航空パニック 乗客がふと窓の外を見ると、ジェットエンジンの二つが火を噴いていた。 客はエンジンが燃えていると叫び始め、皆大混乱に陥った。 そこへパイロットがパラシュートを背中につけて客室の入り口に現れた。 「どうか、落ち着いてください!私が助けを呼びに行ってきます!」
航空パニック 乗客がふと窓の外を見ると、ジェットエンジンの二つが火を噴いていた。 客はエンジンが燃えていると叫び始め、皆大混乱に陥った。 そこへパイロットがパラシュートを背中につけて客室の入り口に現れた。 「どうか、落ち着いてください!私が助けを呼びに行ってきます!」
上空500マイルでの出来事 「パイロットから管制官へ。大西洋上空500マイルで燃料切れ、指示を請う」 「管制官からパイロットへ。こちらの言う事を反復せよ。 天に召します我らの父よ……」
「男がいねェ! 出会いもねェ! 化粧もそれほどして行かねェ!合コンねェ! 女子力ねェ! ルーチンワークをぐーるぐる! 朝起きて! ジャージ着て! 半刻ちょっとで高校へ! トキメキねェ! 欠片もねェ! アニメは一日二度見る! 大学行きたい」 というメールが女子高に通う高3のいとこから来た。
受験疲れか。
日本の変態技術で思い出したこと。
江戸のからくり人形は
「同じような動きをするんじゃ面白くねぇから、時々失敗させようぜ!」
って歯車とぜんまいの組み合わせだけで「ランダムにミスをさせる」機構を作ったそうな…。
技術以前に驚愕なのは「ドジっ子萌え」という文化が既に確立されていたことだ。
各国帰りたい
英「紳士は定時には帰ります」
独「定時退社は規則」
伊「さっさと帰って美女探す」
米「スーパーマンだって定時退社だぜ」
露「ウオッカ飲みたい」
仏「帰るなって言われたから帰る」
日本 「あ、はい!大丈夫です!終電は23時です!はい、大丈夫です!」
かつて日本では17文字という制限の中でうまいこと言う遊びが流行し、
今また140文字以下という制限の中でうまいこと言うのが流行っている。
前者の魅力に取り憑かれた者は俳人と呼ばれ、
後者のそれは廃人と呼ばれた。
普段は奇抜なスタイルをとっているものの、
オフ時は普通の眼鏡ッ娘で、先輩のマドンナにも
『私この路線でいいでしょうか…』とか素で相談したとか
イタリアでファンに胸もまれてガチへこみしてホテルにしばらく引きこもったなんて話聞くに、
ガガ様マジ「実は生真面目で超純情な眼鏡ッ娘」であり俺得。
先日、父は、男にフラれて落ち込んでいた姉をなぐさめようとして、
「おまえ、人間は顔じゃないぞ」 と言うところを、
「おまえの顔は人間じゃないぞ」 と言ってしまった。
おいスーパーの短冊で「彦星爆発しろ!」って書いた奴。マジレスすると17光年程度しか離れてない彦星ことアルタイルが何を間違ったか「よーしいっちょ超新星爆発してみっか」と要らんやる気出したら半径5光年は即死、50光年先まで壊滅だ。宇宙なめんなよ、お前の願いで近所のスーパーがノヴァい。
八代目 桂文楽の噺、「大仏餅(だいぶつもち)」によると。 積もりそうな雪が降ってきた。 父親が怪我をしたので血止めを分けて欲しいという子供が店の中に入ってきた。 聞けば、新米の盲目乞食が仲間内から縄張りを荒らしたと突かれて怪我をしたと言う。 山下の大店のご主人は気ぃよく奥から、取って置きの薬を塗ってあげた。 子供の歳を聞くと六つだという。 当家の息子も袴着の祝いで八百善から料理を取り寄せて、お客さんに食べて帰ってもらったところだが、息子は旨い不味いと贅沢すぎる。 その反対にこの子は雪の中、裸足で親の面倒を見ている感心な子だと、料理を分けてあげたいという。 出した面桶は朝鮮さわりの水こぼし、あまりにも茶人が使う高級品。 