友達がくれたご縁。
友達のお父さんと
お便りする時間。
素敵な絵を
いただくこと
いつもとても
楽しみにしています。
お元気で良かったです。
私もお陰様で、
元気にしています😊
こころの時代、
後編を拝見しました。
前編でも
感じたことですが
発言を求められる立場であると同時に
喉元に刃を
突きつけられる様な
そんな厳しい
討論の場に
ご出演して下さったこと
釈先生始め先生方、皆様に
心より感謝申し上げます。
いつも笑顔でおられる
釈先生の、本気のご発言に
大変感動いたしました。
この度の
痛ましい事件を機に
宗教リテラシーを広げる
『宗教について学ぶこと
教育に組み込むこと』
ズバッと要を
ご提示くださいました。
誇りに思いますm(__)m
櫻井先生の
統制下にある様なところだと
宗教が強くなる
と、いったお話も
非常に頷かされました。
また若松先生の
宗教が本当の意味で
深くなっていくことは
普通の社会現象における
拡張とは必ずしも一致しない
ことも、共感致しました。
拝見しながら
ビシビシッ✨と熱が
ぶつかり合う瞬間も
感じましたが、
それはきっと
良い意味で
若松先生の
宗教者に対する期待が
非常に強いものであると
感じさせられました。
相手が重んじるものを
理解する前に重んじること
これは、まさに
宗教的な感性
見えるものだけではなく
見えないものを感じる力
聞こえない
こころの声を聞くこと
に通じると思います。
人間の尊さ、等しさの
お話を伺いながら
私なりに感じたことを
申しますと
尊さ、等しさを感じるには。
「人間は等しく、まことがない」
むさぼり、怒り、真実に無知な
生き物でしかなく
そもそも、他の誰でもない
『この私』が
危うい生き物であること
縁に触れれば
いかようにもなり得ると
知らしめられる
頭が下がる世界に
出遇うことがなければ、
自分がいちばん尊く
我欲の炎に油を注いで
苦しみのままに
一生を終えるのが
人間だと思います。
神仏に出遇うことで
下がることのなかった
頭が下がる世界を
知らされます。
そして
この苦しみが
まるごと包まれる世界に
出遇います。
それが、ほんとうの
宗教だと思います。
一度、下がった頭も
すぐに高くなるのが
わたしです。だから
折に触れて
ほとけさまのお話を
あらゆる命の苦を除き
楽を与えたいという
ほとけさまのお心を
聞かせていただきます。
苦しみのままに終わらない
豊かないのちの世界です。