ちょうど、光善寺の眞諦さんが
亡くなられたご門徒さんについて、書いておられる今日。
今朝、わたしの携帯が鳴る。
東京にいたときからの友人で、
舞台で使う映像など、いろいろ創ってもらっていた
俊さんからのメールだった。
その昔。わたしは、小さな劇団の座長をしていた。
4回目の公演『舞え舞えかたつむり』で
美術を担当していただいた、
Nさんが亡くなられたとのことだった。
俊さんの紹介で、Nさんと出会う。
Nさんは、映画『極道の妻達』や
2時間ドラマ、また京都の太秦で
美術をされていた、プロだった。
わたしの親世代で、その道のプロだったNさん。
素人に等しい、わたしの率いる劇団の舞台に
全力を尽くして下さった。
もちろん、お金なんかあるはずもなく。
ノーギャラ、あるのは「夢」だけだった。
Nさんは自宅に、わたしたち役者の卵を呼んで
手づくりの、鍋料理を食べさせてくれた。
確か、味噌と牛乳と・・・
作りかたを教えてくれたけど、忘れてしまった。
とにかく美味しくて、食べるのに必死だった。
わたしの劇団は、たった4回の公演で終了。
小学生からの夢も、そこで幕を閉じる。
やりつくした感と、夢を追う情熱が失せた、挫折。
25までに成功しなかったら
帰郷するという、母との約束も破って
27までいた。成功とは何であるか、わからなくなった。
いちばんの問題は、食べられないことよりも、
『―自分の表現したいものが、どこにあるのか?―』
だった。見えない。
むなしさこそが、わたしの挫折だった。
生きたいように、生きていても。
自分の中に、表現できる「真実真理」が、なかった。
「ない」ことに気づく。
照明や音楽は、イメージやタイミングを伝えて
何回も、打ち合わせ&稽古を重ねつつ
信頼できる大切な仲間に、おまかせした。
製作・出演・演出・脚本・舞台美術にいたるまで
ひとり、好き勝手に手がけていたけれど、
4回目の、最後の舞台だけ
Nさんの創る、本格的な舞台セットでの公演となった。
映像畑のNさんにとって、最初の舞台。
夢を追い続けたわたしの、最後の舞台。
記憶が断片的に、思い出される。
Nさんの言葉の数々。
「衣装の襟を紙で作ろうと思うけど、どうだ?」
「映画を1本創りたいんだ。脚本を書いてくれないか?」
「まゆらはピカソが好きだから、創造と破壊が好きなんだな」
どれも首を縦にふらなかった、わたし。
お世話ばかりかけた。
芸術家だったNさんの願いを、何ひとつ叶えられなかった。
Nさんは、映画を舞台をお酒を、愛した人だった。
身体的な死だけではなくて、
精神的な死も含めて―
わたしは、たくさんの人を犠牲にして来て
今なお、犠牲にし続けている。
数え切れない屍の上に、涼しげな顔で立っている。
いつか、北野武さんの映画にもあった。
タクシーで、ごとんごとん、無数の屍の上を走る場面が。
あれは、他の誰でもない、、。
亡くなられたご門徒さんについて、書いておられる今日。
今朝、わたしの携帯が鳴る。
東京にいたときからの友人で、
舞台で使う映像など、いろいろ創ってもらっていた
俊さんからのメールだった。
その昔。わたしは、小さな劇団の座長をしていた。
4回目の公演『舞え舞えかたつむり』で
美術を担当していただいた、
Nさんが亡くなられたとのことだった。
俊さんの紹介で、Nさんと出会う。
Nさんは、映画『極道の妻達』や
2時間ドラマ、また京都の太秦で
美術をされていた、プロだった。
わたしの親世代で、その道のプロだったNさん。
素人に等しい、わたしの率いる劇団の舞台に
全力を尽くして下さった。
もちろん、お金なんかあるはずもなく。
ノーギャラ、あるのは「夢」だけだった。
Nさんは自宅に、わたしたち役者の卵を呼んで
手づくりの、鍋料理を食べさせてくれた。
確か、味噌と牛乳と・・・
作りかたを教えてくれたけど、忘れてしまった。
とにかく美味しくて、食べるのに必死だった。
わたしの劇団は、たった4回の公演で終了。
小学生からの夢も、そこで幕を閉じる。
やりつくした感と、夢を追う情熱が失せた、挫折。
25までに成功しなかったら
帰郷するという、母との約束も破って
27までいた。成功とは何であるか、わからなくなった。
いちばんの問題は、食べられないことよりも、
『―自分の表現したいものが、どこにあるのか?―』
だった。見えない。
むなしさこそが、わたしの挫折だった。
生きたいように、生きていても。
自分の中に、表現できる「真実真理」が、なかった。
「ない」ことに気づく。
照明や音楽は、イメージやタイミングを伝えて
何回も、打ち合わせ&稽古を重ねつつ
信頼できる大切な仲間に、おまかせした。
製作・出演・演出・脚本・舞台美術にいたるまで
ひとり、好き勝手に手がけていたけれど、
4回目の、最後の舞台だけ
Nさんの創る、本格的な舞台セットでの公演となった。
映像畑のNさんにとって、最初の舞台。
夢を追い続けたわたしの、最後の舞台。
記憶が断片的に、思い出される。
Nさんの言葉の数々。
「衣装の襟を紙で作ろうと思うけど、どうだ?」
「映画を1本創りたいんだ。脚本を書いてくれないか?」
「まゆらはピカソが好きだから、創造と破壊が好きなんだな」
どれも首を縦にふらなかった、わたし。
お世話ばかりかけた。
芸術家だったNさんの願いを、何ひとつ叶えられなかった。
Nさんは、映画を舞台をお酒を、愛した人だった。
身体的な死だけではなくて、
精神的な死も含めて―
わたしは、たくさんの人を犠牲にして来て
今なお、犠牲にし続けている。
数え切れない屍の上に、涼しげな顔で立っている。
いつか、北野武さんの映画にもあった。
タクシーで、ごとんごとん、無数の屍の上を走る場面が。
あれは、他の誰でもない、、。