させた。

大抜擢だ。
なにげなくネットサーフィンをしていると、元主治医の名前を医局にみつけた。
すると、大学病院に戻っていた。
そして、外来は週1日、しかも、再診のみ、初診は受け付けていない。
他は専門とする手術などを割り当てられているのだろう。

某医学学会で会うこともあるのだろうが、
最後まで診なかった患者が、いつか患者側の視点で口演を行ったらどうなるのだろう?

患者として・・・ではなく、ひとりの人間として、
まだ30代前半の医師の出世と将来に、陰ながら期待したい。
あの貧乏ゆすりがなければ、私は救われなかった。
医師としてではなく、人間として、人を救う仕事を選んだ道をまっとうして欲しいと切に希う。