落書き日記のススメ

毎日、日記をつけるのもいいけど 簡単な絵を描き続けるのもいいですよ。絵のある生活(落書き)のすすめ。

終わらない悪夢…

2011-03-22 12:50:45 | Weblog
大地震による巨大津波は 沿岸の町だけでなく、福島の原子力発電所までをも襲った。

震災直後に 制御したはずなのに、その後の冷却がうまくいかなかっただけで“眠れる獅子”のごとき原子力が起き出そうとし、ここまでの被害と混乱を生む。

原爆 唯一の被爆国で“原子力”については一番 神経質なはずなのに……やはり原子力を平和に安全に利用するのは難しいのだろうか……(・_・;)

原発の停止による電力不足で首都圏の混乱は続いているが、それだけ福島原発の恩恵を受けていたのかと思うと改めて心が痛む。

いろいろと抱えた問題は多いが とにかく今はこの災害をどうにか終息させてほしい。

「東電のみなさん、消防、自衛隊さらには警察のみなさん 頑張って!」

やはり現実…

2011-03-21 10:42:38 | Weblog
庭の老犬の鳴き声で目が覚めた。

震災の事などお構いなしに 老犬は体内時計に忠実に散歩の時間になると鳴きはじめた。
やれやれと思うが、こうして普段通りの朝を迎えられている事が何よりの幸せであって、被災者たちは“普段とは違う”朝を迎えていると思うと胸が痛んだ。

普段通り 畦道を犬に引かれながら歩く。
いい天気で清々しく、田植えの時期を待つ静かな田んぼ道を歩いていると、前日に大地震が起きたことなど嘘のように思えた。

だが 上空では東北と東京を行き来するヘリコプターが頻繁に飛び交っていて「やはり現実なんだよな」と思い 切なくなった。

長い夜…

2011-03-20 15:54:12 | Weblog
(帰宅難民となり…)結局 妹と合流した後、自宅に着いたのは真夜中…というより早朝という時間帯だった。

散々走り回り ひどく疲れたので 帰ったらすぐに寝てしまおうと思っていたが、いざ布団に入ると テレビやラジオで見聞きした東北、関東地方の被災の凄まじさを思い出しなかなか寝つけなかった。

東の空がようやく明るんできた。
こんなに夜を長く感じたのは久しぶりだった…。

何てこった…

2011-03-19 08:39:41 | Weblog
妹を探しに都心へと戻る途中、電気屋の前に人集りが出来ていた。

皆 一様に暗い表情で、食い入るように何かを見つめている。

僕は きっと地震によって運転を見合わせていた電車の再開時刻か何かが発表になったのだろうなと思っていた。
だが 人と人との間からガラスの向こうにあるテレビを覗き込むと…画面には 津波によって崩壊された町の映像が映しだされていた。

「何てこった……」

画面は続いて、火の海と化した町の映像を映しだす。

妹を探すため 急いでいるのに、しばらくの間テレビ画面から目をそらす事が出来なかった。
なぜか9・11の貿易センタービルの倒壊を思い出した。

帰宅難民に…

2011-03-18 22:30:50 | Weblog
余震が長く続いたため、一時間近くは駐車場に避難していた。

その間 首都高速の入口が閉鎖になり、緊急車両のサイレンがあちこちから聞こえてきた。そして近くの公共施設からは津波警報が流れてきた。
「只事ではない」という皆の直感は 残念ながら現実のモノとなり、ケータイには次々と悪いニュースが入ってきた。

まだ昼過ぎであったが 会社の業務を中断し、解散する事にした。
僕は同僚らと別れると職場の近い妹たちの事が気になり、ケータイに電話してみたが回線がパンクし繋がらない。

辺りの混乱はどんどん大きくなっていて、すでにパニックの様相。
恐怖から泣き崩れる女性などもいた。

とりあえず妹の会社の前まで行ってみたが 電車が止まったため“帰宅難民”と化した群衆が歩道いっぱいに歩いていて、とても妹を探し出せる状況になかった。

それでも しばらくは探してみたものの やはり見つける事はできず、僕も帰宅難民の群衆に交じり、郊外を目指すことにした。

約一時間近く歩いただろうか 職場からだいぶ離れたところで、全然つながらず電話の意味をなしてなかったケータイが突如鳴り出した。

慌てて電話に出ると、自宅の嫁さんからで「都心で妹が迷子になってるので 迎えにいってほしい」という内容だった。

せっかく歩いてきた道を 走って戻り、再度 妹らを探しに向かった。