いま、録画していた
NHKこころの時代
『問われる宗教と"カルト"』
前編を拝見しました。
宗教に携わっておられる
日本を代表する方々の
お話を、ふむふむと。
私も宗教者として
様々なことを
考えさせていただき、
素晴らしい討論を
拝見できたこと
感謝しておりますm(__)m
カルトとは何か?
若松英輔先生が定義
された様に、
個の上で言えば
恐怖・搾取・拘束
深く頷かされました。
他者の人生の
コントローラーは
たとえ、いかなる理由で
あったとしても
奪ってはならない
という事。そして
自分の人生の
コントローラーは
いかなる理由であれ
他者に渡してはならない
という事です。
2500年前、お釈迦様が
『自灯明 法灯明』
という教えを
明らかに
してくださっています。
私たちは
苦悩の人生を歩む
弱い人間、だからこそ
拠り所とするのは
法、真理に照らされて歩む
「自ら」であります。
次に、社会体制と宗教の
お話を伺いました。
これは先日の
平雅行先生のお話と
タイムリーに重なって
聞かせていただきました。
法然聖人や親鸞聖人は
旧仏教が
「年貢を納めれば
極楽浄土に生まれる事ができる」
といった、まさに
政治と宗教の
負の繋がりがあった時代に
個の救済
まことの仏教を
追求して、
苦悩する「個」に
寄り添った宗教者です。
真の宗教は、
決して個を苦しめない
個に寄り添うものです。
釈徹宗先生が
絵画のたとえで
近景・中景・遠景
家族・社会・法の世界を
お話してくださいました。
近景と中景が
痩せ細ってゆく時代
であるからこそ、
遠景を利用した救済を
掲げた「嘘」が
はびこりやすいのだと
強く感じました。
また、信仰のもつ
加害者性があり
他のストーリーを
生きている人がいるという
想像力をもつこと
お互いを尊重した
対話ができるかどうかが
大事であるということ
学ばせていただきました🙇♀️
島薗先生がお話された
「嘘」のお話を伺って
浄土真宗では
人間の功徳が
仏となる因にはなりません。
功徳=仏様がしあげて
くださることであり
仏の側でしか功徳、
を言わないのは
人間は自らの救いの為には
人をだましてでも
功徳を積もうとする生き物
であるからだと
そんな事を感じました。
法華経の経典について
ひとつ触れられていましたが
経典においては
嘘というものはなく
方便でありますが
その方便も
人間の側で言えば嘘
仏の側で言えば方便
であることが言えると
思います。そして
親鸞聖人が拠り所と
されたのは浄土三部経です。
が、すべてのお経は
尊ばれるものであると
思っています。
ラスト、若松英輔先生の
お話された事について。
私は若松先生が
以前より大好きでm(__)m
龍大で講座があった時には
ひとり京都まで走り
目の前で拝聴しました。
若松先生の
信仰心のあつさ
言葉の紡がれ方
やさしさ
大変、尊敬しています。
それを前提に
最後にお話されたこと
私は『疑い』と『問い』は
異なると思います。
疑いが深まっていく事は
信仰が深まっていく事であると
お話しておられましたが、
疑いが深まったら
その信仰からは一度
離れなければならない、
そう思います。
信仰が深まることで、
『問いが深まる』ことは
あると思いますが
疑いは深まらないと
私自身は感じました。
若松先生は
生まれて90日で洗礼を
受けておられて
私は生まれたのが
浄土真宗のお寺だった
人間として生まれるのも
いつの時代、どこに生まれるかも
自分で選んだ訳ではなく
『たまたま』です。
カトリックであれ
浄土真宗であれ
イスラム教であれ
すべては尊重される
ものであると思っています。
ちなみに私が生まれたのは
大阪の淀川キリスト教病院です。
私の母は産後、
看護師さんが素手で
便座をあたためてくれたのが
忘れられないと
話してくれました。
こころの時代
後編、16日の朝5時〜
録画予約をしました。
とても楽しみです☺️