落書き日記のススメ

毎日、日記をつけるのもいいけど 簡単な絵を描き続けるのもいいですよ。絵のある生活(落書き)のすすめ。

沖縄帰省録 その1…

2015-04-05 23:55:29 | 沖縄帰省録
(先月の27日より数日間 故郷である沖縄へ帰省した際の回想録を普段の日記の合間に綴っていきます)

4歳にして、すっかり飛行機に慣れてしまっている頼もしい娘と奥様とともに羽田空港を出発した。
飛行機のなかで娘が眠りにつきやすいようにと 奥様と娘は出発からだいぶ早い時間から空港に到着して(僕は出発間際に合流)遊びまわっていたのだが、瞬時に眠りについた奥様をよそに娘は全く眠りにつく気配がない。

飛行機の座席に常備されている フライトのしおり(緊急時の対応、マニュアルなどが記載されている)を見て「どんな時に滑り台で降りるの?」とか「どんな時に浮き輪をつけるの?」とか 周りに他の乗客がいるなかでは答えづらい質問を繰り返した(苦笑)

満腹になれば眠くなるかなと思い、出発前に買い込んできたパンやお菓子を食べてさせてみたが それも効果なし。しまいには「お絵かきがしたい」と言い出したので、前の座席の後部に取り付けられたテーブルを下ろしてあげ、持参してきた帳面とボールペンを渡した。

しばらくはキャラクターなどを描いて喜んでいたが、それにもすぐに飽きてしまったよう。そこで僕は娘から帳面を受け取ると そこに思いつきで迷路を描いてみた。すると娘は静かに迷路に解くのに夢中になる………「これはイイ!」
娘が迷路を解いてる間に 僕は新しい(そして前よりも難易度の高い)迷路を描く。それを何度か繰り返しているうちに飛行機は着陸態勢に、そして無事 那覇空港に到着した。

(つづく)
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沖縄帰省録 その7…

2015-03-24 07:46:40 | 沖縄帰省録
(これは 2014年7月上旬に故郷である沖縄に帰省した際の回想録です…)

(つづき)
奥様は常日頃から水平線に沈む夕日がを見てみたいと話していた。

周りを海で囲まれた沖縄で育った僕としては よくわからない感覚だが、確かに関東からだと西方に海がないので海に沈む夕日は見れない。
奥様がその話をする時は決まって 長野出身の元同僚が「上京して初めて海を見たときにすごく感動した」と話していたのを思い出した。

それで帰省する度に 夕日を見る機会を伺っていたが これまでスケジュールが合わなかったり、天候に恵まれなかったりして見れぬままでいた。

今回の帰省では わざわざ夕日鑑賞の時間をスケジュールに組み、今度こそはと意気込んでいたが…帰省3日目は海岸まで行ったものの、ちょうど太陽が沈む方角にのみ コッペバンみたいな雲が浮いていて邪魔したために 太陽が沈むのを見れなかった。期待というか殆ど見れる!と確信していたたため、奥様は明らかにガッカリした表情を浮かべていた。

そして帰省4日目。父や兄と早めの夕飯を一緒しながら、前日のガッカリ話をすると「いまから西海岸まで行けばまだ間に合うだろ」と兄が言ってくれた。
たまにしか帰れないのだから少しでも多く父や兄との時間を持つべきと思ったが 兄がそうやって助け舟を出してくれたので、その言葉に甘えさせてもらって 夕飯を食べたあと 二人と別れると急いで西海岸へと向かった。

上がったり下がったりの山道を抜け西海岸が見えると そこには真っ赤な太陽がまだ丸いまま水平線より少し高い位置で輝いていた。すぐさま僕らは車を停めて車外に出て、太陽がゆっくり沈みいくのを鑑賞した。

最初 海岸沿いには 僕ら家族しかいなかったのだが、僕らにつられ観光客たちがどんどん集まってきて、完全に太陽が沈み薄暗くなり帰ろうと思い振り返ると 人集りは20人くらいまで増えていた。

