ただいま妄想中

夢、かつリアルな頭の中身をどこへ。

平等なもの

2008-12-19 14:51:31 | Weblog
写真は、きょう携帯で撮った「キララ多岐」の海です。
松江に行った帰りあまりの美しさに、息を飲みました

きのう本屋で、一冊の本を購入

『詩と死をむすぶもの』
詩人と医師の往復書簡(谷川俊太郎・徳永進著 朝日新書)

まだ、最初の方を読みかけているところなんですが。

「はじめに」に書かれてある、徳永さんの文章に、うなる。

『老いた人の死と若い人の死、違わない。
信仰に支えられ死を受け容れた人と、
「くやしい」と叫びながら世を去る人、違わない。
温かい家族に取り囲まれて亡くなる人と、
人一人いない病室で亡くなる人、違わない。
生きてること、死ぬこと、うーん、違わない。
小さなことは沢山違うが、一番大切なことは、違わない。
みな同じ。最近になって、そんな気がする。』

ホスピス医療に携わるお医者さん、徳永さんの文章の一部。


前に、NHKテレビ・プロフェッショナルに出ていた
動物を飼育しておられるプロが

「1回生まれて1回死ぬことは、
みんな同じなんだと動物から教えられる、、」

という様なことを、言っておられたように。


映画『おくりびと』にも描かれていたように。


どんな生き方をした人も、命を終えていくのは、みんな同じ。
これ以上の「平等」はないなぁ、、と思う。


これは、どんな命も尊いことを意味している。


決して、どうせ死ぬ命といった捉え方じゃなくて。

だったら何でもいい、んじゃなくて。



最期が違わないからこそ、生き方を模索したい。



なぜなら

この徳永さんの文章は、仏様からの目線に似たものだから。


人間の側のわたし達は、そんな「あたたかいまなざし」に
支えられながら、精一杯、いま自分の立っている所で


もがく。

もがくことだ。

同じ最期を迎えるまで、もがいてもがいてもがいて

・・・それぞれの光を解き放つ。

生と死と、苦と光、表裏一体なものを、ぜんぶ背負って。


もがくのは、苦しく。カッコ悪い。

もういい加減、誰も追っては来ないところに
いっそのこと、逃げてしまいたくもなるんだけれども。


たぶん、もがくのは、生きている証で。

この、もがきの中に、人生の様々な機微があったりして。


「もがき」はまた、おぎゃあと生まれた人間に
与えられた、平等のひとつだったりもして。


もがいている私達すべてに
仏様の願いはかけられてあって・・・。


もがくこと、死ぬこと、阿弥陀様に願われていること


確実にこの3つ。「平等なもの」だと思うんだよなぁ・・・。
コメント (2)
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