落書き日記のススメ

毎日、日記をつけるのもいいけど 簡単な絵を描き続けるのもいいですよ。絵のある生活(落書き)のすすめ。

沖縄帰省録 その5…

2015-08-21 00:04:13 | 沖縄帰省録
(つづき)
津波三味線店の次は すぐ近くにある丸中商会なる金物店に向かった。
店舗外観からは想像もつかないが 何でも沖縄で一二を争う程の集客力を持つ金物店なのだとか。一見普通の金物店のようだが 店内には日用品や雑貨、食料品などが所狭しと置いてあり、言ってみればドン・キホーテと東急ハンズをシャッフルしたような店だ。

店内はドン・キホーテと同様に迷路のような感じで、商品の陳列は決まって山積み気味。分類分けがいまいち上手くいってないため、どこに何があるかわからない(そこが売りなのかな…笑)そんななかを商売道具を補充にきた職人さん達が忙しなく行き来しているので、いかにも観光客然として売り場で迷子になってる僕らは 完全にヒンシュクを買ってる感じ(汗)

こちらとて 迷いたくて迷ってるのではないので、店員さんに商品の在処を聞こうと思ったのだが どうも店員さんの服装が作業服であるらしく(しかも同じ作業服ではなく、わざとバラバラのを着ているようだ。きっと万引き防止のためなのだろうな)前述した職人さんとの見分けがつかない。結局 店員さんではない職人さんに声をかけてしまったのだが(^_^;)親切な職人さんだったので、わざわざ商品の在る所まで案内してくれた。

…でもって僕らは一体何を買いに行ったのかというと、クバの葉を編んで作られた笠。名前はそのまんまで クバ笠という。
藁を編んで作られた笠は関東近郊のホームセンターなどでも普通に売られているが クバ笠はまず見た事がなく、藁以上に堅いクバの葉で編まれているので、手にすると丈夫である事がすぐにわかる。

前回帰省した際に 買って帰らなかったことを(奥様が)ずっと後悔していたので 今回こそはと帰省前から決めていたのだ。

目当ての商品につられて、いろんな物を買いこみ店を出ると(強風域こそ はずれているものの)台風の影響で悪天候だというのに駐車場がいっぱいになっていて、さすがの集客力だなぁと驚いた。
(つづく)

沖縄帰省録 その4…

2015-08-10 22:51:38 | 沖縄帰省録
(つづき)
ついに台風が上陸したようで風が強くなってきた。

けれど 台風らしい荒れ狂った天気かというとそれ程ではない。何だか様子が変だなと思い、テレビで台風情報を確認してみると 台風12号は沖縄本島に上陸する直前に進路をやや北に変えたようで、結局 暴風域にかかったのは 本島北部の一部のみ。

これならば クルマで出かける分には問題がなさそうだ。そう判断した僕らは 昼前から本島中部に位置するうるま市やコザ市(沖縄市)に向かい出かける事にした。

まずは うるま市平良川にある津波三味線店に寄った。小さな三線店ならば、県内のあちらこちらに在るのだが、三線だけでなく太鼓や衣装など沖縄の芸能にまつわる様々な品がここまで充実している店は、県内でもかなり珍しいのではないかと思う。
僕は前回の帰省時に たまたま見つけ知ったのだが 店内にいるお客さんの半分くらいは観光客だったように思うので(外国から来た日系人っぽいお客もいた)その筋の人達には かなり有名なお店なのだろうなぁと思った。

僕は東京では なかなか見つけにくい三線の部品とCDを一枚買い店を後にした。
(つづく)

沖縄帰省録 その3…

2015-08-07 23:12:43 | 沖縄帰省録
(つづき)
翌朝 目が覚めると一番に台風の進み具合をテレビのデータ放送で確認し、まだ暴風域に入っていない事を確かめると、さっさと身支度して父親のもとに向かった。

いつもならば旅行スケジュール表を出発するまでに作成していて、帰省中はそれに沿って行動し極力無駄な時間が出ないようにしていたが…今回の帰省は前月まで入院していた父が どの程度回復しているかを確認することがまず第一と考え、台風が上陸し予定が立てにくくなる前に、真っ先に父の様子を確認して、今後の予定はそのあとで決めようと考えていた。

ちょうどクルマが到着すると、遠くの父に気づいた奥様が「お父さんが 歩いてる!」と大きな声をあげた。
どうやら畑仕事をしてきたらしく、一輪車を押しながら ゆっくりとこちらに向かい歩いてくるのが見えた。だいぶ近づいても一向に僕らに気づく気配がないので 視力が完全に回復していないことはすぐに判った。
けれど 寝たきりのような状態だったことを考えると だいぶ回復したんだなぁと思い少しほっとした。

その後 兄貴も一瞬に、途中 道の駅で買ってきた弁当を食べながら話していると、視力以外はすっかりもとの父に戻っていて、いつもの自信たっぷりな父を見ていると改めてほっとさせられた。

