「娘と日田デート」レポ

その
3です。
10月14日 大分県日田市 訪問

・・日田は、文禄3年(1594年)豊臣秀吉の蔵入地(直轄地)を支配する代官が置かれ、以来大名支配も行われたが、それ以外は徳川幕府の天領(直轄地)となった。その天領も大名預けとなった時期もあるが、貞亨3年(1686年)以来は引続き日田の陣屋(御役所)にあって代官、郡代の天領支配が行われた。豆田、隈の両町を持つ日田は、政治、経済の中心地として栄え、裕福な商人が台頭し、掛屋や大名の御用達として活躍して、九州金融の中心となり、日田金は諸大名に貸し出された。当時、江戸、上方、長崎との経済や文化の交流も多く、日田には文人墨客が訪れ、賑わった。

レポは、
その1
≪欧風懐石・秋子想編≫
その2
≪豆田の町並み編≫
その
3≪小鹿田の里編≫・・今日です。
・・へと、続きました。




日田市の北部に位置し、高塚山の麓にある「小鹿田焼の里(おんたやきのさと)」は、
今から約300年前、福岡県朝倉郡小石原村にある小石原焼(こいしわらやき)から分窯したと伝えられ、
1705年に柳瀬三右衛門により開窯されました。
「小さい鹿の田んぼって書いて、おんたって読むんよ。」
「へえ~珍しいですねえ。」と、お嫁ちゃん。
江戸中期、幕府直轄領(天領)であった日田の代官により領内の生活雑器の需要を賄うために興された小鹿田焼の窯元は、一子相伝で弟子を取らず、十軒の窯のみがその技術を綿々と受け継ぎ、今に至るまで開窯以来の伝統的な技法がよく保存されて来ました。
そのことを大きな理由として小鹿田焼の技法が1995年に国の重要無形文化財指定を受け、2008年3月には地区全体が「小鹿田焼の里」として重要文化的景観に選定されました。
窯元が谷川の水を利用した唐臼(からうす)で土を砕きます。
この陶土を挽く唐臼の音は「日本の音風景100選」。
か~ん、こ~ん、と、済んだ音が山間の里にこだまします。
唐臼の音 youtubeお借りしました。
唐臼で挽いた土をこして
きめ細やかな陶土が完成します。
たくさんの器たちが生まれますね。
小鹿田焼の伝統の技法は、刷毛目、飛び鉋、指描き、櫛描き、打ち掛け、流し掛けなどがあります。
小鹿田焼といえば、↑蹴轆轤(けろくろ)です。
轆轤を足で蹴りながらまわします。
私も以前、体験させていただきました。
すごく、楽しかったです。
化粧土に小さな鉋の先で削り目をつける飛び鉋の技法は、「世界一流の民窯」と謳われ、
広く私たちの心を魅了し続けています。
マキを使い登り窯で焼くという昔ながらの技法で作られます。
ちょうど、民陶祭でにぎわっていました。
この窯から、たくさんの器たちが、生まれ出たのですね。
山里でひっそりと焼かれてきた小鹿田焼が脚光を浴びるようになったのは昭和に入ってからです。
昭和29年に英国の陶芸家バーナード・リーチ氏が訪れた後に、欧州で開かれた世界工芸展でグランプリ大賞、各地の展覧会で数々の受賞されました。受賞をきっかけに全国的に有名になり、昭和45年には国の記念保存文化財に指定されました。
お嫁ちゃんと、陶の里をそぞろ歩き。
秋の花々が、彩りを添えてくれました。
「日田はとても歴史を感じられ、楽しかったです。焼き物の里でも見たことのない窯や臼を見ることができ、嬉しかったです。
お父さんには遠いところを連れて行ってくださり、本当にありがとうございました。
お二人ともお疲れだと思いますが、ゆっくりとお休みください。」
お嫁ちゃんより。




日田報告その
3≪小鹿田の里編≫
最後までご精読~ありがとうございました。
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赤が大分県
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ピンクが大分県日田市

大分県日田

10月14日訪問
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今日はこの辺で