奥様は初めてみる(念願の)水平線へ沈む夕日に大変感動したようで、目にはうっすらと涙を浮かべていた。翌朝は夜明け前から帰京の途とに就かなくてはならない。あっという間の帰省の旅だったな。そう思いながら実家へ向かいクルマを走らせた。

(沖縄帰省録 おわり)
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沖縄帰省録 その6…

2015-03-07 00:10:57 | 沖縄帰省録
(つづき)
弟と別れたあと、僕らは本家に顔を出すことにした。父の実家にあたる所で、本来ならば盆正月に顔を出すべきところだが、そのタイミングで帰省するのがなかなか難しいため、時期はずれだが少しだけお邪魔させてもらい仏壇に手を合わせてきた。

伯父さん、伯母さんは むかし教育関係の仕事に従事したいただっけあって、田舎のおじいさん、おばあさんであるわりに何だか品が良い(うちの)奥様が沖縄方言を聞き取れないことに、しっかり配慮して終始 標準語で話してくれていた。

どうも父や兄貴から 僕が三線をはじめた事を聞いているようで、伯父さんは会話を遮るようなカタチで三線の話をし出した。まだまだ初心者なのでと言ったのだが それでも「ちょっと ひいてみなさい」と言うので(本家にある三線をお借りして)上手くないものの三線を奏でてみた。

本番に弱いタイプの僕が急に言われて、上手にひける訳もなく、いつも以上に散々な演奏となった。当然 伯父さん、伯母さんは苦笑いしていたが、上品な人達だけに「今度 来るときに また聴かせなさい」としっかりフォローしてくれた。

今度来るときまでに しっかり練習しとかないとなぁと思いながら本家を後にした。
(つづく)
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沖縄帰省録 その5…

2015-03-03 07:42:35 | 沖縄帰省録
(これは 昨年の7月上旬に故郷である沖縄へ 帰省した際の回想録です…)

(つづき)
普段は帰省する度に友人らに連絡し、夜は飲み屋あたりに繰り出していたのだが…今回は久しぶりに弟と会えたため、できるだけ 弟との時間を優先しようと思い、友人らには連絡しなかった。

弟の方も さすがに翌朝から結婚披露宴に出席しなければならないため(友人らとの飲み会の)予定を入れずにいたようだ。

この日は夜遅くまで、弟とゆっくり泡盛を酌み交わした。

弟がいる小さな島での生活は 釣りするか、酒を飲むかくらいしか娯楽めいたものはないらしく、日々 度数の高い地酒を飲んでいるせいか 僕などとは比べようにならない程 酒豪になっていた。

深酒したせいで、翌朝になっても 酒が抜けきっていなかったので、クルマの運転を奥様に託し、弟を結婚式会場近く(弟の友人との待ち合わせ場所)まで送っていった。

「またね」と言い残し、さらりと車を降りていった弟の後ろ姿を見ながら 今度はいつ会えるのだろうなぁと思った。

(つづく)
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沖縄帰省録 その4…

2015-01-09 23:38:08 | 沖縄帰省録
これは昨年の7月上旬に沖縄に帰省した際の回想録です(いま何月だと思ってんだ!!という感じですが…笑)

(つづき)
予定時刻から だいぶ遅れて、弟が乗るフェリーが本部港へと着岸した。

大きな船体のわりに 乗客が乗り降りする階段はとても小さく、その心許ない階段の上をタッタッタッとテンポよく駆け降りてくる男性こそが約四年ぶりに顔を合わす弟だった。

弟は到着するなりポケットから煙草を取り出して一服し始めた。鼻や口から煙を吐き出す様を見たら、弟も随分歳をとったもんだなぁと思った(実家で一緒に暮らしていた頃は まだ幼児であったからなぁ~)煙草嫌いな母は弟の喫煙に不満であるようだが、何度注意しても一向にやめる気配がないので諦めてしまっているようだった(笑)

運転席を弟に譲り本部港を後にした。
実家へと向かう間、反対車線は花火大会を目指すクルマで長い渋滞が出来始めていた。

(つづく)
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