それを分かって、部屋に上げて八百善のお膳を二つ用意した。 聞くと、過日は八百善の料理を味わっていた事もあるし、お茶の心得もあったが、貧乏して茶道具の全ては売り尽くし、この水差しだけは手放せなかった。 千家の宗寿(そうじ)門弟で芝片門前に住んでいた神谷幸右衛門だという。 あの神谷さんですかと驚いた。 出入りの業者が言うには庭がどうの茶室がどうのと言っていたが、一度招かれたが所用があって行けず残念であったと述懐した。 その河内屋金兵衛ですと自己紹介した。 お互い相知った仲であった。 鉄瓶点てで、お薄を差し上げたいと言い出した。 お菓子が無いので、そこにあった大仏餅を菓子代わりに差し出し、子供と食べ始めたが餅を喉に詰まらせ息が出来なくなってしまった。 あわてて、背中を強く叩いたら息が出来るようになった。 と、同時に眼が見えるようになった。 そこまでは良かったが、鼻がおかしくなって声が巧く出ないようになってしまった。 「鼻?、今食べたのが大仏餅、眼から鼻ィ抜けた。」
三遊亭円楽の噺、「大師の杵」によると。 空海上人、空白の約7年間と言われた23~29歳のこの時期空海の足跡が解っていない。しかし、落語家だけがその事実を知っていた。 空海上人23歳の時、武蔵の国・橘郡(たちばなごおり)平間村、今の神奈川県川崎に来た時、名主の源左衛門宅に宿をとって布教した。美しく学徳もあり、若い空海に信者も増えていった。宿の娘”おもよ”さんは村きっての絶世の美人であった。最近、そのおもよさんが痩せてきた。婆やさんが話を聞いてみると、「御上人様のことが好きで・・・」と恋の病をうち明けた。ご主人源左衛門が上人に掛け合って当家に入って欲しいと懇願したが、仏道の修行中の身と言って断られてしまった。この事を娘に言う訳にもゆかないので、おもよさんに「若い僧なので今夜綺麗に化粧して彼の寝床に忍び込んできなさい」とけしかけた。 おもよさんが寝室に忍び込んでみると、 部屋の中はもぬけの殻であった。布団に手を入れると餅つきの杵(きね)が置いてあった。これは上人が残した何かのナゾではないかと思った。一人娘と出家の身だから「想い杵(キレ)」と言うのかしら、はたまた「ついてこい、付いて来い」と言っているのか解らなかった。しかし惚れた弱み、上人を追いかけた。 六郷の渡しに来てみると一刻(とき)前に上人を渡したと船頭から聞いた。今の時間で2時間前では女の身では追いつく事も出来ない。悲観のあまり多摩川に身を投げてしまった。上人は変な胸騒ぎがするので引き返してみると、夜も白々と明ける頃、村人に囲まれた冷たいおもよさんの骸(むくろ)に対面した。その死を悲しみ、名主の源左衛門宅に戻り、おもよさんの菩提を毎日弔った。近隣の人がそれを見て庵を造り、その名を「おもよ堂」。それが徐々に大きくなって、今の川崎大師になった。 伝説では、大師堂の奥には今も「弘法身代わりの杵」が安置されていると言う。 円楽がその真偽を確かめに川崎大師で尋ねると、「その話は臼(うす)だ!」。
ある酒場でで二人の男が政治家への怒りをぶちまけていた。 「最近の政治家はひどすぎる」 「まったくだ!『政治家』イコール『くそったれ』だな」 「そうだそうだ!」 それを聞いて、その時近くにいた男が怒って言った。 「取り消せ!今の発言は許せない!いくら何でもひどすぎるぞ!!」 「あんた、政治家なのか?」 「違う!おれはくそったれだ!」
【「好き」と「愛してる」の違い】 女の子(5歳)に「せんせい、『すき』と『あいしてる』って なにが ちがうの?」と聞かれて 「(難しいな…)」と悩んでいると、 別の女の子(5歳)が「プリキュアは いなくなっても いいけど、パパとママは いなくなったら いやでしょ?」って。 何その神がかり的な回答。