まず以下に記載する内容は私個人の体験のため、
すべての人にとって有効であるかは不明だ。
が、自分自身の記録目的として、この疾患名がついてしまった患者さんたちにとっても
多少の参考になれば・・・と願い公表することにした。
賛否があることは承知の上、
その辺はご理解いただきながら各自冷静な判断をいただきたく思う。
交通事故処理中であるため、事故日時、受診病院などの詳細は未記述とする。
交通事故に遭った後、診断は「左腕の脱力」「頚椎捻挫」の診断、全治2週間とされた。
が、救急搬送された病院ではMRI画像は撮影せず、安静にしていれば治るでしょう、と
それよりもまず待ち時間の多いERではなく、徒歩で行ける通院先をみつけた方がいいと
アドバイスを受けた。
が、そもそもそれが間違いの第一歩だった。
頚椎捻挫=むちうち症といわれるものは、実際のところ、研究などされてはいない。
衝突事故後に頚椎が痛む場合は、すべてがこの病名が付き、
安静にしていれば治る、とされる。
でも実際は難治性となる患者の存在を知ったのは、事故から数年も経ち、
自分自身がその「難治」となってからのことだった。
交通事故後にも関わらず、当時30代の私に対して「加齢のため」とした医師もあったし
「性格異常者だから治らないのだ」と言い切った医師もいる。
地域では比較的大きな個人医院である整形外科では「脳脊髄減少症」であろうと言いながらも
「バ・レリュー症候群」であるかもしれないとのこと、星状神経ブロック注射、
つまり、喉脇から5cm程深い場所に麻酔を打つ方法なのだが、
神経に直撃すると、気絶する。
が、当然のことながら入院施設はなく、注射後30分は安静、
その後はどのような状態でも病院から放り出されるを35回繰り返された。
その間の、初診時以外、診察室での診断は一切なく、
診断を申し入れても「よくなっているだろう?」と一喝、
聞き入れられることは皆無だった。
その後、脳外科へ受診、主治医となった若い医師は以前、勤務していた病院で
「脳脊髄減少症」の積極的診断、治療を行う医師の下にいた。
が、私にその治療を勧めない理由として「快復した者を知らない」ことをあげていた。
現に私もその診断が付いた相当数の方々と連絡を取った時期があるが、
私自身と酷似する症状ではあっても、
治療を行う前と後では不定愁訴の症状すら変化していた。
その詳細は残念ながらここでは記載できない。
結論として、私は食事療法、これは体力維持を目的とし、治癒力を高めるために行った。
また、症状が強いために、水分摂取指示(当時は6L/日)のかわりに
通院での点滴治療を毎日、日曜日も祝日も関係なく行えるように医師に頼み実現した。
どんなに痛みがあっても症状が強く出ても、若い医師は「投薬に自信がない」を理由に
交通事故後、3年間は一切の処方がなかったに等しい。
が、そのかわり、自分の心身がどのような状態で増悪し、
どのような状態で快復していくのかを観察することができた。
要は自分の心身をつかった人体実験さながら自己責任というならそこまで徹底しようと決め、
その詳細を経過観察時に医師にも伝えた。
嚥下障害(水分すら飲み込めない)が出現するようになり、
記憶低下が著しい状態になったとき、わずか一週間で体重は8kg減、
現在まで12kg減、それはいくら点滴を行っても頻脈がひどかったため、
体重増にはつながらない。
そして、最低130回/分ある脈が何ヶ月も続く中で、どんどんと体力だけが奪われていった。
が、主治医から院内紹介を受けた医師は「正常範囲内」だと診断し、
結果、“医療依存するな”と叱咤した。
依存はしていないと反論すると、“医療の限界だ”と締めくくり、病院から出されてしまった。
(実際、その病院は他問題があった)
投薬に自信がないので精神科の、投薬に精通した医師に相談するように・・・と
元主治医からは言われた。
が、紹介はない。
重篤な症状を抱えた私が、ゼロから病院を探すことは拷問に近い。
その状況を見かねた盟友から知恵を授かり救済されるのだが、
現在も私が唯一、認めている主治医の診察方法は、
ドクターショッピングをせざるを得なかった私がみてきた他医師とはすべてが異なっている。
