ただいま妄想中

夢、かつリアルな頭の中身をどこへ。

生まれてゆく命

2011-03-22 00:29:26 | Weblog
大地震が起きてから、ここ数日



いろんな問いや、葛藤が、渦巻いていた。




昨日&今日。お彼岸の法座があり

昨日は、熱がでて



みなさんにご挨拶、先生にお茶をお出ししてすぐ

→ぐったり寝込んでいました。




今日は、ご法話をお聴聞させていただき。





わたしの中で、絡まっていた糸が

スルスルと、解けた。 




ご講師の先生から




仏様の右手は、施無畏(せむい)

左手は、与願(よがん)を表していて





それは、Don't be afraid.(恐れるな)

わたしが一緒にいます、の意味であること。





死んだらおしまい、じゃない

世界が開かれていること





わたし達は

おおきな命の中に、生かされていること、




聞かせていただきました。


聞かせていただきながら、





「そうだった、、わたしは今まで

何を聞いて来たんだ、、」と思ってまた、





涙が出ました。






人間はみんな、明日をも知れぬ命を生きていて

たとえ寿命を全うしても、必ず終わってゆく。





だからこそ、終わらない命に出遇って

生まれてゆく世界があることを知り





死んでゆく命、死んだらおしまいの命じゃなくて

「生まれてゆく命」を生かされること、、





そこに、光があるんだ、、。





また、ご講師の先生は





親鸞聖人が、苦行に降参されて

いわゆる、落ちこぼれとなられたからこそ





いま、わたし達に開かれた道であると

お話して下さいました。





このお話がまた、わたしの心に痛いほど

響きました。





どれだけ頑張っても、人間の力では

どうにもならない事がある



ーーー→どうにもならない「この私」

ーーー→どうすることもできない「この私」

ーーー→どうしようもない「この私」




この、落ちこぼれの「わたし」の為に

親鸞聖人は、道を開いて下さったのだ、、、




胸の詰まる思いがしました。





わたしから願わずとも

願って下さる方がおられる。





光(ひかり)と寿(いのち)の、ほとけ様。






わたしの、思うこと、、。





世の中。いろんな職業や

いろんな生き方、があるけれど




行き着くところ、目指すところは、ひとつ。

真実真理は、ひとつ。





あらゆる命は、一処(ひとところ)

おなじ方を向いて





この体は、その光を受けとる為の

媒体でしかない。






みんな、それぞれの方法で

そして、みんな、生まれてゆく命だ。
コメント (2)
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