絵が上達した娘が父と兄貴の似顔絵をそれぞれ描いてプレゼント。二人とも何だか照れくさそうだった。
(つづく)

沖縄帰省録 その2…

2015-08-03 22:53:20 | 沖縄帰省録
(つづき)
那覇空港に到着し、迎えにきていた母と合流すると すぐにクルマに乗り換え空港を後にした。

いつもならば空港内で夕飯を済ませてから出発するのだが、フライト中の機内で予想外のサービス(有料ながら座席指定をすると、機内サービスを500円分利用できるようだ)があり、軽めの食事がとれたので まだお腹が空いてなく、外も明るかったので 高速道ではなく下道(一般道)をゆっくり走りながら…途中お腹が空いたら、どこかに立ち寄り夕飯にしようという話になった。

国道58号線を北上する。
帰省する度に「あれ!こんなトコに○○が出来てる!」という風に開発が進んだ箇所に気づき驚くのだが、昔から発展している国道沿いは 逆に昔ながらの沖縄っぽい風景を残していたりして、親に連れられウキウキしながら那覇を目指した遠い記憶が蘇ってきた。

しばらくクルマを走らせていると娘が「お腹が空いた」と言い出した。それでロードサイドのお店のどこかに入ろうと思ったのだが 道路脇に次々と見えてくる看板は東京でもお馴染みなものばかり。ここ数年で沖縄にも全国チェーンのお店が次々と出店してきている。地元民には人気なのだろうが わざわざ沖縄に来てまど…と思うと、なかなか入店する気になれず あっちでもない、こっちでもないと迷い続けているうちに 待ちくたびれた娘は寝つき、クルマは恩納村まで北上してきていた。

これ以上 遅くなると飲み屋くらいしかなくなるなぁと思い、いい加減決めてしまおうと、国道をそれて恩納村の旧道に入ることにした。最初は旧道だけに期待できないかなぁと思っていたのだが さすが国内屈指のリゾート地である恩納村。観光客向けのお店が沿道にずらりとある。
あればあったで目移りしながらも、民謡ライブをやってる居酒屋に決めた(結局入ったのは飲み屋だった)

ちょうどライブはクライマックスでビギンの乾杯ソング(笑)で店内が盛り上がるなか沖縄そばを注文した。そばを待つ間 本場の三線奏者を見て勉強していると(下手くそながら僕も三線をかじっている)どこかで見た顔。あまり親しい間柄ではなかったものの高校時代の同級生だった。
やはり帰省すると奇遇な出会いがあるもんだなぁと思いながら…オリオンビールを飲み、沖縄そばを食べ、店を出てからは母が運転して実家に向かった。

(つづく)

沖縄帰省録 その1…

2015-07-31 22:07:48 | 沖縄帰省録
【半年前に帰省した際の回想録がまだ未完のままですが…まるでそんなもの無かったかのように(苦笑)スルーしたまま、今回の帰省の旅 回想録を始めていきます…】

翌月に続き、また沖縄に行くとなると さすがに飛行機代だけでも馬鹿にならない。それで今回は成田空港から就航している格安航空(LCC)を使い、沖縄へ帰省することにした。

羽田発那覇行のLCCだとスカイマークくらいしかないが、成田発となるとジェットスターとバニラエアの2社が就航していて、羽田発の前者よりもさらに値段が安いため(最安値を比較した場合)今回は成田から出発することに決め、あとはフライトの時間などを比べてジェットスターを利用することにした。

手荷物の預けや座席指定が有料だったりして、航空大手2社に慣れちゃってる身には少々不便に思うトコがあったが、まぁそれを考慮しても まだLCCの方が安くつくので不満は全くなしというレベル。乗客の外国人率が高いことなどは 何だか国外旅行にでも行くような気分で新鮮な感じがした(笑)

僕らの前の座席が(たぶん)アメリカ人で 後ろが(たぶん)インド人。もちろん中国人も大勢いて、小さめな飛行機内は人種のるつぼ。きっと2020年の東京五輪の際は いたるところでこんな光景を目の当たりにするのだろうなと思った。

飛行機が鹿児島上空あたりを飛行していた頃、それまで寝ていたと思われる(僕らの)後ろにいたインド人の親子連れの赤ちゃんが突然起き出し、物凄い泣き声をあげ出した。

まだ4歳のくせに すっかり飛行機に慣れてしまっているうちの娘は、それまで静かに塗り絵をして時間をつぶしていたのだが、インド人赤ちゃんがなかなか泣き止まないのを見るや カバンから折り紙を取り出し、ささっと“やっこさん”を折ると、座席の隙間から後ろの赤ちゃんに その折ったやっこさんを手渡した。
あいにく赤ちゃんが泣き止むことはなかったが(一瞬だけ泣き止んだ)赤ちゃんに気を遣うお姉さん然とした我が子に、ただただ驚いた。

(つづく)