どのようなことかといえば、薬の相性は体質などによって人それぞれ相違する。
そうした視点を持っていることで、症状が多少でも変化すると、即座に投薬を変える。
また相性の悪い薬を処方し続けるということは一切しない。
そのような姿勢によって、
私は一時、悪化した(しかも造影剤MRI検査によって)体調が
数ヶ月の間で底上げを実現できた。
また“完治を目的とせず、症状を悪化させず、
現状維持であれば御の字です”という意向を深く共感してくださり、今日に至る。
同盟なのだ。
名付けて“治療同盟”だ。
医師は研究はしている。
患者の入手できない情報も手中にある。
が、実際に症状を体験・経験していないために、
私見が入りやすいという難点を抱えている。
それは「絶対に有り得ない」と断言するような医師の下では、
患者は見殺しにされるも同然だ。
そう考えると医療は残酷な世界だと、私はこの数年の出来事を振り返る。
口からものを入れる。
食べられることは、体力向上に直結する。
口からものを入れられなくなってしまった時期は、
歩くことはもとより、話すことも困難になった。
それは鬱とは相違し、体力と気力が連動しているのだと知る機会となった。
脳脊髄液減少症と診断がついた時期がある。
私は脳萎縮は年齢に比例しない状況らしいが、
正常範囲内として片付けられてしまった。
それは他検査、腰椎穿刺もシンチグラフィーも研究段階である自血注入法(EBP)も
医師からは危険だと助言を受けてきた背景があり、
私も現状維持できるのであれば、あの重篤な状況に再度、
期間限定だとしても陥ることに耐えられるのだろうか?と
自信がないことも理由のひとつである。
ある文献を読むと、どれだけ患者に強いられる負担が多いかを医師の視点で語られている。
某医学学会にも出席した私だが、その席上ではずさんとしかいえない症例が述べられ、
当然のことながら反論は正論として質問にあてられた。
極端な疾患名となってしまった。
実際に私も病院を追い出された経験を持つ。
しかも、造影剤MRI検査でパニック障害を起こしたわけだが、
パニックという知識が私にも医師にもなかったがために「わからない」で済まされてしまった。
その後、2ヶ月近く歩行困難となり、パニックのために外出はもとより、
家族とも顔をあわせるのが辛く、性格も“自分でありながら自分ではない”となった。
その自覚ができてしまう苦悩は、おそらく経験した者でなければ理解できないだろう。
(実際、経験者同士でも、理解し合えるのかというと困難だろう、と自分をみていて感じる)
悪循環の中に突き落とされてしまう。
脳脊髄減少症の疑いがあり、治療を目的としていない、と伝え、
受け入れを表明してくれた病院ですら
医師によって「脳脊髄液が漏洩するなど有り得ない」と拒絶する者は少なくはない。
それはその病名が誤診であるなしにかかわらず、
目前にいる患者を診ていない。
それが現医療の問題点であり、患者自身も試行錯誤をして、
他病名であるかもしれないと疑うことが、最終的に自分を救済することに結びつく。
私自身、藁をも縋る思いであったし、症状も重篤であったことも事実だ。
海外の医療機関まで受診範囲に入れ、実際に数箇所の病院とは連絡を取っていた。
が、日本の医療が変わりつつあると、今は実感している。
と同時に、患者自身の医療への姿勢が、医療を動かす原動力となる。
追記として、それは決して数ではない。
個人の思いが医療を、医師を動かしていく。
その繰り返しなのだろう。
※まず、元主治医であるドクターの正直さに感謝したい。
「投薬に自信がない」「治療を行った予後の問題点」については非常に参考になった。
※医療過誤、医療事故など問題を抱えた方々に対しては
以上ではないことは承知しています。
また、私自身も交通事故に遭うことで医療と向き合わざるを得ない状況に陥り、
時間をかけるという視点で快復を目指すまでは、近道を考え、
社会(仕事)からの孤立からどのように避けられるのかが主であり、
本当の意味で療養環境に現日本がないことを痛感させられました。
これは公表しておりますが、私自身の記録であることをどうかご理解ください。